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【連載小説】「私」を再起動(リブート)!〜ママの学び直しコミュニティ〜06:魔法の言葉「Project U」。

「あははっ! それ、すごくわかります。私も昨日、スーパーのレジ待ちの時に、気づいたら頭の中で英単語の復唱してましたもん!」

「でしょう? 私なんて、お風呂掃除しながら『バスタブ……クリーニング……』とかブツブツ言ってて、夫に気味悪がられちゃいました」

火曜日の午前十一時。
公民館の小さな会議室には、明るい笑い声が響いていた。

最初のマクドナルドでの集まりから、今日で約一ヶ月。
私たちの勉強会は、すっかり軌道に乗っていた。元看護師の美香(みか)さんと、完璧な主婦の鎧を脱いだ佳代(かよ)さん。そして私の三人。

最初は「一時間みっちり英語のニュース記事を読む」というスタイルだったけれど、最近は少し様子が変わってきていた。
英語のプリントに向き合うのは、最初の三十分だけ。
残りの三十分は、訳した記事の内容から派生して、「自分ならどう思うか」「自分はどう生きたいか」を語り合う時間へと、自然にシフトしていったのだ。

今日の題材は、「海外の女性の多様な働き方」についての短いコラムだった。

「この記事の女性、三十歳を過ぎてから大学に入り直したんですね。……すごいなぁ」

美香さんが、蛍光ペンで引かれた英文を見つめながら、ほうっとため息をついた。

「私、看護師を辞めた時、『私の人生のピークはもう終わったんだ』って本気で思ってました。でも、違うんですね。いつでも、何歳からでも、新しい道って選べるんだ」

「ええ、本当にそう」

佳代さんが、深くうなずく。

「私なんて、夫に『主婦は知らなくていい』って言われるたびに、自分はもう賞味期限切れの人間なんだって思い込んでた。でもね、昨日、夫がまたテレビを見ながら鼻で笑った時……私、心の中で言い返せたの。『私は今、世界で起きていることを学んでいる。あなたよりずっと、広い世界を見ているのよ』って」

佳代さんの横顔は、少し前までの怯えたような表情が嘘のように、凛として輝いていた。

「二人とも、すごいです……!」

私は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

英語の単語をいくつか覚えたからといって、すぐに人生が劇的に変わるわけじゃない。履歴書に書けるような立派な資格でもない。
でも、彼女たちの内面では、確かに「地殻変動」が起きている。
「誰かのママ」「誰かの妻」という役割に押しつぶされそうになっていた自分を取り戻し、「私はこう思う」「私はこう生きたい」という『主語』を取り戻し始めているのだ。

「私、ここに来るのが本当に楽しみなんです」

美香さんが、手元のお茶が入った水筒を両手で包み込みながら言った。

「英語を学ぶのも楽しいけど、それ以上に……凛さんや佳代さんと、『自分の人生』について話せるこの時間が、今の私の命綱みたいになってます」

「命綱。……ふふっ、本当にそうね」

佳代さんも、優しい目をして笑った。

「ママ友とのランチ会では、絶対にこんな話できないもの。子供の習い事とか、旦那さんの愚痴とか、そういう表面的なことじゃなくて……もっと深い、自分の根っこにある『知りたい』っていう欲求を、ここでは誰もバカにしないから」

その言葉を聞いて、私はたまらなく嬉しかった。
あの夜、暗いキッチンで、震える指で掲示板に募集を書き込んだ時の私に教えてあげたい。
あなたのSOSは、ちゃんと届いたよ。そして、こんなにも素敵な仲間に出会えたよ、と。

「そういえば、凛さん」

ふと、佳代さんが思い出したように言った。

「凛さんが掲示板に書いていた、この集まりの名前……ええと」

「『Project U(プロジェクト・ユー)』ですよね!」と、美香さんが身を乗り出した。

「私、あの名前に惹かれてメッセージを送ったんです。Uは、梅子さんのUと、You(あなた)のUだって」

私は思わず、顔をカーッと熱くした。

「あ、あれは……! その、夜中の変なテンションで、勢いで書いちゃったというか。中二病みたいで恥ずかしいから、忘れてください……!」

両手で顔を扇ぐ私を見て、二人はきょとんとした後、クスクスと笑い出した。

「恥ずかしくなんてないですよ! むしろ、すごくいい名前だと思います」

美香さんが、真剣な顔つきになった。

「『ママ友英語サークル』とかじゃなくて、『プロジェクト』っていうのがいいんです。私たち、ただヒマつぶしで集まってるんじゃなくて、自分の人生を再起動するための、大事な作戦会議をしてるんだから」

