【連載小説】「私」を再起動(リブート)!〜ママの学び直しコミュニティ〜23:最強のチーム、再集結。
「……よし、クラウドファンディングの審査、通りました! 今から本公開(ローンチ)します!」
杏奈(あんな)さんの鋭い声が、熱気のこもったレンタルスペースに響き渡った。
彼女がエンターキーを叩いた瞬間、私たちの夢が、正式にインターネットという大海原へと漕ぎ出した。
二度目の再起動(リブート)を宣言してから一週間。
カフェの二階にある私たちの拠点は、もはや単なる「英語の勉強会」の場所ではなかった。
壁にはスケジュール表が貼られ、テーブルの上には数台のノートパソコンが並ぶ。
そこは、新しい社会の仕組みを産み出そうとする、熱いスタートアップのオフィスのような空気に満ちていた。
「凛(りん)さん、見てください! 公開からたった十分で、もう三人も支援者が!」
詩織(しおり)さんがスマホの画面を掲げて飛び跳ねる。
「『応援しています』『私もこんな場所を求めていました』ってコメントも入ってます!」
「……よかった。私たちの声、ちゃんと届いてるんだ」
私は、熱くなる目頭をそっと押さえた。
一時は崩壊しかけたコミュニティ。夫との決裂。義母からの冷たい言葉。
それらすべての痛みが、今、見知らぬ誰かからの温かい支援という光に変わっていくようだった。
その時、控えめなノックの音がして、部屋のドアがゆっくりと開いた。
「あの……お忙しいところ、すみません」
立っていたのは、数日前の「温度差」による衝突で、一度はここを去っていったメンバーの一人、由美(ゆみ)さんだった。
彼女の後ろには、同じく離れていった二人のママの姿もあった。
「由美さん……」
私が立ち上がると、由美さんは申し訳なさそうに視線を落とし、手に持っていた紙袋をぎゅっと握りしめた。
「SNSで見ました。クラウドファンディングのこと……。あんなに大きなことに挑戦しようとしているのに、私、自分のことばっかりで逃げ出しちゃって。……本当に、ごめんなさい。もし、まだ間に合うなら……私にできることがあれば、もう一度手伝わせてもらえませんか?」
彼女の言葉に、部屋中がしんと静まり返った。
杏奈さんが、ふいっと顔を背ける。彼女は、中途半端な気持ちで戻ってくる人を許せないのかもしれない。
でも、私は違った。
一度絶望を味わい、それでもここが「必要だ」と思って戻ってきてくれた勇気が、どれほど尊いかを知っているから。
「由美さん、顔を上げてください」
私は、彼女の元へ歩み寄り、その手をとった。
「逃げ出したのは、私だって同じです。……戻ってきてくれて、本当に嬉しい。ありがとうございます」
私の言葉に、由美さんの目からポロポロと涙がこぼれた。
「私……実は、前の仕事で経理をやってたんです。NPO法人化の手続きとか、収支報告のまとめなら、私、お役に立てると思います。……お願いします、もう一度、仲間にいれてください」
「もちろんです! 経理のプロが来てくれるなんて、百人力ですよ!」
私が笑って言うと、部屋の空気がフッと和らいだ。
それまで無表情だった杏奈さんも、「……まあ、経理がしっかりしてないと組織は潰れますからね。助かります」と、照れくさそうに画面に戻った。
これを機に、止まっていた歯車が一気に、ものすごいスピードで回り始めた。
「ただのママ」というラベルを剥がした彼女たちは、一人ひとりが恐ろしいほどのポテンシャルを秘めた「専門家」へと変貌していったのだ。
「佳代(かよ)さん、会場との交渉はどうですか?」
私が尋ねると、佳代さんは手帳を閉じ、凛とした表情で頷いた。
