いい記事ほど埋もれるのはなぜか。論理派が見落としがちな盲点が、実は最大の武器になる|書籍化ログ(#note #創作論 #マーケティング #メタ認知 #読まれない)
最近、ビジネス書や自己啓発の世界で、
「メタ認知が大事だ」
という話をよく見かけるようになりました。
自分を客観視する。
感情に飲み込まれず、一歩引いて自分を観察する。
衝動で動くのではなく、冷静に状況を判断する。
確かにこれは、とても大切な能力です。
実際、感情のままに怒鳴り散らしたり、
その場の気分だけで行動したりするよりも、
ずっと建設的でしょう。
けれど私は最近、
この考え方には一つの落とし穴があるのではないか
と思うようになりました。
特に真面目な人ほど、
誠実な人ほど、
そして論理的に考えるのが得意な人ほど、
メタ認知を頑張りすぎた結果、
自分の感情を「邪魔なもの」として扱ってしまうことがあるのです。
感情に振り回されてはいけない。
客観的でいなければならない。
論理的でなければならない。
そう考えるあまり、自分の考えや文章から感情を削り落としてしまう。
その気持ちは私にもよく分かります。
感情は状況や体調によって変わりますし、
時には自分でも扱いにくいものだからです。
だからこそ、
論理的な人ほど感情を不確かな要素として扱い、
自分の考えや文章から取り除こうとします。
けれど、その結果として
「有益な情報を書いているはずなのに、なぜか反応が薄い」
「読まれているはずなのに、なぜかスキがつかない」
「フォロワーの反応が、自分の予想とどこか違う」
こんなことが起こります。
もしあなたが今、そんな悩みを抱えているのなら、
先にお伝えしておきたいことがあります。
noteには、
真面目な人ほど、誠実な人ほど、陥りやすい落とし穴があります。
私はこの記事で、その話をしたいのです。
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
noteで「読んでもらう」ための記事を書こうとしていた頃、
私は「正確さ」や「一次情報の密度」が何より大切だと思っていました。
読んでいただく以上、間違った情報を渡してはいけない。
読者さんには何か一つでも有益なものを持ち帰ってほしい。
そして、その情報の密度が高ければ高いほど、
たくさんの人に読まれる記事になるはずだ。
そんなふうに考えていたのです。
けれど、その真面目な考え方には大きな落とし穴がありました。
私は感情を「重要ではないもの」として、
文章から取り除こうとしていたのです。
論理的な人ほど、理路整然としたロジックを重視します。
その姿勢自体は間違っていません。
私自身、正直に言うと、そういう文章の方が
読むのも書くのも好きだったりします。
けれどその行為は、時に見落としてしまう大切なものがあるのです。
市場の空気。
読者の感情。
なぜその文章を読みたいと思ったのかという理由。
こうしたものは数字で測りにくく、
データにも落とし込みづらいため、
つい「ノイズ」として扱われがちです。
しかし実際には、その中にこそ人の心を動かすヒントがあります。
どんな記事が読まれるのか。
なぜ共感が生まれるのか。
なぜ同じ情報でも届く文章と届かない文章があるのか。
そうした答えは、数字だけを眺めていても見えてきません。
私たちが「違和感」や「ノイズ」として切り捨ててきたものの中にこそ、
本当に価値のある情報が眠っているのです。
そもそも、
私たちが子どもの頃から受けてきた
「感情を抑えなさい」「感情に流されてはいけない」
という教育そのものが、少し無理のある話なのかもしれません。
なぜなら、
人間はどれだけ優秀な人でも、
どれだけ知性の高い人でも、
感情の影響を受けながら生きているからです。
それが人間という生き物だからです。
職場でも、こんな場面を見たことはないでしょうか。
上司が能力に関係なく、自分を慕ってくれる部下ばかりをかわいがる。
会議で正しい意見を言ったはずなのに、相手の気分を害してしまい企画が通らない。
理屈だけで考えれば納得できないことは、世の中にたくさんあります。
けれど、そこにあるのは決して特別なことではありません。
ただ人間の感情が働いているだけなのです。
私たちはつい、感情を理性の邪魔をするものだと思いがちです。
けれど実際には、感情が人を動かす“原初の力”なのです。
たとえば怒りは、「それはおかしい」と感じたときに自分を守るための反応です。
不安は、危険を察知して慎重に行動するためのサインです。
楽しいという感情は、「もっとやってみたい」と背中を押してくれます。
幸せという感情は、「今のままで大丈夫だよ」と心を安定させてくれます。
感情は決して邪魔者ではありません。
私たちが生きていくために必要な機能の一つです。
だから、その感情を「ノイズだから」と切り捨ててしまうと、
人を見る目も、判断する力も鈍ってしまいます。
人を動かしている一番大切な部分を見ないまま、
他人を理解しようとするようなものです。
なぜ私がこんな話をしているのか、
それは、私自身がこのことをまったく理解しておらず、
その代償として、ずいぶん遠回りをしてきたからです。
今振り返れば、恥ずかしい失敗もたくさんしています。
私には、対人関係に鈍い特性があります。
そのため長い間、
社会は「ルール」と「数字」で動いているものだと思っていたのです。
ルールの前では誰もが平等です。
だからこそ、
そこに個人の感情のような曖昧なものを持ち込むべきではないと、
本気で信じていました。
そのため私は、
チームの雰囲気や人の気持ちよりも、
目の前にある「売上目標」を最優先にしていました。
数字は誰にとってもわかりやすく、言い訳のできない結果だからです。
そして実際に、私は目標を達成しました。
数字だけを見れば、自分のやるべきことはきちんとやったはずでした。
けれど、その結果を心から喜んでくれる人はいませんでした。
目標を達成したはずなのに、
そこにあったのは拍手ではなく、どこか冷えた空気でした。
当時の私は、それがどうしても理解できませんでした。
