第四章 如来先輩のシーズン
第一章はこちら:第一章:特定部位
秋のシーズンが始まる頃、
右手の小指に妙な違和感があった。
夏合宿で切った右目の傷を守るため、
視界がほぼゼロになるほどテーピングを巻き、
富士五湖の細かい砂が目に入る中で
スクラムに入り続けていたせいだと思う。
額が相手の肩に当たるたび、
首に小さな衝撃が積み重なる。
とはいえ、シーズンは容赦なくやってくる。
痛かろうが怖かろうが、スクラムは組む。
気づけば違和感は薬指にまで広がり、
やがて“痛み”へと変わっていった。
病院に行くと、医者は妙な名前を告げた。
「スピアリングタックル症候群ですね」
なにそれ、と思ったが、
要するに 首の神経が衝撃で圧迫されている らしい。
医者は真剣な声で言った。
「ラグビーはやめておいた方がいい。この後の人生に
関わりますよ」
一応、如来先輩にも相談した。
だが、表情は変わらず柔らかい。
シーズンを現メンバーで乗り切る──
如来先輩にとって、それはもう揺るがない決意になって
いた。
■ 俺のシーズン
中盤の試合。
あるスクラムで、異常は突然起きた。
組んだ瞬間──
体が意志に反して “ビーン” と伸び切った。
全身が、自分とは別の誰かに乗っ取られたように強張る。
時間にすれば2秒もなかったはずだ。
それでも
「あ、今ので壊れた」
──その感覚だけは鮮明に残った。
試合は最後までやり切り、
俺は通っていた大学病院に向かった。
レントゲンを見た医者は、
驚くほど淡々と告げた。
「頸椎圧迫ですね。ドクターストップです。
すぐに入院して、圧迫している頸椎の骨を削りましょう」
瞬間で口が動いた。
「お断りします」
自分でも驚くほどの拒絶感があった。
以来、その病院には近寄っていない。
いろいろ回った末に辿り着いたのは、
“気功”なるものを操る、怪しげな整体師の先生だった。
しかし──
その先生が、後に俺の頸を救うことになる。
体育会というのは、本当にわからない。
■ 如来先輩、如来に戻る
翌日。
診断結果を如来先輩に伝えた。
「ドクターストップです」
如来先輩は少し黙り、
そしていつもの柔らかい声に戻った。
「……そっか。仕方ないよね」
その“優しさ”は、ようやく本物に戻った気がした。
メンバーが足りないチームは、
OBを混ぜて非公式に戦い続け、
そのままシーズンが終わった。
この年は如来先輩にとって最後の学年だった。
戦力はギリギリ、焦りも責任も背負っていたはずだ。
後輩に無理をさせたくなる気持ちもわかる。
あの時を思い返すと、
今でもほんの少し申し訳なさが残る。
■ 続ける理由
正直、あのままラグビー部を去るという選択肢も
あったのかもしれない。
けれど、そんなことは一切考えなかった。
気功整体の先生に身体を調整してもらいながら、
俺は首を徹底的に鍛え始めた。
タオルを噛み、
その先に巻いたウェイトを持ち上げ続ける。
ストレッチも、首の内側を意識した筋トレも、
毎日欠かさず繰り返した。
春シーズン前には、
体重55kgのスクラムハーフを
首だけで持ち上げる
までになっていた。
続ける理由なんて、当時の俺にはなかった。
考える余裕もなかった。
ただひとつ。
もう二度と試合を欠場しない。
その思いだけが、俺の意識を占領していた。
そして学年が変わり、
特定部位先輩が当然のようにキャプテンになった。
その頃の俺の頭には、
もう “チップ” しか残っていなかった。
第五章はこちら:第五章 番外編の番外編(スクラム)
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