空(そら)ではなく、空(くう)を語る。──仏は遠くに、山川豊はそこにいる。
今回は、因縁の記事をもとに、少し乾いた会話劇のような短編へと遊んでみました。
霊鷲山にギリシア人がいて、そこで「空」について話している。
ところが途中から、山川豊と北島三郎が現れ、なぜか祭りが始まる。
片岡義男作品のような、夏の終わりの乾いた空気に少し憧れながら書いた、仏教批評のパロディです。
元記事の熱量とは別の角度から、
「空を、また別の神様にしてしまうこと」について考えてみました。
『山川豊と、サブちゃんについての、いくつかの確かな事実』
霊鷲山の裾野には、夕暮れ時の冷たくて乾いた空気が、ただじっと立ち込めていた。
僕は岩肌の上に座を組み、ゆっくりと息を吐き出した。
頭の中では、「すべては空であり、私という存在はどこにもない」という、よく整備された美しい言葉のパズルが、心地よい音を立てて噛み合おうとしていた。僕はその全能感のなかに、静かに身体を沈めていた。
メロードトスが足音も立てずに近づいてきて、僕の隣に腰を下ろした。
彼はギリシア人だった。
「修行者よ。お前は今、何を観ている?」
「僕は空を観ています」と僕は答えた。「すべてには実体がなく、大いなる空だけがそこにある」
メロードトスは、ポケットから煙草を取り出すような手つきで、小さく首を振った。
「お前が観ているのは空じゃない。どこかの本から拾ってきた言葉を寄せ集めて作った、自分専用のよく冷えたスープだ。お前は、自分が何かを悟ったという、その安っぽい気分に酔っているだけさ」
彼は少しだけ笑った。
「お前は空を新しい神様にして、それを拝んでいる。ただそれだけのことだ」
メロードトスは、乾いた地面に一本の線を引いた。
「未来の話をしよう。たとえば、お前の目の前に山川豊という名前の演歌歌手が立っているとする。
彼はマイクを握り、こぶしを回して、人生の悲しみを歌っている。
それが、そこにあるたったひとつの事実だ」
僕は黙って彼の横顔を見ていた。
「だけど、空を誤解した人間は、その山川豊を観ようとしない。彼らは山川豊の背後を指差して、こう言うんだ。
『この男の奥には、演歌界の巨大な根源がある。大いなる北島三郎が流れているのだ』とな」
僕は思わず吹き出した。
メロードトスも、静かに笑っていた。
「山川豊にしてみれば、『いや、僕はただの山川豊だし、サブちゃんじゃない』というだけの話さ。
それなのに、お前たちは存在もしない北島三郎という真理を勝手に作り上げて、
♪祭りだ、♪祭りだと、そのまわりで踊っている」
風が吹いて、僕たちの間を通り抜けていった。
「有にも無にも執着しない。その執着をひとつずつ解体していく働きを、空と呼ぶんだ」とメロードトスは言った。
「龍樹も、空をひとつの見解として握りしめる者は、そこから抜け出しにくいと警告している。
空は宇宙意識でもなければ、絶対者でもない。
山は山、川は川。
つまり、山川豊は山川豊としてそこにいる。
それ以上の何かを、後ろに付け足す必要はどこにもないんだ」
メロードトスは立ち上がり、僕の肩を軽く叩いた。
「俺はサブちゃんを知っているんだぞ、
という選民思想から自由になったとき、
初めて目の前の人間のリアルな苦しみが見えてくる。
偉大なのは北島三郎という概念じゃない。
今、目の前のステージで歌っている、山川豊という男のほうさ」
彼はそれだけ言うと、夜の山道へと静かに消えていった。
あとには、月桂樹の葉が風に舞うかすかな音だけが残された。
僕はしばらく動かずにいた。
結局のところ、僕もまた、
山川豊の後ろにサブちゃんを探し続けていた男のひとりだったのだ。
そろそろ、頭の中のパズルを片付ける時間がきた。
僕は立ち上がり、テーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。
湯気が立っていた。
黒い液体が、白いカップの中にあった。
それ以上のことは、何も起きていなかった。
だからこそ、
それで足りていた。
📖元記事はこちら
元の記事と、この文章と。
どちらを選ぶかは、読んだ人の時間の流れに任せたい。
僕は、どちらにも静かな好意を持っている。
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この乾いた空気感で「空(くう)」を語るという試みは、Norickさんの書いたある一篇の小説から大きなヒントを得ている。
何気なく眺めている写真の奥にあるストーリーについて、亮介と里佳子という二人の静かな会話劇が教えてくれる。僕に新しい物語を探すきっかけをくれたこの記事に、静かな感謝を。
