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「時間」についての考察(10):「時間」にとって同一性とは何か?(共同性の働き)

「時間」にとって同一性とは何か?について、三つの考察🌱🌱🌱のうち

🌱その1)
姿勢をとって感覚すること:定位
🌱その2)
その感覚を構成すること :

が済みました。今回は、

🌱その3)
目には見えない働き   :共同性の働き

です。



1 さて共同性とは?


じゃんけんには、ルールがあります。

👊は、✌に勝ち、🖐️に負ける。

じゃんけんが分かるのは、「今じゃんけんをする私とあなたの取り決め(私的なもの)」ではなく、「他の誰かが決めているルール(公的なもの)」があると知っているからです。
この「他の誰かが決めているルール」を共同性といいます。

共同性は、私たちの周囲に様々な形で存在しています。目には見えないのですが、これを確かめる方法があります。
「皆が共通に」という言葉を当てはめてみるのです。この言葉が当てはまれば、共同性が働いていることが確かめられます。

「皆が共通に」「👊は✌に勝ち、🖐️に負ける」と思っている。

2 対象によって認識すること


前回の記事では、「像によって認識すること」を述べました。人を探すとき、群衆の中から、自分の心内と比較して見つけるのでした。

今回の記事では、これに共同性の働きを加え、「対象によって認識すること」を述べます。

によって認識すること
   ↓+共同性
対象によって認識すること

確かに、私たちが見たり触れたりした感覚は、に構成されます。
ただ、それだけのことでは、その像は、その場その場の構成物ということで終わってしまいます。
「茶碗」を例にすると、文字どおり「円錐をさかさまにしたようなもの」と構成されて終わるわけです。その場ごとに、この円錐が大きかったり小さかったり、模様があったりなかったりしますが、それらは皆、それぞれのものです。

その場その場の構成物で認識が終わる世界には、「時間」は生まれません。
求めているのは、その場その場の構成物ではなく、どの場にも通用するです。そのようなを「対象としての」とします。以下では単に「対象」と呼ぶことにします。

種明かしでもないのですが、感覚に構成されるというとき、そのは初めから対象として構成されるのでした。
共同性は、感覚に構成されるそのときから、働いていたのです。
つまり、「個人的に「茶碗」と思うもの」に構成したのではなく、「皆が共通に「茶碗」と思うもの」に構成したのです。

これが共同性の働きです。共同性が働いて構成された対象と呼ぶのでした。

3 共同性の働き方


共同性がどのように働くのか、実例によって調べてみましょう。

和食図鑑の1ページを開きます。そこに「一膳のご飯」の写真が載っています。この写真を見て、私たちは、視覚をに構成します。

この写真の下に「一膳のご飯」と書いてあります。このとき私たちは、(暗黙のうちに)「皆が共通に「一膳のご飯」と言うもの」として「一膳のご飯」を認識します。

つまり、食事図鑑は単に写真と名称とを並べたものではなく、共同性において「一膳のご飯」を示しているのです。
この共同性の働きにより、和食図鑑の写真は、対象として構成されるのでした。

また、国語辞書でも同様のことを確かめられます。国語辞書に示された言葉の意味には、やはり「皆が共通に認めていること」という規範性があります。この規範性はまさしく共同性です。

共同性の働きは、私たちの生活の隅々まで行き届いています。
生活上の何かに定位し、感覚し、それをに構成するとき、そのは、対象として成立するのでした。

4 対象は、同一性を本質とする。


一膳のご飯を前にして、私たちはすぐに「一膳のご飯」と認識します。それは、自分の前の「茶碗+ご飯+箸」という状況に、パッと「一膳のご飯」という一まとまりのパターンを当てはめる感じです。
この一まとまりのパターンが「一膳のご飯」という対象だったわけです。

一膳のご飯は、いつどこでも「一膳のご飯」です。電気で炊いても薪で炊いてもだれが炊いても「一膳のご飯」に違いありません。

こういったところに、対象の違いがあるように思います。対象は、共同性の働きにより、個々の場に限られることがありません。「茶碗+ご飯+箸」は、「一膳のご飯」という一まとまりのパターンとしてつらぬかれます。
このようにして、私たちの認識の中にある同一性は、共同性から決定的な力を及ぼされているようです。

