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ここは日本?天理教の聖地に迷い込んだ日|レトロと不思議が交差する町歩き



妹と二人で大阪を旅した時の話。
「せっかくなら、普通の観光地じゃないところに行ってみよう」

そう言って妹が選んだのは、天理教の聖地・天理市だった。

事前に調べた情報によると、天理市は天理教の教会本部を中心に発展した「宗教の町」として知られる。
宗教に馴染みのない私にとって、その響きは未知の世界への入り口。好奇心と、少しの緊張感をもって天理駅に降り立った。



遠近感がバグる、巨大建築の街


駅を降りて、まずは商店街を歩いた。商店街を歩いていると、信じられないほどの巨大な建物に遭遇した。

そびえ立つ病院や役所、大学……。広大な敷地、何棟もの巨大な建物が連なっている。その一つ一つが、スケール感を狂わせるほどにバカでかい。
まるで北朝鮮のプロパガンダ映像に出てくるような、あるいはSF映画に登場する未来都市のセットのような、非現実的な風景が広がっていた。

デザインも通常みることのないような、どこか異国を感じさせる朱色や白の色使い。特徴的な屋根の形や柱の模様。

本殿のようなところ


「こんな景色、日本で見たことない」

思わず妹と顔を見合わせた。そこは、私たちが普段暮らす「日本」というよりも、どこかに違和感を感じる、誰かが作った架空のAI都市のような、不思議な空気に満ちていた。



今日は「こどもおじばまつり」の開催日


大阪・西成のホテルを拠点とした3泊4日の旅、初日のこと。

ホテルに荷物を降ろし、最寄り駅から1時間ほど電車に揺られて天理駅に着いた。そこには宗教勧誘らしき人がいたため、どうにかかわしながら改札を抜けた。

駅を出ると、景色は「きれいで今っぽい感じ」だった。円形のモニュメント兼子どもの遊具があったり、おしゃれな建物が並んでいたりする。
東横インやコンビニ(セブン、ファミマ)もあり、比較的他の市と変わらないように見えた。

駅前の風景

しかし「ようこそ、おかえり」という文字があらゆる場所に大きく書かれていた。これは何だろう?いたるところに貼ってあるポスターを確認してわかった。

その日は「こどもおじばまつり」の開催日だったのだ。

おぢばがえりとは「ぢば(天理教の故郷)」へ帰る意味で、信者が宗教の原点へ戻る精神的な帰省のようなものです
こどもおぢばがえりは、毎年夏に開催される子ども向けの祭典。ぢばへ帰り、仲間と行事を体験することで心を育むイベントです

天理時報オンライン、tenri-minou.com、天理時報オライン、こどもおぢばがえり、tenrikyo.or.jp他

やたらと子どもや親子連れが多いと思っていたが、それで合点がいった(普段はどうか知らないが)。

キッズ向けのデザイン



活気あふれるお祭り、タイムスリップした商店街


駅付近を後にし、天理市のメインストリートの商店街へと向かった。

駅周辺は近代的な施設が建ち並んでいたが、一歩商店街に入ると、まるで時間が止まったかのよう。
私が子供だった2005年頃の雰囲気をそのまま残したかのような、懐かしいレトロな空気が流れていた。全部が懐かしい。
「私が小学生だった頃の空気が、ここにはまだ残ってる」 と思いにふけった。存在してるけど、存在してないような。

かなり前のタイプの100均看板


お祭り期間中ということもありたくさんの屋台が並んでいる。おいしそうな匂いが漂う。
子供たちが走り回り、出店を楽しんでいた。「なんだか、みんな幸せそうだな」

 宗教都市というと、閉鎖的で厳かなイメージがあったけど、ここには温かさと活気があった。

お店の人や道行く人々は皆、楽しそうに笑っていて、その笑顔はとても穏やかだった。何かにすがるものがある、心の拠り所があるということの幸せを、彼らの表情から感じ取った気がする。

物価も安く、カツ丼が500円、かき氷が300円。心も財布も温かくなるような、そんな場所だった。 「この町は競争とか、資本主義とか、そういうものからちょっと外れてるのかもしれない」 そんなことをぼんやり考えながら、歩いた。

どこまでも続く商店街アーケード


その商店街で、私は妙に惹かれるTシャツを見つけた。

その商店街で、私は妙に惹かれるTシャツを見つけた。「ノーワークマン」と書かれた、面白いパロディTシャツだ。800円だった。
ただいま無職ということもあり、買わずにはいられなかった。天理土産がこれ、という面白さに思わず購入した。

(無職になった経緯はこちら)


まとめ


天理の旅は、想像をはるかに超える体験だった。

非現実的な巨大建築と、温かくて懐かしい商店街。この二つが混在する街は、ただの観光地とは一線を画している。
現世から隔離されているような、時間が止まったようなそんな街。

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」を見た後のような余韻やエモさを感じた。

「宗教」と聞くだけで、日本においては、デリケートなもの、悪く言えば恐ろしいものとされていると思う。しかし今回の旅で考え方が変わった。

宗教団体と信者が合意の上で、共存ているような気がした。独自の宗教ルールがあって、それはその宗教における憲法みたいなもの。宗教に信者は共存していると感じた。何かを信じることは生きやすくなる術なのかもしれないと思った。
天理教では「感謝・慎み・助け合い」を重きに置いているという。それは平和につながる大切なことだと思う。

日常を忘れ、少しだけ立ち止まって考えさせてくれる。そんな不思議な魅力に満ちた天理の街に、またいつか訪れてみたいと思う。

拙い文章ですが最後までのご拝読ありがとうございました。

また大阪の旅の内容など書いていきます!!



※本記事は、筆者が天理市を訪れた際の個人的な体験と感想を記録したものです。
特定の宗教や団体への勧誘・否定を目的としたものではありません。
宗教や文化に関する内容は、個人の価値観に深く関わるものです。ご意見やご感想は尊重しつつ、互いに敬意をもって交流いただければ幸いです。


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