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エッセイ|「空」(くう)とは何か?─山は山、川は川、今宵は祭りだ!

─「空」を極限まで、エンタメ化しました。この記事は賛否両論を生むか、それとも単に否定されて終わるのか─
強烈な“比喩”で語ると「空」は分かりやすくなるか?


私は『すべては空だ』と高尚なことを言いながら、

1.の記事で書いたような『美しい月の景色』を求めて彷徨っていただけかもしれない。

あるいは、

2.の記事でこぼしたような『小さな執着』に、

実はまだ足元をすくわれているのではないか?と思いました。

この3回目の記事で、一旦私の思い(空)に決着をつけたいと思います。

1.『美しい月の景色』を求めて迷走した(記事)

2.『小さな執着』に、足元をすくわれている(エッセイ)


-存在もしない「絶対者」を崇めている暇はない-


霊鷲山の裾野で、夕暮れの冷気が立ち込める中、

私は座を組んでいました。

しかし、心は静まるどころか、

「すべては『空(くう)』であり、私は存在しない」

そんな高尚な概念に耽溺し、脳内で心地よい全能感に浸っていました。

いわば、“空の迷走”です。

そこへ、あのギリシア人の導き手、

メロードトスが音もなく近づいてきました。

彼は私の前に腰を下ろすと、深いため息をつきながら言いました。

仏教語りという名のロマンチックな勘違い

──「空」を神格化する知的遊戯

「修行者よ。お前は今、何を観ている?」

「私は『空』を観ています。すべては実体がなく、

私はなく、ただ大いなる『空』があるだけです」

そう答えると、メロードトスは静かに首を振りました。

「お前が見ているのは空ではない。

お前は仏教やアドヴァイタの言葉を寄せ集めて、

自分専用の神秘的なスープを作っているだけだ。

知識や体験に酔いしれ、

『何かを悟った気分』 になっているだけだ。」

彼は少し笑いました。

「空を理解したつもりになりながら、

実は 空 を新しい神として崇拝している。

それが今のお前だ。」


🎤 「山川豊の背後に北島三郎を見る」という滑稽

「未来の話をしよう。」

メロードトスはそう言いました。

「お前の目の前に山川豊という名前の演歌歌手がいるとする。

歌を歌い、

人生を歌い、

喜びや悲しみを

こぶし を回し歌っている。

そこに現れているのが事実だ。」

彼は続けました。

「ところが空を誤解した者は、その山川豊を見ない。

代わりにこう言う。

『この(山川豊の)奥には演歌界の根源がある。

大いなる 北島三郎 が流れている。

私は今、そのエネルギーを感じている。』

とな。」

私は思わず吹き出しました。

メロードトスも苦笑しています。

「山川豊 からしたら、

『いや、俺は俺だ』

で終わりだろう。」

「山川豊 に言わせれば

『いや、俺は俺だし、サブちゃんじゃねえよ』という話でしかない。

にもかかわらず、

存在もしない『北島三郎』という絶対的真理を捏造し、

勝手にサブちゃんを拝んでいるだけだ。

しかも── ♪祭りだ、♪祭りだ、と踊らされている。」


🌌 龍樹が切り捨てた「空」の真意

──有にも無にも執着しない

メロードトスは岩肌を指差しました。

「般若思想や中観の空とは、

どこか別世界にある秘密の真理ではない。

だからといって、

目に見える現象だけが実在するという話でもない。」

そのとき、風が吹いた。
風は あっという間に、私たちを吹き抜けていった。

「有に執着しない。

無にも執着しない。

存在にも執着しない。

非存在にも執着しない。

その執着を解体していく働きが空だ。」

そして彼は言いました。

「龍樹は、

『空に執着する者は救い難い』

と警告した。

空は崇拝対象ではない。

まして宇宙意識でも絶対者でもない。」

「禅の先達は言った。『山は山、川は川』だと。

それを今の言葉にするならこうだ。

『山川豊は山川豊として現れている。
そこに さらに何かを付け加える必要はない』

どこまで探しても、

背後に北島三郎(神)はいない。

そのように見える世界、

ただそのものが、

そのものとしてそこにある世界こそが、

空として正しく理解された世界なのだ。」

