短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(3) 駄菓子屋宇宙オデッセイ
50円玉の穴を覗くと、駄菓子屋の奥に、宇宙があった。
これまでのエモ山
女の目には、宇宙があった。
駄菓子屋で、50円玉の穴から覗き見た女子の目の中に、宇宙が広がっていた。
ガリレオばりに、あるいはケプラーを真似、なおかつハーシェルきどりで女子を遠く覗き見る俺にとって50円玉の穴は望遠鏡だった。
かつて電車の中で俺をさかさまにしたこの50円玉の穴を通して見れば、この駄菓子屋もさかさまに、重力を失い、女子の目から広がる宇宙と一緒くたになった。
駄菓子屋の宇宙。
元天才少年の俺の未知の「駄」の宇宙。
うまい棒が浮かびあがり俺の周りを衛星のように回り始めた。ビッグチョコはモノリスのように屹立し、フエラムネはピーヒャラ鳴りどんどん焼きとセッションを始めた。
そしてキャベツ太郎。
玉葱さん太郎。
焼肉さん太郎。
もろこし輪太郎。
太郎たちが口々に、話し出した。
「フォロワー5万人」
「所持金50円」
「くすくす」
「クスクス」
太郎らが俺を嗤っていた。
「駄」の分際で、俺を嗤っていた。
どんどん焼きの太鼓が俺の空っぽの腹に響く。
フエラムネのピーヒャラが、侮蔑のやいばで眉間を射した。
「悪いか!」
50円玉の穴から、俺は駄菓子たちに怒鳴った。
小さな店の中に俺の声が響き渡り、俺は駄菓子たちに言ったのだが俺をいぶかし気に見ていた女子の体をびくりと飛び上がらせる結果となった。
そんなつもりはなかったというのに。
この反応で、明確になった。「らっしゃい」などとは言いながら見方によっては可憐に見えなくもないこの女子と、俺がお近づきになる機会は失われた。
許せない。
しかも太郎らは俺の怒りなど意に解さず引き続き話し合っているのだった。
「エモツイート」
「くすくす」
「エモってエモエモ」
「所持金50円」
「クスクス」
「くすくす」
太郎らのその様子に、俺は学校の先生の気持ちがわかるような気がした。
真面目顔で教壇に立つ教師を見て生徒たちがクスクス笑うあの状況。
教師がむきになればなるほど生徒たちはおかしい。「静かに!」と強く言えば言うほどうるさくなる、あの、まったく意味を持たぬ、生産性のない時間。
「なにがおかしいのだ…」
俺はいよいよ腹が立ってきた。
学校の教師ならここでぐっと我慢する。あるいは生徒たちにおべんちゃらを使い、尻尾をきゅんきゅん振ることで自然と敵対関係がなし崩しになるよう仕向けることもあろうが俺は教師ではない。
この俺におべんちゃらなど必要ない。
どんなにキレても仕事を奪われることがない。
というか、仕事がない。
だから空腹なのだ。
駄菓子たちのことばにより、俺は自分のこの空腹の根拠を、はっきりと思い出した。
そうだ。
エモ山だ。
エモツイートだ。
エモ山の新しいエモを、AIが作り出せなくなったからだ。
「AIが悪いんだ!」
俺は駄菓子たちに言った。
「俺じゃない。AIが悪いんだ」
「おまえはさっきからなにを言っている?」
「黙れ駄菓子」
「駄菓子じゃねーぞバカ」
俺はハッとして顔をあげた。
駄菓子が答えたかと思いきや、よく聞けば、それは女子の声だった。
俺は目の前の50円玉を下ろした。店の奥から女子が俺を睨んでいた。
睨んではいるが、ああ、可憐と言えなくもない。
美人ではない。
しかしそれなりに美しい。
肩までの黒髪。宇宙を含有できるだけのことはあり、瞳は丸く大きい。
輪郭が少し長いが、これは許容範囲だ。
細い肩。しかしその手には木製バット。
チョコバットではなく、本物の木でできた、色あせたバットを、女子は手にしていた。
どういうことなんだ。
「お客さんさあ」
バットを肩に置き女子が言った。
「買わないんだったら出てってもらえる? さっきから迷惑なんだけど」
俺は目を丸くした。
「迷惑?」
