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【ダークファンタジー小説】チェスガルテン創世記【59】

第八章――ほむらの子 後編【Ⅴ】――


 再び一振り棒切れがしなった。ただの棒きれに過ぎないのに、迂闊に近づけば吹っ飛ばされて、叩きこまれれば額が割れるとさえ予感させる。
 カザドが振るうそれは、もはや戦士のどの得物よりも凶悪だった。

『皆構えろ!』

 あわやで避けた戦士が声を張る。絶句していた戦士たちは我に返って得物を構えた。その間にも二人ほど吹き飛ばされた。誰もその間合いに入れる者はなく、徐々に後退させられる。
 やがて棒きれのほうがカザドの力に押し負けた。避けられた拍子にべきりと折れて、その先がはずむように地面に跳ねかえる。

『今だ――行け行け! 回り込め!』

 勇気ある者が一歩踏み出した。長らく演習してきたとおりの綺麗な一突きであり、たとえ入らなかったとしても怯みはする。庇っても避けても次の行動に転じやすい。
 だが演習とは異なり、相手はこちらに向かって一歩踏み出し、まっすぐに腕を突き出してきた。

『あ゛っ』

 折れてささくれだった棒きれが、戦士の下顎から口腔を貫いていた。カザドは即座に突き刺した棒きれから手を離し、絶命に至っていなかった戦士の手首をひねりあげた。
 奪い取った長剣を逆手に、脇下から胸へと薙ぎ払う。身体がほとんど断絶した状態の戦士に目もくれず、そのまま次の獲物へと向かっていく。
 カザドの前に立つ者が、それこそ木端の如く薙ぎ払われていく光景に、フェンリルはしばし見入っていた。
 これが本当に、今わの際の老人の動きだろうか。

「立て!」

 反射的に縄を振りほどいて前転する。引っ張る相手がいなくなった今、こんなもの、なんの拘束にもなりはしない。落とした短剣を手に、カザドたちに続いた。
 彼らはそれ以上の言葉を交わす暇もなく、襲い来る相手を次々となぎ払っていった。振り切るという考えはもはや念頭になく、ただただひたすら、がむしゃらに、それぞれの得物を振るい続けた。
 敵を切り崩していった末か、追いやられた末かもわからない。いつの間にか乱闘は遠ざかり、気づけば開けた平野にいた。スコルとハティが、どこかでとどめを刺す音がする。
 たった二人と二匹で、よく切り抜けたほうと言える。窮地の高揚感故の、鬼神の如き猛攻だったろう。戦士たちからすれば、敗北神の化身がふたつに分かたれてるようにも見えていた。だが確実に限界は近づいていた。
 そろそろ本気で撤退をと思った矢先、ぐらりとカザドが傾いだ。

「じいさん」

 フェンリルが駆け寄ると、カザドは膝をつき、額に脂汗を浮かべて血を吐き出した。

「――トルヴァはどうした?」

 水混じりの息で、カザドは言った。

「なんで、お前とハティだけなんだ……」
「先に行かせた。おれは、居住地に行こうとして」
「居住地はもう駄目だ。誰も残っちゃいない。チビ共もいなかった。それに……」

 カザドは何かを言いかけて、思い直したようだった。首をかすかに振り、喉につかえていたものを吐き出すように咳こんだ。

「……山壁の抜け道も駄目だ。それ以外の退路を考えろ。また、あの山に、引き返すでも良い。とにかく、ここは、これ以上はもう駄目だ」
「舟が――あるんだ。おれたちが来た時とは別の、船着き場がある」

 カザドの顔がみるみるうちに土気色になっていくのを見て、フェンリルは焦燥のままに言いつのった。

「アーレってガキが言ってた。きっとみんな、そこにいる。トルヴァはそいつと――そいつに案内させた。だから今頃は、もう」
「馬鹿野郎」

 カザドは血泡を飛ばしながら、がなりつけてきた。

「優先順位を間違えるなと言ったろうが。なんの為に二人でつるんでやがんだお前らは! ああ?」

 拳骨を振りかぶったが、一歩届かず地面に落ちた。

「行く先がわかっていて、何をしてる。そのガキと三人で、逃げる算段をつけるのが当然だろう!」
「三人じゃ、馬が限界だったんだよ! それにあんたは――」

 ふいに頭を掴んで引き寄せられた。
 間近に迫ったカザドの眼光は未だ鋭く、厳しかった。

「自分ひとりでなら逃げ切れると……高ぁくくってんのが丸わかりなんだよ。おつむの足らねぇくそガキめが! お前のやったことは、勇気ある決断でもなんでもない。いい加減、自分の力量を、弁えろ!」
「馬鹿なことしたってのは、わかってる……」
「……まぁ……浅薄なお前らにしちゃあ、よく判断つけたほうか……」