「はい。杉ノ森市で一番大きなホールの支配人と直接お話ししてきました。最初は『主婦の集まりでしょ?』という態度でしたが、杏奈さんの作った事業計画書を見せたら、顔色が変わりましたわ。来月の第一日曜日、仮押さえできました」
PTAでの調整能力と、持ち前の気品を武器に、佳代さんは百戦錬磨の交渉人(ネゴシエーター)として動いていた。
「美香(みか)さんは?」
「はい! 公開講座の時に併設する『プレママ・ママ向け健康相談ブース』の企画、固まりました。地域の助産師さん二人も、ボランティアで協力してくれるって言ってくれてます。看護師としての私の繋がり、フル活用します!」
美香さんは、医療従事者としてのプロ意識を呼び覚まし、地域のネットワークを編み直していた。
そして、杏奈さんはさらに先を見据えていた。
「凛さん、今回の公開講座はゴールじゃありません。これをキッカケに、正式な『ママ向けスキルシェア・プラットフォーム』を立ち上げます。佳代さんのマネジメント、美香さんの医療知識、私のIT。それを一回きりの講座で終わらせるんじゃなく、必要としている企業や個人に提供して、正当な対価をもらう。主婦の知恵を『時給0円』から救い出すビジネスモデル、私が設計しました」
スキルシェア。ビジネス。
数ヶ月前、マクドナルドで美香さんと二人、たどたどしい英語のニュース記事を読んでいた頃には想像もできなかった景色が、今、目の前に広がっている。
私たちは、ただ傷を舐め合っていたわけじゃない。
お互いの「できないこと」を嘆くのをやめて、お互いの「できること」を繋ぎ合わせたのだ。
私は、デスクの上に置いた津田梅子(つだ・うめこ)の写真をそっとなぞった。
梅子が「女子英学塾」を立ち上げた時も、そこには彼女一人ではなく、アリス・ベーコンや瓜生繁子といった、志を同じくする最高の仲間たちがいた。
彼女たちが、それぞれの専門知識と情熱を持ち寄ったからこそ、あの塾は奇跡のような成果を上げることができたのだ。
私は、パソコンの手を止めて、部屋で作業に没頭する仲間たちの後ろ姿をゆっくりと眺めた。
「……梅子さん。見てください。私、やっと見つけました」
私の唇から、梅子の金言が自然とこぼれ落ちた。
「個人の強みを束ねたとき、それは奇跡を起こす組織となります」
今、この部屋にいるのは「誰かのママ」という記号ではない。
名前を取り戻し、己の牙を研ぎ澄ませた、最強のプロフェッショナル集団だ。
「凛さん、クラウドファンディングの支援額、もう目標の30%を超えました!」
杏奈さんの叫び声に、由美さんが計算機を弾きながら「これなら会場の設営費も余裕が出ますね」と微笑む。
美香さんと詩織さんは、新しいチラシのデザイン案を見て「かっこいい!」「これなら絶対手に取ってもらえる」と盛り上がっている。
窓の外は、夕暮れ時。
かつてはこの時間になると、「早く夕飯を作らなきゃ」「真吾が帰ってくる」と、焦燥感(しょうそうかん)に似た義務感で胸が苦しくなっていた。
でも、今は違う。
家庭を守ることは、私の人生の一部であって、すべてではない。
私には、帰るべき家庭があり、そして、戦うべきこの場所がある。
「凛さん、どうかしました?」
佳代さんが、優しく声をかけてくれた。
「ううん。……ただ、私たち、無敵だなって思って」
私の言葉に、みんなが顔を上げて、笑った。
その笑顔は、かつての公園の砂場で見せたような、ひび割れた陶器のような笑顔じゃない。
何度も壊れ、それでも繋ぎ合わされ、炎で焼き直された、本物の強さを持った笑顔だった。
私たちの再起動(リブート)は、もう誰にも止められない。
嵐を越えた私たちは、いよいよ「社会」という巨大な戦場へと、誇り高く足を踏み入れる。
(第24話:行政を味方につける。へ続く)
