180 We can never see the other timeline.
生きてりゃ常に選択を迫られることがある
仕事もそうだし
男女の関係、博打もそうだし
通勤車両の道路の混雑状況
様々な事へ矢印が伸びてるようなもんだな
そして選ばなかった方のもう一つの世界線が見れるなら見てみたいものだ。
あの日の選択って話
なかなかテーマが深い
これはVOID兄さんだけでなく、読んでくれている皆さんへと自分の昔を曝け出すと言う意味で描こうかなと思う
結構前に、滋賀から東京に来た様な話を書いていた
その中で細々した話はまた書きますねーと先延ばししてきた事を今回の企画でピシャッとハマれば良いなと思って投下することとする
時は2001年の11月下旬くらい
24歳だったな、そして所帯持ちではあったが、なかなか夫婦感は冷めきっていた。
一度離婚して、子供のことがあるから復縁しようと元嫁に言われ
やり直したのだが
…やはり微妙でなぁ
「はいはい、何でもいいですよー」
それくらいの感情であったな
当時も子供が2人おり
まだ小さかったけども
働いてカネを稼いで来いって日々言われ
別に苦じゃなかったが
人生楽しんでる?
って感じではなかったと思い出す
ホラ、こういう書き方すると
読んでる方からして
毎日つまんなかったのかなぁーって思われるかもしれないけど
そうじゃないからね
色々積み重ねがあったものを
ざっくりした表現で描くからそう見えるだけだからね
それだけは言っておきます
元嫁も歳が4つ上だってこともあり
いわゆる姉さん女房的な感じである
俺も頭が上がらないかと言われると、全然そんなこともなく
まぁ普通に普通の家庭に見えてたんじゃないかなぁ
ほんで、iモードだっけか?
ezweb、その他もあったけどガラケーからネットが普及してた時代であって
パケット代を気にしてさ
日々の生活にそれが入り込んでくる
妻も俺も
多分世の中もハマってたのかと思う
妻はそうした中でもチャット内では持て囃される様な振る舞い
いわゆる女王様的な感じ
いつそのサイトに行っても
『あっ!待ってました!〇〇姉』
『お疲れ様です〇〇姉』
おうおう、すごいもんだねぇー
俺もそんなところでやってみるのだが
他人様と話す事が思い浮かばないので顔文字だけで遊んでた。
特に会話をすることも無い
そんな毎日を過ごしてたら
やはり日常生活がおかしくもなってくる
今までの日常会話も携帯見ながら話すようになり
用事ごとも後回しになったり
今みたいにそこまで情報量が多い訳では無いが
そこまで多くない情報量の中で如何に自分が楽しめるか?
って落とし込むには十分だったなと今では思う
そうして時が過ぎた。
元嫁に男の影が漂う。
ふむ…
だけどなんだろうなぁ…
携帯の中身まで見たくもないしな
好きにしたらええけどな
当然、子供は何も知らない。
日常の家事などは普通にこなしてるし
良いんじゃねーかなって思ってるくらい
俺もそんなに稼げるほど仕事ができるわけでもねーしなぁ
まぁ、いいや。何でも
とまぁ執着はしなかった
その辺から……
いや、もっと前から
選択ってのを放棄してた気がする
真剣に考えて選んでいれば
たとえ間違ったとしても納得出来る
その考えに固執しなくとも
なるようになるさ精神で時が過ぎればと思いながらふわふわとしていたのは間違いない
ある日の晩に掲示板サイトを眺めていた
「面白い話」的なね
読んでてクスッと笑えるものもあったが
投稿って欄があったから
瞬間的に閃いた話をつらつら書いてみた
そして、次の日に
コメントが来てたことにびっくりして
心が浮つく
『読んでて面白かったです!』
おぉ…現場で仮設トイレに入っていたらイタズラで倒された話がウケたのかっ!
ふむふむ。
こうして自分が投稿した事
このネットの世界で読んでくれた
日本の誰かに届いた事がたまらなく嬉しくなった。
12月中旬
仕事が終わって寝る前にそんな掲示板を見ることが日課になった俺は
投稿を続けた4日目にこんな話が来た。
『1回お話してみたいです』
そんなバナナ。
そんなことがあっていいのか?
いや、うん。いかんいかんぞ!
これは浮気になってしまうからな!
いや、話すだけならなるのか?
うむ。よくわからん
しかし向こうの部屋では声が聞こえる。
遅い時間だって言うのにコソコソと。
もう生活の中では聞いたことがないような笑い声だ
そかそか。まぁ、いいさ
あくる日にその相手にメールアドレスを送った。
返事はすぐに来た
どうやら神奈川の大学4年生の女性だということ。
へぇー、どんな経緯で?
って気になったが
メールのやりとりがそっから始まり
気づけばメールの着信音がバレないかと?