「こんなに結果を出したのに、なぜ認められないのだろう」
「なぜ誰も褒めてくれないのだろう」
とても孤独だったことを覚えています。
そんな私の近くに、いつも周囲から好かれている同僚がいました。
その人は、売上だけを見れば特別目立つ存在ではありませんでした。
けれど、
毎日明るく挨拶をし、
誰にでも分け隔てなく接し、
小さな気遣いを自然にできる人でした。
その人の周りには、いつも人がいて、笑顔がありました。
当時の私は、その光景が不思議でなりませんでした。
数字を出している人よりも、なぜその人が評価されるのか。
正直に言えば、不公平だと憤っていました。
けれど後になって振り返ると、
私は大切なことを見落としていたのです。
評価も判断も、必ずしも“正しさ”だけで決まるわけではない。
そこには、いつも人の感情が静かに働いている。
これこそが「感情」というシステムの正体だったのです。
誰を信頼するのか。
誰の話を聞きたいと思うのか。
誰と一緒に働きたいと思うのか。
そうした判断には、感情が深く関わっています。
私はそのことを理解しないまま、長い時間を過ごしてしまいました。
論理的に考えるのが得意な人ほど、
この「感情」の部分を軽く見てしまうことがあります。
そのせいで損をしている場面も少なくありません。
論理的には正しいことを言っているのに嫌われる。
良い提案のはずなのに通らない。
役立つ情報を伝えているのに聞いてもらえない。
組織のために頑張っているのに評価されない。
こうしたことが起きるのは、
人を動かしている感情という要素を計算に入れていないからです。
どれだけ優れた考えがあっても、それを受け取るのは人間です。
相手と「感情」のつながりがなければ、言葉は届きません。
私は感情を、人と人とをつなぐ「プラグ」のようなものだと思っています。
どれだけ優れた言葉でも、プラグで接続できなければ相手には届かないのです。
思考力を磨き、
感情を切り離してしまう人ほど孤独になりやすいのは、
そのためかもしれません。
論理が正しいかどうか以前に、人はまず感情で相手を見ています。
だからこそ、どれだけ正しい言葉であっても、
相手との接続がなければ届かずに終わってしまうのです。
そして、この人間の性質は、ここnoteという場所で特によく表れます。
なぜなら、文章の向こうには必ず人がいるからです。
そして、その人には感情があります。
さらに忘れてはいけないのが、
noteを読んでいる時間は、
多くの人にとってとてもプライベートな時間だということです。
仕事中のように公的な場にいるとき、
人はできるだけ論理的に振る舞おうとします。
けれど、
一人で本を読んだり、動画を見たり、noteを読んだりしている時間は違います。
そういう時間ほど、人は感情に従って行動します。
映画を見るか見ないか。
本を買うか買わないか。
誰かの記事にスキを押すか押さないか。
そうした行動の多くは、理屈だけでは説明できません。
「なんとなく好き」
「共感した」
「この人を応援したい」
そんな感情が大きく影響しています。
だからこそ、
そんな場所に「正しい情報だけ」を置いても、なかなか人の心には届きません。
「情報」を摂取するなら、検索やAIで十分だからです。
人は「情報」と交流したいわけではありません。
noteで読まれている文章には、
多かれ少なかれ書き手の温度があります。
何を考えたのか。
何に悩んだのか。
何を感じたのか。
そうしたものがあるからこそ、人はその文章に引き寄せられます。
だから私は、思考力の高い人ほど感情を軽視しないほうがいいと思っています。
感情は思考の邪魔をするものではありません。
むしろ、人が行動する理由を理解するための大切な手がかりです。
論理的な人なら、もうお気づきのことでしょう。
noteは、感情を排除しようとするのではなく、
「人は感情で動く」という前提を理解した上で書くほうが、
ずっと合理的なのです。
誰かを思って書いた文章と、
正しさだけを追求した文章、
人が引き寄せられるのは「感情」がある方です。
だからといって、論理と思考力が不要というわけではありません。
むしろ私は逆だと思っています。
論理と思考力は、とても価値のある力です。
正しく考える力。
物事を整理する力。
構造を見抜く力。
誰かの役に立つ知識を言葉にする力。
それらは本来、多くの人を助けられる素晴らしい能力です。
だからこそ私は、
そうした力を持つ人たちがnoteの中でもっと輝いてほしいと思うのです。
価値のある知識を持っている。
重い体験をしている。
見えない構造を言葉で整理している。
感情をうまく扱う人や共感を集める人ばかりが
目立つ場所ではなく、
理性や構造化の力を持つ人が、きちんと光を浴びられる場所。
数字や知識を積み重ねてきた人が、正当に評価される場所。
私は、そんな“もうひとつの側面”がもっと可視化されるべきだと思うのです。
なぜなら、
感情が人を動かす原初の力だとすれば、
理性や構造化の力は、人を支え、世界を前に進めるための土台だからです。
どちらか一方が優れているわけではありません。
ただ、いまのnoteでは“感情の側”ばかりが強調されすぎているように感じます。
だからこそ私は、
もう片方の力――静かに世界を支える知性の側にも、
もっと光が当たってほしいと願っているのです。
ただ、その知性をきちんと受け取ってもらうには、
人が何によって動くのかを理解する必要があります。
もし今、真面目に書いて悩んでいるのなら、
届け方の中に、人間という生き物の特性が抜け落ちていないかを
確認してみてください。
感情は誰かに言葉を届けるための入り口です。
論理的な人ほど、感情を味方につけたとき大きく跳ねる。
私はそう思っています。
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また明日の投稿でお会いしましょう。
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