「もうすぐ下校時間になるからさ、店に子供がたくさん来るの」
「子供?」
「そこにあんたみたいなのがいると、子供たちが怖がっちゃう。困るんだよね」
「困る?」
女子は俺を見据えつぶやいた。
「おまえはバックコーラスか」
俺は戸惑って尋ねた。
「…バックコーラス?」
この女子が突然に、音楽について話しだした意図を、俺ははかりかねた。
ただ、胸のあたりがざわざわするのを感じた。
それはまさに外国語を聞くようだった。意味はわからないがきっとこの女子は俺を馬鹿にしている。それだけはわかった。
クビになる前、俺はよく会社でこういう気持ちになったことを思い出した。俺をからかう上司たちのニヤニヤ笑いがキャベツ太郎のパッケージに描かれたカエルの絵に重なった。
「いや、買いますよ」
キャベツ太郎のカエルを見ながら、俺は答えた。ポリスのふりをしたニヤニヤガエルめ。
「買ってやりますよ」
俺は左手で50円玉を掲げ、右手でキャベツ太郎をひっつかむと、女子に示した。
「この金で、この駄の菓子を」
「33円です」
俺は驚いて答えた。
「33円?」
17円も余るじゃないか。
俺はあたりを見渡すと、キャベツ太郎を持った手でボンタンアメの小箱をつまみ上げた。
「じゃあ、これも」
「135円」
「ええ⁉」
俺はボンタンアメを、そっと元に戻した。
「駄」のわりに、ボンタンアメは高かった。
ボンタンとはなんなのか、結局俺にはわからずじまい。帰宅したらAIに訊いてみようと俺は考えた。
先々のことを考えると、17円は残しておいた方がよかった。
俺は50円玉を女子に差し出すと言った。
「チェックお願いします」
女子はその金を無表情に受け取ると片手でレジを開いた。
木製バットを壁に立てかけ、そのまま釣銭を取り出すかと思いきや、女子の動きが、ふと止まった。
「?」
女子は手のひらに乗せた50円玉を、しげしげ見つめる。
考えてほしい。
17円の釣りを受け取るために必要な時間は17円分以下であるはずだ。
自分の待たされ時間が17円分以上かかっているような気が、俺はしていた。
これは17円分のお釣りを受け取るに等しい待たされ時間ではない。
少なくとも5000円、いや、5万円のお釣りを受け取るくらいの待たされ時間だ。
空腹の俺は早くキャベツ太郎が食べたかった。
袋からはソースのにおいが漂っていた。
このまま待たされ続けていれば、このソースのにおいまで消費されてしまうではないか。このにおいも俺の支払った33円に入っているはずなのに。
いくら「駄」を売る店とは言え、これは商取引としておかしい。
「おかしいぞ」
レジ前で、女子もぶつぶつつぶやいている。
これはきっと、この取引の「駄」の部分を認めているのかもしれない。
認めたうえで、開き直っているのかもしれない。
なんという店だ。
しかしこのとき、俺はこの「駄」店を大目に見てやろうと思った。
この際どんな「駄」だっていいのだ。俺はこのソースの香りのする「駄」を一秒でも早く貪り食いたかった。そして空腹を解消し、帰宅し、トイレに行き、気持ちも新たにPCの前に座りたかった。
それから俺はAIを諭す。俺の強い𠮟責により意気消沈しているであろうAIを慰め、語らい、気持ちも新たなエモ山エモツイートをAIに考案させたかった。
俺の空腹さえなんとかなれば、流れは変わり、すべてがいい方向に進んでいくはずだ。
俺にはそんな気がしてならなかった。
そんな気がして、ならなかった。
女子は50円玉を見つめたまま動かなかった。
待たされ時間は6万円くらい、この「駄」店のすべての「駄」を買い占めることができるくらいになっていた。
「お客さんさあ」
女子が、俺の渡した50円玉を、あろうことか指先で、ゴミでもつまむかのように挟み、ごにょごにょもみこすりながら言った。
「この50円玉、偽もんだわ」
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