改めて、次のように述べてみたいと思います。

🌱私たちは、一膳のご飯を感覚から直接認識することはできず、「一膳のご飯」という対象(一まとまりのパターン)を通して認識する。
🌱この対象の成立には「皆が共通に」という共同性が関係しており、この共同性の働きによって、同一性をその本質とする対象が成立する。
 

5(時間があったら) 共同性の観点から、「時間」の具体的例を見る。


「時間」についての考察(5)では、「同一性のもとで、変化に「時間」が現れる例」をいくつか挙げました。
今回は、これらの例について、改めて共同性の観点を加えてみます。
時間があれば、目を通してください。

🌱例1 1年ぶりに会う〇〇ちゃん

3歳の〇〇ちゃんが4歳になりました。体も大きくなり、できることも増えました。そういう変化を認めながら、〇〇ちゃんが別の人になったとは思いません。
変化しても、3歳の〇〇ちゃんと4歳の〇〇ちゃんは同じ人と思っているのです。

幼い人をそこに並べてみる共同性があります。〇〇ちゃん、□□ちゃん、▽▽ちゃんなど「幼い人」とくくられる人たちがそこに並んでいます。
〇〇ちゃんもそのうちの一人で並んでいます。その〇〇ちゃんは、皆が共通に「〇〇ちゃん」と指し示す対象です。

🌱例2 直線を引く

白紙に1本の直線を引いていく「時間」があります。刻々とペンが進むごとに、この直線は変化していきます(長くなっていきます)。そして、刻々と変化していくこのことの同一性を失わないという緊張の「時間」が流れます。
断片に断片を継ぎ足していくのではなく、刻々とですが、1本の直線を一気に引いているのです。


この「白紙に」は、実は「共同性の上に」ということです。「共同性の上に1本の線を引いていく」というのが本当のことでした。この行為は、(幻想で)皆が共通に、一つの行為として見まもっています。

🌱例3 方丈記

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
有名な方丈記の冒頭ですが、「絶えずして」が同一性、「もとの水にあらず」が変化なので、ここにも「時間」が捉えられているようです。


水の挙動と川の流れは、(幻想で)皆が共通に見ている舞台の上で進行している現象です。
そして、観察者は、この舞台の観客の一員という立場です。
共同体の一員が川の流れという対象を見ているのです。

🌱例4 小舟

小舟を浮かべ、川をどんどん下ってくる例です。小舟の操作と環境は、目まぐるしく変化します。それでも、「今この川を下る」という同一性はしっかり保たれています。
しっかり保たれた同一性における目まぐるしい変化ですので、小舟の人は、「時間」を体験します。なかなか激しい「時間」です。


これも公開競技です。川は、共同性によって設定されたコースです。もしこれが私的な行動なら、同一性など問題にならないでしょう。

🌱例5 自転車


自転車の「時間」に戻りますが、一つの駅から次の駅に進むたび、駅の認識変化していきました。
それでも、「郊外から都心への自転車の走行」という同一性は、初めから終わりまで失われることがありませんでした。


この自転車の走行者は、やはり共同体の一員です。共同体の他の一員が行ったかもしれないことを、たまたま自分が行ったのです。
「郊外から都心への自転車の走行」を記事にしたら、それは共同体の他の一員も読んで、身近に楽しむことができるでしょう。

6 同一性をめぐって


「時間」にとって同一性とは何か?は、3回にわたって掲載しました🏃‍♀️‍🏃‍♂️‍🏃‍
🏃‍♀️1回目は、定位同一性について述べました。――考察(8)
🏃‍♂️2回目は、同一性について述べました。――考察(9)
‍🏃‍3回目は、共同性同一性について述べました。――考察(10)



同一性を確かなものにしたくて、長い記事になってしまいました。読んでくださって、ありがとうございます。


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