 そのまま無造作にひと撫でされて、フェンリルはおののいた。

「言えるうちに言っておく――悪かったな」

 剣呑さの中に、呆れと諦めが浮かびあがっていた。

「俺のわがままにずっとつきあわせて……お前らのことを……ずっと手放せないままで、とうとうこんなことになってしまった」
「やめろ」

 フェンリルは懸命に唾を飲み込もうとしたが、口内に湧きでるものが何もなかった。

「聞きたくない」
「まあ聞けよ。今しかないんだ」

 カザドの声はこれまで聞いたことが無い程、優しく、穏やかだった。

「俺はな……長いこと、人間扱いされないできた。だから、俺も誰のことも人間だとは思わないようにした。……見せしめのつもりで、これまで世に憚ってきたんだ。この世は……俺にとっちゃ、地獄以外の何ものでもなかった……」
「やめろって言ってんだろ!」
「お前と会って、俺は初めて後悔ってものを知った」

 耳を塞ぐこともカザドの口を閉ざすこともできない。
 カザドは、晴ればれと笑った。

「だからな……なんだ……その……お前のおかげで、地獄も案外、悪くないと思えるようになった」

 それはフェンリルが言いたいことだった。
 カザドがいたから、フェンリルは生きてこれた。この人のようになりたいと。なれればきっと、かつて救えなかった人だって、今度こそはと――。

「おれが馬鹿なのは、わかってる。わかったから。だから」

 何年だって、何度だって、理不尽に怒鳴りつけてきそうな気がする。
 たとえどんな窮地でも、どんな地獄に向かっていても、この人がいれば負けなしとさえ思える。
 なのにカザドの喉よりも奥、胸の内から、破れたようにひゅうひゅうとかすれる音がして、鳴りやんでくれない。

「だから、死なないで……」

 いつの間にかフェンリルの手は、ヘイルの腕輪を掴んでいた。
 こんな風にすがりつきたくはない。こんな気持ちで、この人を見送りたくはない。
 なのに、とうとうこぼれ出てしまった。

「……なんて顔してる」

 カザドが鼻で笑った。
 どんな顔だろう。
 今、どんな顔でこの人と向かい合っているのだろう。

「……よし……よし。行くぞ」

 しばし逡巡したあと、カザドは口元を拭って立ち上がろうとした。

「行く所がはっきりしてるなら、そこへ、行けばいいだけだ……大川を利用してるんなら、だいたいの見当がつく。……もう充分蹴散らした。そら、行くぞ……」
「じいさん!」

 フェンリルは叫んだ。がくりと膝から崩れ落ちたカザドの身体を支えきれず、そのまま二人で倒れ込んでしまった。
 カザドはわなわなと震える手で胸元を探り、小さな包みからこぼれ出た黒い丸薬を、わしづかんで口に運んだ。

「なんだ。それ」

 フェンリルの問いに答えず、咀嚼して飲み下す。その間にも咳は続き、血と共に丸薬もいくらかこぼれ出てしまった。

「まぁ待て……ちょっと、待ってろ……いま……いま……」

 ぶつぶつと繰り返したのち、カザドは長剣を支えに上体を起こしたまま、動かなくなってしまった。

「おい――なんなんだよそれは! じいさん!」

 さすがに毒ではないと思いたかった。フェンリルはとっさに馬を探してあたりを見渡し、角笛の音を聞きつけた。遠目に集団が見える。気づかれている。ここまで来るのも時間の問題だった。
 足元が滑ってよろめき尻もちをつく。血のにおいが濃く鼻をついた。そこに広がるのは、カザドの血溜まりだった。