「つまり、絶対者も、宇宙意識も、根源エネルギーも、

後ろに貼り付ける必要はない。」

🪷概念の「祭り」を踊っている暇はない─

メロードトスは静かに続けました。

「修行者よ。人は時に、

『すべては幻だ』と言って現実から逃げる。

あるいは、『私は宇宙と一体になった』と言って悦に入る。」

「お前たちの界隈では、それを『私は空(くう)を悟った』

とか『ワンネスに至った』

などと呼ぶのだろう。

『私は北島三郎と一体になった!』と言って悦に入る。

そして、♪祭りだ、♪祭りだ、と踊らされる。

それは、演歌界の神様である

『大御所・サブちゃん』の懐(祭り)に飛び込んで、

全能感に浸っているに過ぎない。」

メロードトスの頭に祭りの太鼓の音が響く。

続けてメロードトスは静かに響き渡るような声で言う。

「つまり、こう言うことだ

サブちゃんは『空(くう)』を実体化する病に過ぎない。

──北島三郎を探す前に、目の前の現実(山川豊)を見よ‼️ 」と、

メロードトスの声が修行者に、大地がうねるように響いた。

その瞬間、修行者の頭から♪祭りだ、♪祭りだの歌声も消滅した。


🌌 菩薩は再び現実のステージに戻る

メロードトスは私の肩を軽く叩きました。

「しかし、大乗仏教の菩薩たちは、

そのような概念の迷宮に住み続けようとはしなかった。

彼らは『サブちゃん(空)という概念の迷宮』

に往み続けようとはしなかった。

「なぜなら、空を理解することと、

人を慈しむことは別ではない。

むしろ、空への執着がほどけるほど──

『俺はサブちゃんを知っているんだぞ』

というスピリチュアルな選民思想──

がほどけるほど、

目の前の人間の苦しみが見えてくる。」

そして静かに、情熱を込めて言いました。

『あぁ、サブちゃんは確かに偉大だ。

……だけど、今、目の前で歌っているのは、山川豊なんだ』

「だから、菩薩の道とは、

北島三郎(神)という概念の世界へ逃げることではない。

そう気づいて、再び人間の世界へ戻ってくることなのだ。

『すべてに実体はない』という真理を知っている菩薩は、

再びマイクを握りしめ、山川豊として、

人々の苦しみに寄り添って歌うのだよ。」

と美しく響く声で力強く彼は言う。


結び──エンタメは終わり。ここから実践へ

「修行者よ。空という概念で、遊んでいる場合ではない。」

メロードトスはそう言い残すと、

立ち上がり、夜の山道へ消えていきました。

彼が去った後、月桂樹の葉が風に舞っていました。

やがて葉は闇の中へ溶けるように消えていきました。

─完─

以上で、私は戯論(papañca)の世界から戻ってきたつもりでした。

しかし、よく考えてみれば、

私自身もまた、

山川豊さんの後ろに

サブちゃんを探していた一人だったのです。

だからこそ思います。

そろそろ頭の中のパズルを閉じて、

ただ座ろう、と。

でも、その前に一服のお茶を。

このお茶もまた、

ただ一杯のお茶として現れているだけの「空」ですから。

生きとし生けるものが、幸せでありますように。


📖編集後記

冒頭の記事紹介について補足しますと、
1.の記事で「月」と「山と川を見るだけの豊さ」を語り、
2.の記事で「音楽」に逃げ、
今回の3回目の記事掲載でようやく「山川豊さん」の謎に辿り着きました。

もしまだ読んでいない記事があれば、ぜひこの「迷走の旅」の全貌を覗いてみてください。

でも、「空」は迷いの原因と決めつけるものではなく、
現象を単に「空」だと言っているだけで、
不思議なものでも、何ものでもないと、私は思っています。
下記の記事もぜひご覧ください。

📖真面目な空の解説はこちら

今回は、山川豊さんと北島三郎さんという演歌会の大御所をメタファー(比喩)にした結果、分かりづらい解説になってしまったかもしれません🙇‍♀️

こちらは、真面目にカッチリと「空」を解説した記事となっています。

こちらの方がわかりやすい!?

📖お勧めの本

『龍樹(ナーガールジュナ): 空の論理と菩薩の道』
龍樹の伝承話から空の思想まで、偈の紹介をはじめ思想のポイントを押さえていて非常におすすめです。もし機会があればぜひ!

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