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~旅は続く~「夜の果ての旅」ルイ・フェルディナン・セリーヌ | 訳:生田耕作


外国文学も好きでして、とりわけ現代フランス文学が好きです。
セリーヌは現代というよりも近代ですが、
とにかく何度も読みました。
学生の頃に、赤線を引きながら読み耽りました。
赤線を引いた箇所は、ノートに書き写しました。

「旅」が好きなもので、タイトルからぐいぐい惹かれます。


夜の果ては、果たして何処いずこに?
暗い夜を旅する、その果てまでー
しびれます。

自分に愛想をつかすのは容易なことじゃない。
なにもかも中止してもう一度じっくり考えてみたい気持ちにさそわれる。
自分の中で心臓がゆっくり打つ音を聞いてみたい。

「世の果ての旅」 セリーヌ

僕はたえず自分がからっぽになることを、つまり存在する真剣な理由が何ひとつなくなることを恐れつづけてきた。
いまや現実は、しなれたみみっちい環境とは、あまりにかけ離れすぎた。この境遇の中で、僕はみるみる溶け去っていくようだった。
今にも自分が存在しなくなりそうだった。あっさり跡形もなく。
つまり、わかりだしたが、自分に向かってなじみの事柄を話しかける人間がいなくなると、もう僕はどうしようもない一種の倦怠の中に、いわば、じわじわした、恐ろしい魂の破局の中に沈みこまずにおれないのだ。やりきれない体験だった。

「世の果ての旅」 セリーヌ


僕たちは自分が所有しているものしか、本当に知ることはできないし、また、所有しているものからしか、解放されることはできないのだ。
僕の場合は、さんざん夢を抱き、失った結果、根性はすっかりひび割れ、寒々とした隙間風にさらされ、醜くねじれてしまっていた。

「世の果ての旅」 セリーヌ




翻訳が素晴らしいのです!
生田耕作先生はたくさんの翻訳を残されていますが、
翻訳とは全く別の、一つの作品のようなのです。

ジョルジュ・バタイユ「眼球譚/マダム・エドワルダ」を読んだ時に、
「これ、本当に翻訳文?」と驚いた記憶があります。

ジョルジュ・バタイユの「エロティシズム」については、
いつか書きたいと思っています。
こちらの訳は、澁澤龍彦です☝🏻




「夜の果ての旅」

原題は "Voyage au bout de la nuit"

立派な原書が今でも手元にあります。
プレゼントでいただいた思い出の原書です。

A4より少し大きめサイズ、厚さ3cm超え!
挿絵がたくさんあり、独特の雰囲気がたまらない!



日本語の文庫は、何回かの引っ越しで行方不明になってしまい、
買いなおしました。
赤線が引いてないバージョンなので、ちょっぴり悲しい😢

かなり黄ばんでいるけれど、また読んでみようかなー


疲労と孤独の中では、神々しさが人間の外部に浮かび上がるのだ。

「夜の果ての旅」


こんどばかりは苦痛を、真の苦痛を覚えた。みんなに対して、自分に対して、彼女に対して、全ての人間に対して。
僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶん、これなのだ。ただ、これだけなのだ。つまり、生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。

「夜の果ての旅」




横浜駅のホームで電車を待ちながら、
立ったまま読み耽っている20歳頃の自分ー

その姿を思い出しながら、
記憶を辿りながら、
旅は続く。
20歳のワタシ、今のワタシ、
それぞれの道へ





~最後まで読んでくださった方へ~
心よりありがとうございました😊


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