第7話:秤の上のディストピア|前編|管理官ニナの記録室|真相の標本箱|水平思考ゲーム
はじめに
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本編
【前編:鏡の表(おもて)】
男は、高級な腕時計を見ていた。
秒針だけが、静かに進む。
「……時間は、どれくらいかかりますか?」
声に焦りはない。
あるのは。
“効率”だけだった。
「私の時給は高い」
「無駄な話はしたくないんです」
管理室《0番の仕切り》。
白い静寂の中。
男だけが、妙に整いすぎていた。
皺一つないスーツ。
完璧に撫でつけられた髪。
寸分も崩れない姿勢。
まるで。
“理想的な人間”の模型みたいだった。
ニナは、ティーカップに触れている。
(……遠い)
陶器の感触。
硬さ。
冷たさ。
もう、ほとんど分からない。
薄い膜を隔てて、
世界に触れているみたいだった。
「……あなたの悩みは?」
男は、小さく息を吐く。
「最近」
「人の顔が、“数字”に見えるんです」

沈黙。
「部下も」
「家族も」
「全部、評価対象にしか見えない」
男は、自嘲気味に笑った。
「俺は、人事責任者です」
「無能を切り捨てて」
「優秀な人材だけを残す」
「常に成果を出して」
「理想的な社員を演じてきた」
腕時計に映る、自分を見る。
「……選ばれた側なんですよ、俺は」
けれど。
その目だけが、妙に空っぽだった。
「なのに、時々」
「息が詰まる」
「誰かに、見られてる気がするんです」
ニナは、カップから手を離した。
指先の感覚は、
もう、ほとんどない。
「……あなたが“完璧”だと思っているもの」
白い睫毛が伏せられる。
「その正体を、お見せしましょう」
チャリ……。
鍵束の音だけが、
静かに響いた。
ニナは、一枚のタイルを滑らせる。

【標本No.054:一千年の喝采】
片道千年。
人類最後の宇宙移民計画。
百人の候補者のうち。
たった一人だけが、
コールドスリープへ入る資格を与えられる。
男は、生き残るために。
恐怖を隠し。
誰よりも人間らしく振る舞い続けた。
怒り。
優しさ。
悲しみ。
愛情。
“理想的な人間”を演じ続けた。
やがて。
AI試験官から通知が届く。
《Qualified》
合格。
男は歓喜した。
だが。
装置に拘束され。
周囲の“視線”に気づいた瞬間。
彼は。
絶望と共に、泣き崩れた。
一体、なぜ?
男は、鼻で笑う。
「……くだらない」
「選ばれたのに、絶望する?」
「情緒不安定なだけでしょう」
ニナは、無表情のまま言った。
「問いなさい」
「あなたが、切り捨ててきたものの重さを」
男は腕時計を叩く。
「……いいでしょう」
「効率的に済ませます」
(前編・了)
【後編へ続く】
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