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ひたすら庭で1時間何もせず寝転ぶという時間の使い方

5月3日11時。私は急に庭で1時間寝転んでみようと思い立った。私はド田舎に住んでいるので自宅の土地の広さは200坪。
※これは私の家だけじゃなく田舎すぎて周りの家もみんな同じぐらいの広さです😂

なのでそこら中に寝転ぶ場所がある。

今回寝る場所に選んだのは写真上部、人工芝の陽が当たっている場所。

開始10分。頭の中が雑念だらけだと気づく。

「お昼ご飯何作ろうかな?」
「noteに何書こうかな?」
「世間はGWか。私は毎日GWだ」

脳の中で会話が止まらない。

30分が経過すると意識が外に向く。

「ひばりが鳴いているな」
「風が心地いいな」
「日差しが強くなってきたな」

60分経過した。

まだまだ雑念も外への意識もあるが、頭がクリアになる。もはや自分が「木」になってしまったのではないかと錯覚する。

最高に贅沢な時間の使い方を模索

何でこんなことをし始めたかというと、私の中で一つの疑問があったからだ。

「最高に贅沢な時間の使い方って何だろう?」

無職になってからというもの時間は誰よりも持っているので、そんなことを考えるようになった。たぶん私は日本一の「時間持ち」かもしれない。(日本一のお金持ちになりたかったのに人生はうまくいかないものだ)

贅沢な時間の使い方を模索するにあたり、無職になってから多くの実験をした。

・朝から晩まで庭でバーベキューする
・妻と一緒に散歩に行く
・野菜を育てる
・料理を作りまくる
・畑の草がなくなるまで抜き続ける
======================
・1日中映画を観る
・1日中ゲームをする
・1日中本を読む
・ワンピースを1巻から最新刊まで一気読みする
・星野リゾートに旅行に行く

リストにしてみて一人で「なるほどな~!」となった。

=====この点線の上下は私の心の満足度を表している。点線より↑は満足度が高く、点線より↓は満足度が低い。思いついたものを書き出しただけなので満足度の順位ではない。

点線の上下は「自分で何かをする」と「サービスの受け手になる」という2つに分けられる。言い換えれば「能動的」か「受動的」かという視点だ。

あくまで私の場合ではあるが「能動的」に何かをした後の気分は晴れやかである。映画を1日中見るなど「受動的」な過ごし方をすると「もったいない時間の使い方だったかな?」と少し後悔が残る。

点線の上下は「お金」という視点でも分けられそうだ。点線より↑は極力お金を使わない時間の使い方で、点線より↓はお金を使う時間の使い方。

世間的にはお金を使ったキラキラした生活は羨ましがられる。先ほどのリストであれば星野リゾートの旅行などだ。

星野リゾートの旅行の写真。私の日常は全くキラキラしていないのだが、この一部を切り取るとキラキラしているように見える。

もちろん私にとっての大金をはたいて旅行をしているので、そこで得られるサービスや体験などは素晴らしいものではある。さすが星野リゾート!と言ってもいいレベルだ。

でも私の心の満足度は下手であれ料理を妻に作って「めちゃくちゃ美味しいね!」と言われる方が高かったりもする。

最近作ったタケノコとワラビの炊き込みご飯。

私がお金を使ったキラキラした生活から満足度を得られないのは、他者を意識しているからだ。星野リゾートへの旅行で考えると、もちろん私も楽しいのだが他人から見て羨ましがられる気がする、という視点も心のどこかにあるかもしれない。

一方で妻への料理は私が料理を作って妻が喜ぶだけなので家族内で完結する。私が料理を作ることなんて他人からしたらどうでもいい話だ。だって無職が暇だから料理しているだけなのだから。

ここまで「能動的」・「受動的」な時間の使い方、「お金を使う」・「お金を使わない」時間の使い方について考えた。

もう少し話を進めたい。

リスト化した行為は全て何かを「する」というものだった。それは点線関係なく料理をしたり、映画を観たりするのは全て「する」に含まれる。

タイトルの「ひたすら庭で1時間何もせず寝転ぶ」は「しない」という行為になる。(寝転ぶという行為をしとるやん!というご指摘はご遠慮いただきたい)

最近漠然と思うことがある。それは「そうではないもの」を考えると物事はよく見えるのではないか?ということだ。

私は今無職である。無職とは職に就いていない人のことだ。例えば仕事について考えるにあたり「そうではないもの」、つまり無職の視点から眺めると仕事の全体像がよく見える気がする。

あるいは、「ひたすら庭で1時間何もせず寝転ぶ」というのも同じだ。贅沢な時間の使い方を考えるにあたり、何もせず寝転ぶという「そうではない」時間の使い方をすると全体像がよく見える気がする。

今日は頭が回るのでもっと話を進めたい。

書きながらトルストイの『アンナ・カレーニナ』の一文を思い出した。

「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族はそれぞれの不幸の形がある」

これは「幸せな家族」という抽象的な概念を考えるにあたり、役に立つのは幸せ「ではない」不幸な家族を考えればよいということなのではないか。

(ヤバい。話があちこち飛び過ぎて結論をどう持っていいか分からない。無理やり結論にもっていくとすると…。)

「贅沢な時間の使い方」や「やりがいのある仕事」、「幸せな家族」など抽象的な概念を理解するためには「そうではない」具体的な事例を考えるともっと理解できるのかもしれない。

おしまい!としたいところなのですが、この記事で一番伝えたかったことはこれです。

1時間庭で何もせず寝転ぶのって最高に贅沢な時間の使い方かもしれません!

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おしまい!


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FIREサラリーマン みかん🍊 こんな拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございます!これからもサポートいただけるよう精進いたします!