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アチャン・チャー師 人生を変えた3日間の出会い③

(続き)1928年、チェンマイで最も古く格式高い寺院の一つであるワット・チェーディー・ルアンに滞在していた時、バンコクの権力者たちから手紙を受け取りました。それは彼をその寺の新しい住職に任命するという内容でした。間もなく、彼は荷物をまとめ、山の中へ姿を消しました。それから再び街に姿を現すまで、さらに十一年もの歳月が流れました。

  アチャン・マン師は、厳しく容赦のない師であることがありました(彼の有名な叱責は、ある年長弟子の印象深い表現を借りれば、「肝臓を縮み上がらせる」ほどでした)。しかし、彼は周囲の人々から静かで深い帰依心を引き出しました。

  アチャン・マン師との出会いによって人生が変わったある在家信者が、当時カウ・ウォンコットに滞在しており、この偉大な師のことをアチャン・チャーに話したのです。

  どうやらアチャン・マン師は、長年にわたる北部の孤独な遍歴の後、ようやくイーサーンに戻ってきており、イーサーン北部のパー・パーン山脈に大勢の僧侶が集まっていました。マハーニーカーイ派の僧侶たちも教えを受けていました。

アチャン・チャーの寒季の計画が、徐々に形を成し始めたのです。

  安居が終わると、アチャン・チャーは他の三人の僧侶、一人の沙弥、二人の在家信者とともに、イーサーンへの長い徒歩の旅に出ました。彼らはバーン・コーで旅を中断し、数日の休息の後、北へ向かって240キロの道のりを歩き始めました。

  十日目には、メコン川のほとりにある巡礼の聖地、タート・パノムの優美な白い仏塔に到着し、そこに納められた仏舎利に礼拝しました。彼らは何日かに分けて歩き続け、道中では定期的に森の寺院を見つけ、そこで一夜を過ごしました。それでも旅は過酷で、沙弥と在家信者の一人が途中で引き返すことを願い出ました。

  一行は、ついに三人の僧侶と一人の在家信者だけになって、アチャン・マン師の住むワット・パー・ノーン・プーに到着したのでした。(続き)

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ばいたらよう(貝多羅葉) 貴重なお布施ありがとうございます!