育ちの傷がある人とない人 精神疾患の苦しみ方の違いについて思うこと
精神疾患とひとくくりに言っても、病気にはたくさんの種類があります。
そして、同じ病名だとしても苦しみ方や回復の仕方は人それぞれで、画一的な治療法もないと思っています。投薬治療などがメインになりがちですが、これは対症療法です。根本にある病理を改善するものではありません。
また、中には数年で寛解にたどり着く人もいますし、何年かかっても症状が改善されない人もいます。
私は闘病垢をやっていますが、フォロワーさんにもいろんな人がいます。みなさん、いろんな症状や悩みに苦しんでいますが、すでに寛解し、順調に人生を歩んでいるように見える人もいるのです。
こうして、日常的にいろんな人と関わっているわけですが、最近になって気がついたことがあります。それは精神疾患になった人にとって明暗を分かつとも言える要素です。
その要素とは、育ちの傷の有無でした。
今回は、私が精神障害者になった要因と、周囲を観察しての私見を述べる記事になります。あくまで個人的な感想なので、あまり気を重たくせず、気軽に読み飛ばしていただけますと幸いです。
育ちの傷って何?
普通に生きていると、育ちの傷という言葉はあまり聞くことがないでしょう。いわゆる健常者の人でこの言葉を知っているのは、カウンセラーをやっている人や福祉領域で働いている人くらいだと思います。
育ちの傷という言葉は
『親に壊された心の治し方 「育ちの傷」を癒やす方法がわかる本』
の影響などで広まった表現だと思われます。
筆者の藤木美奈子さんは、親の不適切な養育を受けたことにより、心に残ったトラウマを『育ちの傷』と呼称したのです。人によっては呪いといった形容もしますが、育ちの傷というのは言い得て妙だと思います。
厳しいしつけをされたとか、暴力を振るわれたとか、そういった悲惨な経験を日常的にしながら育つと、心にも深い傷が残るのです。
ちなみにわかりやすい虐待をされていなくても、優しい虐待などわかりにくい扱いを受けて育ちの傷を抱える人もいます。そういう人は被害を受けた自覚を抱くことすら躊躇するという、踏んだり蹴ったりな状況になりがちです。
育ちの傷というのは、克服しない限り永久にその人を苦しめます。そして、社会生活を営むという当たり前の行為すら難しくしていきます。頭ではわかっているのに間違った方向にばかり進んだり、家族と同じ過ちを自分もやってしまったりと、その悩みの種類は多岐にわたります。非常に深刻な状況と言えるでしょう。
また、育ちの傷があると精神疾患を発症しやすいとも言われています。育った家庭が歪だったことで心に傷を負い、生きていくこと自体が苦しくなってしまうと、枝葉の症状として精神疾患を発症してしまうのです。
育ちの傷がある人は精神疾患を発症しやすく、大人になっても長いこと苦しむことになる…、文章にすると救いようのない地獄のような話です。しかし、育ちの傷があると自認している身としては確かにと納得してしまう話でもあります。
育ちの傷がない人の精神疾患の予後
本題に移ります。
育ちの傷がある人と、ない人の両方が精神疾患、例えばうつ病になったと仮定しましょう。
その場合、前者は症状が長引きやすく、後者は寛解に至りやすい傾向にあると個人的には考えています。
この記事における育ちの傷がない人というのは、問題のない家庭で育った人のことを意味します。家族仲の良好度合いというのは測りにくいし比較もしにくいです。ただ、1つの特徴として感じるのは、家族についての情報開示のハードルです。人との会話で軽いノリで家族のことやネタを話せる人は育ちの傷がない人だと、私は思っています。
育ちの傷がない場合、学生時代まではおおむね問題のない人生を送れます。
問題が生じやすいのは就職後です。仕事を始めると、学生時代にはなかった忙しさ、余裕のなさが生じてきます。また、職場環境によって、能力に応じてひどい扱いを受けたり、パワハラやセクハラを日常的に受けたりもするでしょう。
そういった環境の変化、職場環境の厳しさのせいで、精神疾患を発症する人は多くいるものです。特に適応障害やうつ病は、職場が原因で発症する病気の筆頭と言えるでしょう。