「駄目だ」

 恐怖にかられてフェンリルはカザドを引っ張った。
 しかし彼の瞼は震えて閉ざされ、すぐには目覚めそうにない。動かせない。こんな、囲まれたらおしまいの、開けた場所で――あちこちに亡骸が転がる所で。
 道中、嫌でもそれらは目に入っていた。
 合わせてみれば、世界の支柱ユグドラシルの破片に集まっているよりもずっと少ないだろう。それでも、追われ、逃げ惑い、逃げ切れなかった人々がいる。訳もわからない暴力にさらされ、悲鳴を上げた人がいる。
 燻り出した木立や、家畜小屋があった。焼け焦げた馬を見た。炎と血のにおいばかりがむせかえる。前にも、まったく同じことがあった。
 そうして今、再びフェンリルたちは女神の手の中に堕ちようとしている。
 旺盛だったはずの心が、急速に萎んでいくのを感じた。フェンリルは、あっという間にヴァナヘイムのあの夜へと、引き戻されてしまっていた。

(……巫覡ヴォルヴァが、あそこまでしても駄目なのか)

 あれほど老成した力ある人が、自らの命を賭しても、この世にもたらされたのはほんの片鱗にすぎなかった。
 あれほどの犠牲、あれほどの祈りをもってしても。これほど求められていても。
 未だ、神は現れない。
 ならばきっとそんなもの、二度とこの世に生ずるものではないのだ。
 信じていないと言いながら、本当はフェンリルこそが、誰よりもその存在を信じ、到来を待ち焦がれていたのかもしれない。
 蹄の音が近づいてくる。視界の端で追い立てられるスコルとハティの姿があった。矢がぱらぱらと飛んでくる。当たりそうで当たらない、威嚇の矢。
 フェンリルはゆっくりと立ち上がった。
 たとえ何が起こっても、誰が倒れても、足は動く。そう叩きこまれてきた。教えに従ったというよりも、そういう習慣が染みついている。
 何より、迫りくる敵に、背を向けて死ぬのは嫌だった。無防備なカザドが、されるがままになるのも嫌だった。
 自他共に満身創痍だ。だがまだ動く。まだ動ける。あの時とは違う。終わってなどいない。まだ終わりじゃない。同じようになど、なるものか――。
 ふと――痛みも疲れもどこか朧ろ気になりだした。
 手足が、身体が、遠く、淡い――。
 重ったるい肉体と、軽やかな魂との境が、今、極々淡い。かわりに風のにおいだけが、どこから流れてどこに向かっているのかが、手にとってわかるほどに濃くなっている。
 その風にのって声がする――あれは、巫覡ヴォルヴァの長屋でもよく聞いていた――彼の歌声ではなかったか?
 これまでにも、似たような感覚に陥ったことが何度かあった。
 でもいつも、あと一歩というところで失墜していた。
 今は、あれほど難しかったことが、望んできたことが、ほんの少し爪をたてるだけ、つま先を伸ばすだけ、ただそれだけで、簡単に叶うところまで来ている。
 なのに何をそんなに、渇望してきたのかがわからない。
 ……実際にことを起こしてみて初めて、理解することなのかもしれない。
 ……いざ挑むとなれば、戻ることはあたわないような気もする。
 ……でも。
 今この時に、天王も女神も現れないのなら。
 誰かが立つしかない。
 誰かが。
 成るしかないのだ。
 それ・・に匹敵する何者かに。

 乾いた唇が、引き結んだ拍子にぴりりと裂けた。
 裂け目から血がぷくりと湧きあがる。
 一筋、顎をつたって落ちた時、大気のにおいが変わった。

      *      *   *

 口元を、生暖かく湿った物がくりかえし這う感触に、カザドは覚醒した。
 瞼が大層重く、視界がぼやける。何度か瞬き、長剣に身を預け膝をついた姿勢のままでいたと気づいた。
 琥珀色の瞳を持つ黒狼が、しきりに顔をなめていた。

「……スコル」

 カザドは愕然とした。このような窮地で――しかも身を隠せる物もほとんどないこんな平野で、なんと言う体たらくだろう。

(――いったい、いつから。どれほどの間)

 呼吸が楽になっており、手足に力が戻っていた。直前に飲んだ丸薬の効果が、如実に表れている。即効性があるとはいえ、それほどには時がたっていた。
 周囲をさっと見渡して身構える。すぐ側にはスコルとハティしかいなかった。

