幕間3 桜の帰宅
*注意*
本作は『ジョジョの奇妙な冒険』および『クレイジー・Dの悪霊的失恋』をもとにした非公式の二次創作です。
原作および出版社とは一切関係ありません。
おもいっきりネタバレしています!!!
花京院明子はため息をついた。
一昨日の夜、花京院家は強盗に入られた。
明子も夫も昏倒させられ、その後の記憶がない。
犯人は逃走し、別の部屋にいた姪の涼子が警察を呼んでくれたのだそうだ。
蔵から何か持ち去られたが、明らかに荒らされた様子はなく、収蔵品も多いことから後ほどゆっくり確認して、盗難についての被害届を出す手筈となっている。もちろん不法侵入や暴行についてはすでに警察が対応済みだ。
気がついた時には、夫の古い友人である良平を含めた警察が屋敷内で慌ただしく動いていた。同じく夫の古い友人で医師の篤も駆けつけ、2人の診察をしてくれた。
痛みも外傷も全くなかったが、念の為とぶどうヶ丘総合病院で検査を受け、異常なしと診断された。
良平や篤に言われ、昨日は一日夫婦でゆっくり自宅で過ごした。
しかし、涼子は昼過ぎから、家のランクルを借り何処かへと出掛けて行った。
そして帰ってきたのは、今朝だった。
涼子は夫の弟の大事な娘だ。高校卒業し短大に入学予定とはいえ、嫁入り前の娘が朝帰りなんて、いかがなものだろうと思ったのだが……
いや……夜中に電話が来た……気がする……
それを聞いて……彼らと一緒だから大丈夫だろうと思って……
……思い出せない……
……彼らって……誰……?
どうも、昨日から記憶が曖昧なところがある。
一昨日殴られて気を失った影響だろうか。
異常なしの結果だったはずだが。
ともかく、先ほど帰宅した姪は、泣き腫らした顔に何処かさっぱりしたような笑顔を浮かべ、なぜか両手が泥だらけだった。
心配をかけた詫びを述べると、シャワーを浴びた後少し休むと自分が使っている部屋にこもってしまった。
呆れるやらホッとするやらで、そんな姪の後ろ姿を見て、いつもの家事を再開した。
花京院家は広大だ。
維持にも多大な労力がかかる。
明子は、庭の落ち葉を掃き清め、使わない部屋の埃を落とし、廊下の壺のくもりを拭いつづけている。毎日毎日。
ため息を飲み込んで、涼子が使った後の浴室を掃除することにした。
象牙色に梅が入った紬を襷掛けにし、ゴム手袋をはめて、ゴムの長靴を履いて、洗剤をつけたスポンジでタイルを擦る。
この春、涼子は、高校を卒業し短大に合格した。
その報告に、春休みを利用して、京都から杜王町へ泊まりにやってきた。
以前は、長い休みに家族そろって一緒に旅行に行き、互いの家に泊ったりしていた。
しかし、あの後からそういった交流はなくなり、年始の挨拶ぐらいだった。
それすらも明子は欠席しがちだったから、涼子とゆっくり会うのは本当に久しぶりだった。
もうそんな大きくなったのか、と驚いた。
記憶にある涼子は、ずっと小さな女の子のままだったから。
涼子はずっと、従兄弟に当たる典明のことを好いていてくれた。
涼子が嫁に来たらどうしようと、考えたこともあった。
あの子は幼子の気まぐれだと思っていたようだったが。
だから、あの後、涼子も非常にショックを受けていたのだそうだ。
典明と同じ髪型をして、肩身のイヤリングと腕時計をつけ、同じような口調をするようになったと、義妹からは聞いていた。
実際久しぶりに会った時は、典明と同じ伸びた背筋に大人びた口調で話していた。
それを見て、懐かしいような悲しいような、不思議な気持ちになったものだった。
ただ。
一昨日の強盗事件の前に帰宅してきた時には、涼子は伸ばしていた前髪を切り、形見分けしたさくらんぼのイヤリングも外していた。
墓参りをして、何か気持ちに変化があったのかもしれない。
その方がいいのだろう、と明子は思う。
いつまでも10年前のあの子に囚われるよりは。
涼子は若いのだから、これからいくらでも新しい出会いがあるはずだ。
でも。
でも、私は。
鏡をみると、あの子によく似た自分の顔が、年齢分しっかり老けていた。
この10年毎日毎日鏡を見る。
そしてその度に、あの子を思い出した。
とても頭のいい子だった。
自慢の我が子だった。
私には勿体無いぐらいの、いい息子だった。
旅行に連れていくときはいつも喜んでいた。でもなぜか、帰り道は少しがっかりした様子になっていた。
あの子はどこへ行きたかったのか。
自分にもわからないけど、どこかへ行きたい、そんな様子に見えていた。
あの時、エジプト旅行から、おかしいと感じていた。
涼子が迷子になって、迎えにいって連れてきた、あの後。
いうことも話し方も何もかもいつも通り。
なのに。
何かおかしい、何か変。
いつものあの子とは違う違和感を感じていた。
エジプトで何があったのか。
なぜあの時もっと聞かなかったのか。
そうしたら──あんな結末にはならなかったのかもしれない。
ふと涙が溢れて、ゴム手袋に落ちた。
どうして? どうしてなの?
何が不満だったの?
何を考えていたの?
荒巻さんとこの雄一くんは、亀友に就職したんだって。
上杉さんとこの由美子ちゃんは、結婚したよ、今後お子さんが生まれるんだって。
あの子は17のままなのに。
どうして、どうして。
どうして、どうして。
何百、何千、何万回と答えのない問いを繰り返した。
辛い。悲しい。苦しい。
あの子の所へ行きたい。
あの子のいない人生は生きていたくない。
あの子に、会いたい。
手首を切った。
これであの子に会えると思った。
死ねなかった。
目が覚めたら、病院のベッドで、横の椅子には夫が座っていた。
「母さん」と静かに私にいった。
──典明のところへ逝きたいのか。
──なら、僕も一緒に逝こう。
──あの子も君もいない人生は、生きられないよ。
ずるい、と思った。
「母さん」と私を呼ぶ夫の声は、涙が出るほどあの子にそっくりだった。
明日にはあの子に会えるだろうか。
明後日には……
来週には、来月には、来年には……
毎日毎日そう思って、
10年が過ぎた。
掃除をし、洗濯をし、庭木の手入れをして、買い物をし、食事を作り、食べて。
そうして生きている。
あの子はもう何も食べられないのに。
あの子はもういないのに。
それなのに生きている。
それでも生きている。
もう触れない赤い髪の感触を思い出す。
もう見られない瞳を思い出す。
あの子はいつも遠くを見ていた。
あの瞳で何をみていたのだろう。
あの子を愛していた。
あの子も親を想い大切にしてくれた。
私たち親子は、互いに想いあっていたのに、なぜか分かり合えなかった。
それでも愛していた。
あの子の全てはわからなかった。
それでも、あの子の全てを、愛していた。
物思いから戻り、今度は洗面所の掃除に移ろうと、明子は浴室の窓を開けた。
その時、庭から、桜の花びらが、浴室の中に舞い落ちてきた。
まだ咲いていないはずの桜が。
手にとって首を傾げて。
それから、
「父さん、母さん、ただいま帰りました」
声が。
まさか……まさか……
ゴム手袋を放り出して、明子は走り出した。
夫ではない。
あの声は……まさか……ありえない……
……でも……確かに……
たどり着いた玄関の取次に、
さくらんぼのイヤリングが、
2つ並んで置かれていた。