しかし、育ちの傷がない人は、不思議と数年で寛解にたどり着ける印象があります。知っている人に、何人か寛解した人がいますが、いずれも社会人になるまでは良好な生活を送れていて、就職後に精神疾患を発症しています。
おそらくですが、病理が職場環境や人間関係の部分にあり、改善するにしても手が届きやすいのだと思います。また、追い詰められた時に家族のサポートがあるという点も強みなのでしょう。あくまで想像ですが。
育ちの傷がない人は楽、という話ではありません。
ただ、育ちの傷がある人とは明確に予後が違うと感じてしまうのです。
育ちの傷があると寛解しにくい
一方で、育ちの傷がある人は精神疾患も治りにくくなると思っています。というより、無自覚ながら、子供の頃にすでに何らかの精神疾患を発症しているのかもしれません。
家庭環境というのは、常識を刷り込まれる場でもあります。そこで間違った常識を体や心が覚えてしまうと、自然と外での振る舞いもおかしくなっていくのです。そのせいでいじめられやすくなったり、集団にうまく馴染めなくなったりもします。要するに、人生そのものがキツいものになっていくわけです。
そんな人が、厳しい就職先を選んでしまうと、さらにキツい生活を送るはめになります。元から良くなかった精神状態がさらに悪化してしまい、あえなく生活ができなくなってしまうわけです。
その時になって初めて、精神疾患の診断が下りる人が多いわけですが、実質的にはずっと前から病んでいたのでしょう。家庭で受けた傷が膿んだまま、新しい症状を引き起こしているようなものです。
その場合、薬による治療や基本的なカウンセリングでは根本の治療が難しくなります。思うに、専門的なトラウマ治療を受けないと状況は改善されないのだと思います。
かくいう私もその口です。診断名自体は適応障害だのうつ病だの気分変調症だのと変遷しましたが、根本にあるのは生まれ育った家庭で体験した絶望でした。
医者もそのことは指摘してくれましたが、それ以上に何かを提案するわけでもなく、ただ薬を調節するだけでした。カウンセリングも試したことがありますが、どうも効果はなかったようです。
あくまで私が調べた範囲の話ですが、日本はトラウマ治療の選択肢がまだ少ないと感じています。
まとめ
育ちの傷がある人とない人が、精神疾患にかかった場合の予後の違いについては以上となります。私は育ちの傷があると自認しているので、少し主張に偏りがあったかもしれません。その点は申し訳なく思います。
今回のざっくりまとめ
・育ちの傷がない人は問題が比較的表層にあり、精神疾患の寛解率が高い
・育ちの傷がある人は問題の根が深く、寛解に至りにくい
ということです。
同じ疾患を持つ人でも、育ちの傷の有無でその後の状況が大きく変わってくるという印象を個人的には持っています。詳しい内容は先述した通りですが、本当に予後が目に見えて違うと感じてしまうのです。
また、これはあくまで私見として思っていることですが、育ちの傷がある人とない人は基本的な生活の送りやすさからして違うように見えます。
うつ病を治すという課題があるのは共通していますが、育ちの傷がない人は改善方法に対してまっすぐ向かって行けるのに対し、育ちの傷がある人は複雑な問題でがんじがらめにされるという印象です。
たまに育ちの傷がないと思われる人が、自らの寛解経験を挙げて『とにかく〇〇をしろ、ウダウダ言い訳するな』のように言っていますが、そうも単純ではないように思えるのです。
育ちの傷がない人も、ある人も、同じように楽になれるのが一番なんですけどね…。
答えのない問題について長々と書いてしまいましたが、最近はそんなことをぼんやりと考えています。
みなさんはどう思いますか?
似た経験、知見があればコメントで教えてください。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
記事を書くのは私にとって思考を整理する大切な時間でもあります。
もし少しでも共感や気づきがあったら、サポートしていただけると今後の記事づくりの励みになります。
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