「おい、フェンリルはどうした」

 ハティはカザドが意識を取り戻したと知ると、すぐさま纏わりついてきた。
 鼻面から顎まわりにかけて、赤く汚れている。獲物を仕留めたことを褒めてほしいのかと思ったが、そうではなかった。
 耳を伏せ尻尾を股の間に挟んで、切なげに鼻を鳴らしている。ハティは何かに怯えていた。一見落ち着いて見えるスコルのほうも、全身の毛がぶわりと膨らんでいる。
 訝しみながら、カザドは側頭をとんとんと叩いた。山を下ってからこちら、片耳がおかしくなっており、どうにも水の中のように音がぼやけている。
 そうして耳に戻ってきたのは、戦いの喧騒というよりも、恐怖に満ちた悲鳴だった。

「――なんだ」

 カザドはそれがなんなのか、はじめ、わからなかった。それは揺らめいで踊る青白い炎に見えた。
 炎には淡く発光して縁取られた、人間の輪郭があったのだが――頭髪はもちろん、目鼻や手足といった人間の造形を、当たり前に持っていたに違いなかったのだが――何故かそれらを結びつけて、人の形として捕えることができなかった。
 手足も肉薄する身体もそれぞれ独立してばらけ、動きに規則性が無く、二足で立つ獣のようでもあった。
 背を向けて逃げ惑っているのは女神の戦士たちだった。初めこそ威勢よく迎え討とうと立ちはだかり得物を向けた。
 だが炎を纏う獣は、相手が何を向けているかなどお構いなしだった。攻撃をよける素振りがなく、ただましろな牙を振りかざすことにのみ、ひたむきでいる。
 その牙に撫でられ、突き立った途端――戦士が絶叫を迸らせた。

「ぎゃっ! あっ――はぁっ――う、あ゛、あああ゛あっぁぁ゛あ゛あ゛ぁぁあ゛あぁ!」

 戦士は背や胸をがりがりと掻きむしって悶え苦しんだあげく、突然動かなくなって顔面から倒れ伏した。獣と対峙した者は皆そうで、かろうじて避けたとしても蹲る姿勢で呻いていた。
 牙が――キンと白く凍てついた短剣が刺さった箇所が、焼き鏝をあてたかの如く音をたて、蒸気を昇らせていた。
 服を脱がせることができたなら、短剣で撫でられた戦士の皮膚が、血も噴かずに青黒く変色し、細かなあぶくをたてていたのがわかっただろう。
 突き立てられたその傷から心の臓までが、同じく沸騰したようになって壊死したのもわかったに違いない。
 遠目にその光景を見て、カザドはぞくりと悪寒が走った。
 カザドはその所業から、伝説の戦士、狂嵐の獣ベルセルクとまで呼ばれ忌み嫌われてきた。畜生よ、外道よとそしられてきた。
 同族殺しの罪人がどうした。裁けるものなら裁いてみろ。殺せるものなら殺してみろと開き直り、誇らしく思っていたことすらある。
 だがそんなものは所詮、人間の枠組みの中での話に過ぎなかった。
 許す、裁く。許さない、裁かないといった話ではない。あれにはそんなもの通用しない。
 抗う意思を、あらかじめに挫いてくるものだ。
 人間のことわりの通じぬものが――解き放ってはならなかったものが、今、この世に顕現し、すべてを平らかに、薙ぎ払おうとしている。そう、全身が、魂が、訴え叫んでいる。
 そして獣は、彼の養い子の輪郭をしていた。

「……フェンリル」

 長剣を支えに、カザドは立ち上がった。
 ぐいと、引っ張られる感覚を覚えて下を向くと、スコルが彼の外套の裾に牙をたてていた。
 鼻面に皺を寄せて唸るスコルは四肢を突っ張り、彼を先へは行かせまいとしていた。

「行くなというのか」

 あれは破滅の権化であり、立ち向かうようなものではない。近づけば敵も味方も無く、喰らいつくされるだけ。
 誰であれ、できるのは逃げることだけだと、カザドもどこかで理解していた。

「……そういうわけにも、いかねぇよ」

 あの力の正体がなんであれ、ふるう者すらも蝕む極悪なものには違いない。でたらめな動きをする青黒い手が、そのことを物語っている。
 カザドはスコルの顎を振りきった。裂けた頬の刺青から新たに血が滲んでおり、腕を振っただけでぽたぽたと垂れ落ちる。
 軋む身体をおして、カザドはもつれる手足を動かし吠えた。

「フェンリル戻れ――戻ってこい!」


【次話】



【他本編】

これまでとこれからと。

【登場人物のらくがき】

登場人物とか、小説ワンシーンとか、あれとかそれ。

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