「私も賛成」

佳代さんも、力強くうなずいた。

「凛さん、この『Project U』を、私たちの正式な名前にしませんか?」

「正式な名前に……?」

私は、二人のまっすぐな瞳を見つめ返した。

ふと、私の脳裏に「梅子ノート」の一節がよみがえった。
津田梅子が「女子英学塾」を立ち上げた時、彼女は「英会話学校」というような、安易で流行りの名前をつけることを良しとしなかった。
女性が自立するための、高度な学問の場であること。その信念を、たった数文字の看板に込めたのだ。

私は、姿勢を正して、二人に言った。

「梅子さんは、かつてこう言いました。『名付けとは、そこに魂を吹き込むことです』と」

「魂を、吹き込む……」

美香さんが、その言葉をゆっくりと口の中で反芻(はんすう)した。

「はい。物に名前をつけるのは、ただの区別するためじゃないんです。子供に名前をつける時、親が『こんな子に育ってほしい』と祈りを込めるように……活動に名前をつけることは、『私たちは何者で、どこへ向かうのか』という魂を宿すことなんだって」

私は、佳代さんと美香さん、そして部屋の隅で遊んでいる子供たちをぐるりと見渡した。

「ただの『ママの集まり』のままだと、いつか日々の忙しさに流されて、消えちゃうかもしれない。でも、『Project U』という名前という器があれば、私たちが迷った時に、いつでも帰ってこられる『居場所』になります。……だから、もし二人がいいなら、今日からここを、正式に『Project U』と呼びたいです」

「……っ、はい!」

美香さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。

「私、Project Uのメンバーです。ただの『〇〇ちゃんのママ』じゃなくて、自分の人生を諦めない、Project Uの佐々木美香です」

「私も。佐藤佳代として、この名前を誇りに思います」

佳代さんが、そっと右手を差し出した。
美香さんが、そこに自分の手を重ねる。
私は胸がいっぱいになりながら、二人の温かい手の上に、自分の手を重ねた。

女三人の、小さな、でも決して折れることのない誓いの儀式。
大げさかもしれない。たかが公民館の会議室での、主婦の集まりだ。
でも、私たちにとっては、これが世界との新しい繋がり方だった。

「何か辛いことがあったり、また『ママ』の役割に押しつぶされそうになった時は、心の中でこの名前を唱えましょう」

私が言うと、二人は力強くうなずいた。

「魔法の言葉ですね」と、美香さんが笑う。

「ええ。私たちの、最強のお守りよ」と、佳代さんも笑う。

『Project U』。
夜中のキッチンで私が一人で生み出したその名前は、今、仲間たちの手によって、本当の「魂」を吹き込まれたのだ。

時計の針が、お昼の十二時を指した。

「あ、もうこんな時間! 帰ってお昼ご飯作らなきゃ」

「本当だ。スーパー寄ってから帰ります」

魔法が解けたように、私たちは慌ててプリントを片付け、子供たちをベビーカーに乗せた。

「また来週ね!」

「宿題、忘れないようにしなきゃ」

公民館の前で手を振って別れる時、私たちの足取りは、ここへ来た時よりもずっと軽かった。

帰り道、陽菜を乗せたベビーカーを押しながら、私は春の空を見上げた。

私はもう、一人じゃない。
孤独な海を漂う小舟は、今、確かなコンパスと、心強い乗組員を手に入れたのだ。

「……よし、今夜の夕飯は、ちょっと手抜きしちゃおっと」

独り言をつぶやきながら、私はふふっと笑った。
自分の足で立っているという感覚が、たまらなく心地よかった。

ただ、この時の私はまだ気づいていなかった。
私が外の世界で「自分の名前」を取り戻せば取り戻すほど、家庭の中にある「見えない壁」との摩擦が、少しずつ、しかし確実に大きくなっていくということに。

(第7話:夫・真吾の「ご機嫌とり」。 へ続く)


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