コソコソ隠すような感じにもなっていた
当時はロンドンハーツって番組のブラックメールってやつが流行ってたからなぁ
その音をメール音にしていたのは懐かしい
その頃から妻も感づいてたのかもしれん
12月下旬
仕事もその時は土建屋にいたんだが
『おい、年末忘年会終わったら付き合えよ!』
と、社長に言われたのだが
「ちょっとその日は一次会終わったら帰ります、すんません…」
『なんやぁ、用事もあんのかー?あーん?』
まるでビーバップのワンシーンみたいに問い詰められるが
「いや、すんません。」
『ま、まぁしゃーないのぉ』
⋯⋯⋯⋯⋯⋯ここから先は⋯⋯⋯⋯⋯⋯
無料で読めるんだが…(工場長のパクリ)
おいおいおい、って話だから
いつもの感覚で読むと
おーーーいっ!となると思うのでその辺よろしくどうぞ。
では、続き
俺はその彼女がこっちに来るって事で会うことにした
新幹線で米原駅までやってくるので迎えに行き
初めましての話から打ち解けるまで時間は掛からなかった
多分メールである程度話していたからであろう
それが以前書いてた記事に出てくる真琴である
気になった方はコメントくれ。
どの話か教えるから
そうして1晩が経ち朝方に家に戻った
うん…?
んんん?
アレ、駐車場に見知らぬ車が?
どうやら、そのまさかってやつだ。
そかそか…
んまぁ、しゃーない。
俺、確か「忘年会に行ってくるぞ」しか言ってないが…
もう家に入ることは諦めた。
その瞬間に全部終わったんだなぁって見切って、車中泊生活になる。
とにかく冬場の車中泊なんてくっそ寒い
社長ととりあえず話をして
こーであーでと。
『何やってんねん。2人とも、まぁええんちゃうか?
まだ若いしなぁ、とりあえずまずは家の確保せなあかんなぁ』
社長はすぐに動いてくれた。
元嫁も車で5分くらいの所に実家があるもんで
生活に関してはさほど苦にはならないくらい親は経済力を持っていたため俺を締め出したのだろう。
まぁ、しゃーない
こーなったらこーなっただ
と、とりあえず住んでたところが滋賀の守山ってところから五個荘ってとこ
距離にして車で30分くらいか?
家を探し即入居ができる状態でどうにかなったが
さて、どうすっかな?と
とりあえず仕事して借りた分だけでも返さなきゃなと年が明けてから頑張ることとした。
あれ以来、元嫁とは話すこともなく
離婚用紙も勝手に提出したのだろうと思ってた
俺の名前くらいどーとでも出来る能力は持ってたしな
そうして過ごしてく毎日で
真琴が
『内定も決まってるし卒業までの間こっちで1ヶ月程過ごす』
と言い出した。
「おぉ、そうなの?そりゃ嬉しいが…そっちは大丈夫なのかね?」
『あー。大丈夫だよ!』
結構、あっけらかんとしてる人柄なもんでなんか男前な彼女でもあったから
プチ同棲みたいで楽しかったのは覚えてる
「そういや大学卒業したら何やんの?」
『んー。今、銀には言っても分かんないだろうけど、臨床検査技師になるつもりなんだぁ』
「臨床……兼、詐欺師?北斗の拳の技の名前か?」
『バカじゃないのww』
「そかそか、そんなんあんにゃなぁー」
と。こたつに2人足を突っ込みそんな話をしていた
そうして2月が過ぎた。
時折遊びに来る真琴も卒業
そして就職へと忙しくなっていくのを話で聞きながら
俺も仕事で借りたカネを着々と返し日々を過ごしていた
社長、専務と。その土建会社はけして大きくなく、俺が少しでも会社の意向に沿わないときは呼びつけられて罵倒されたりもした。
「すんません、以後気をつけます。」
『ったくお前はぁ…』
ただ振り返って考えると、社長も専務も会社として当たり前のことを伝えたかったのだが
まだ幼稚な考えを持っていた俺はそれが理解出来なかったと思う。
そして、勝手に重荷になってゆき、この借りてる所から出なきゃ何も始まらねぇ。
と、当時の感謝を忘れて怒りにベクトルが向いてしまっていた
そんなある日のこと
真琴からこんな提案がされる
『銀さえ良かったらさ。こっちで一緒に住まない?』
「ほぇ?」
『会社から半分出してもらうんだけどワンルームマンションで、別に寮でも何でも無いからさ、どうかな…?』
「そうなんだ……。ちょっと考えようかなぁ……」
『うん…なんか色々辛そうだしね。ちょっと思ったんだ…』
「そっか…ありがとう…」
電話越しにその提案で
何故か涙が込み上げていたと覚えてる
そうして、借りてた家も引き払い、俺は八日市にあるその時の実家に行った
オカンと弟2人がそこで過ごしてた
引き払った時に色々持って帰ってきたものは全部弟にあげるよと
3月の終わりに俺は
滋賀を出よう…
そう決心して、兄弟全員、当時の友達に飯食ったりしながら話をした
社長にも
「自分の勝手な理由ですが3月末で辞めます。」
『ほうかぁ…恩を仇で返すんやなぁ…』
「…すんません。もうここにいる理由なんて無いんで」
『勝手にせぇ…二度と顔見せんな』
そうして終わらせた。
色々迷惑を掛けて、申し訳ない気持ちもあったがドアを閉めたあと深くお辞儀だけはさせてもらった
また新幹線のホームに立っている
京都駅から品川まで
24歳からの上京
発車ベルが鳴り響いた…
あの日の選択が正解だったかなんて、今でも分からない
もう一つの世界線を見ることは出来ないからな
ただ一つ言えることがある
あの日、新幹線のドアが閉まり、滋賀を離れた24歳の俺がいた
その続きを今、48歳の俺がここに書いている
それだけの話さ
そしてここに繋がるのである。
