第三章 悪魔のひよこ
第一章はこちら:第一章:特定部位
ラグビーを始めて数カ月。
新しく1年生も入り、春の練習試合シーズンもなんとか乗り切った。
というか、気がついたら自然と3番をやらされていた。
替えがきかない、前列の中でも特に“壊れやすい”3番。
そして──初めての夏合宿がやってきた。
2番には1年生の「シュー君」。
肩幅がデカくて丈夫そうという理由だけで、問答無用で
フッカーにされた男だ。
■ ケガの内に入らない
初日の練習試合で、敵の頭が当たったのだと思う。
目の上をざっくり切った。
四針ほど縫ったはずだ。
「これで合宿中は軽めの練習になるやろ……」
「糸抜くまで安静でいけるやろ……」
そう思っていた。
当時の部長はバックスで、ポジションはフルバック。
背は低めだが、顔が整いすぎている。
まるで観音如来のようだった。
以降、この先輩を 如来先輩 と呼ばせていただく。
ケガをした翌日の晩飯時。
如来先輩は、あの柔和すぎる顔から絶対に出てこないと
思っていた言葉を発した。
「あのさ……明日……出れるよね?(てへっ)」
いや、“てへっ”のテンションで言っていい言葉じゃない。
だが、人数が少ないラグビー部なら当然でもある。
誰もがケガを抱えながら、なんとかシーズンを
やり切るのだ。
如来先輩が外道なわけではない──
が、あの瞬間だけは、整った顔の悪魔に見えた。
■ 酒を飲んでも眠れない
その日から合宿が終わるまで、
俺はまともに眠れなくなった。
· 明日また怪我するかもしれん
· このままやって大丈夫なんか?
· 俺、なんでここにおるんやろ?
そんな思いがずっとぐるぐる回る。
一階食堂の自販機でビールを買い、
タバコを吸いながら飲む。
戻って布団に入る。眠れない。
また一階へ行く。
朝4時まで続けて、眠ったと思ったら5時起床。
10時まで普通に練習して、飯。
1年生とフォワードは一日どんぶり飯5杯必須という
特定部位先輩の謎ルールがあり、
シュー君が泣きながら米をかき込んでいた。
「もう無理ですぅ……」
あれは俺の中で名言として刻まれている。
1年生は口を揃えて「あれだけはつらかった」と言うが、
その横で俺は黙々と6杯食い、少しでも昼寝していた。
“つらい”という言葉にすら到達しない。
本当にしんどいとき、人間は無言になる。
それでも、練習や試合以外は普通に楽しかったし、
よく笑った。
だからこそ、この頃から俺の感性は壊れかけていたの
かもしれない。
■ ガチの悪魔は、物腰が柔らかい
合宿前、費用を稼ぐために先輩の紹介でゴルフ場の警備
バイトをした。
そこで知り合ったのが──関西Aリーグの“悪魔”だった。
風呂で見た体は小太りなのに、明らかにガンダムの
強化骨格。
スクラムのやりすぎなのか、頭の毛が全面的に
削り取られていて……
どう見てもひよこ。
以降、この先輩を ひよこ先輩 と呼ばせていただく。
なぜかバイトを紹介してくれた先輩と気が合い、
ひよこ先輩は合宿にも来てくれた。
合宿中の記憶はほとんどない。
だが──
これだけは鮮明だ。
■ ひよこ、暗殺モード
練習試合。
相手のペナルティ。
敵フォワードが塊になり、モールの準備をしている。
ひよこ先輩が10mラインにスッと入った。
「1番入ったぁ……」
語尾が完全に時代劇の暗殺者。
ただし、こっちは本物だ。
ひよこ先輩は俺に左手を差し出す。
(あ、握るのか……?)
手を伸ばしかけて、圧倒的な嫌な予感が走り、反射的に
引っ込めた。
「あ、そうか。じゃあ俺は一人で行くね」
そんなテンションで、ひよこ先輩は敵を待つ。
敵がボールを少し浮かせて蹴り、前に出てくる。
ひよこ先輩、走り出す。
俺もついていく。
スローモーションのように見えた。
普通、タックルには一瞬の“間”がある。
相手を見て仕留めるための、小さな停止だ。
だが──ひよこ先輩にはそれが一切ない。
ひよこ頭が、あり得ない低さとスピードで敵フォワードに
突っ込んでいく。
コンマ0.5秒遅れて俺も突っ込む。
瞬間、暗転。
敵フォワードの下敷きになった俺の耳元で、
イノシシの断末魔のような悲鳴が聞こえた。
何が起こったのかは分からなかった。
だが試合は味方優勢。
ひよこ先輩ひとりで試合をひっくり返した のだ。
後でビデオを見て理解した。
これが、後に俺のプレイを根本から変えることになる──
サブマリンタックル(複数フォワード狙いバージョン)
そして悲鳴を上げた“イノシシ”は救急車で運ばれていった。
試合後、ひよこ先輩は静かに言った。
「またねー」
本物の悪魔は、物腰だけは柔らかい。
■ 合宿の終わり
正直、合宿はあっけなく終わった。
というか、ほとんど記憶がない。
ただ──
ひよこ先輩のひよこ頭が闇に突っ込んでいった
あの瞬間だけは、今でも鮮明に覚えている。
帰りの車中、シュー君が急に「寒い」と言い出した。
そういえば膝のケガが膿んでいた。
大丈夫か、シュー君?
病院に直行し、俺たちは先輩のディーゼル車で帰宅した。
そしてシュー君はICUに入院した。
膿んだ膝は、内部までかなり侵食していたらしい。
……まあ、生きててよかった。
というか特定部位先輩の
「傷はしっかり洗った方がいい」
という理念のもと、たわしで膝を洗う文化のせいだ。
飛んでもない夏だった。
第四章はこちら:第四章 如来先輩のシーズン
(公開前の場合があります)
■ この記事出版されています
本シリーズにオリジナル短編を加えた書籍版を刊行しています。
まとめて読みたいと感じていただけた方がいらっしゃいましたら、手に取っていただければ嬉しく思います。
書籍では、大学時代のラグビーの記録に続き、その後のMBA留学に至るまでの物語を一つの流れとして収めています。
また、オリジナル短編7編は書籍限定収録となっています。
ご関心があればご覧いただければ幸いです。
紙版(1518円)
Kindle版(780円:)
いいなと思ったら応援しよう!
読んでくださってありがとうございます。
サポートは、今後の制作を続けるための大きな力になります。
無理のない範囲で、応援していただけたら嬉しいです。