傷つくってわかっているのに、また物語を書いてしまう。カクヨムコン11に落ちた現役書籍化作家の夜(#創作論 #web小説 #カクヨムコン #書籍化 #note)
今、Xを開くたびに少し胸が苦しくなります。
タイムラインに、
カクヨムコン11受賞の報告が次々と流れてくるからです。
「受賞しました!」
「家族に報告しました!」
「書籍化決定しました!」
スマホの向こうには、
人生が変わる瞬間みたいな熱量が溢れている。
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
先日、カクヨムコン11の最終結果が発表されました。
私も応募していました。
詳しくは過去記事に書いていますが、
中間選考も通っていたので、
正直、
どこかで期待してしまっていたんです。
でも、
ダメでした。
落選です。
当たり前ですが、
受賞した人の話はたくさん流れてくるのに、
落ちた側の話って、ほとんど見かけません。
そりゃそうですよね。
合格発表の日、
喜びでいっぱいの人たちの輪の中に入って、
「私は落ちました!」なんてテンションになれる人は、あまりいない。
もちろん、頭では分かっているんです。
喜ぶべきは受賞した人たちであって、私の落胆とは関係がないということも。
受賞した人たちには何の罪もありません。
むしろ、
これから本を出す人たちは、
ちゃんと喜びを発信した方がいい。
Xで報告するのも、
たくさん告知するのも、
全部正しい。
これからは“作品”だけじゃなく、
“作者自身”も知ってもらわないといけない時代だから。
だから、
私は受賞報告ポストを見るたびに、
「おめでとうございます」と思う。
……でも同時に、
胸の奥がキシキシ痛む。
自分の得意分野だと思っていた場所に、
自分の名前がない。
その現実を突きつけられるから。
「私はもうダメなのかな」
「感性が古くなったのかな」
「やっぱ私程度じゃ、どれだけ頑張っても生き残れないのかな」
夜になると、
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回ります。
昨日はnoteを見て回ることすらできませんでした。
なんだか、
暗い沼の底に沈んでいくみたいで。
でも今回、
結果一覧を見ながら、
落ち込むのとは別に、
妙に納得してしまった部分もあったんです。
ああ、
やっぱり今、
市場そのものが大きく変わっているんだな、と。
今回、
私が応募したジャンルでは、
「コミカライズ確約」として、
ランキング上位作品がかなり多く拾われていました。
一方で、
大賞作品は、
単純なランキングトップというわけではなかった。
それを見ながら、
「あ、今って本当に、
“読者人気”と“IPとして育てたい作品”を
分けて見てるんだな」
って、
急に現実を見せられた気分になったんですよね。
ランキングに入ることは重要。
でも、
ランキング上位を取ったからといって、
必ずしも“大賞”になるわけじゃない。
逆に、
ランキングに入れなければ、
そもそも最終選考にも残れない。
読者人気だけでもダメ。
編集者評価だけでもダメ。
両方必要。
今回の結果って、
その空気がかなりはっきり出ていた気がします。
特に、
「コミカライズ確約」と
「大賞」の違いを見ていると、
なんというか、
出版社側の“今”が透けて見える感じがしたんです。
コミカライズ確約側は、
今すぐ広く回る作品。
アプリで読まれて、
高速で消費されていくエンタメ。
もちろん、
それ自体が悪いわけじゃない。
むしろ、
今の巨大市場です。
でも、
大賞側は少し違う。
「この作品、今後IPとして長く育つだろうか」
を、
かなり慎重に見ている感じがしました。
コミカライズ。
アニメ。
海外展開。
グッズ。
配信。
今ってもう、
“本を出して終わり”
じゃないんですよね。
以前、
KADOKAWAの出版赤字の記事を書いた時も感じましたが、
出版社側も、
「何を生き残らせるか」
を、
かなりシビアに見始めている。
そんな空気を、
今回の結果からも強く感じました。
分析としてはこんな感じです。
で。
今日、本当に書きたかったのは、
ここからなんですよね。
つらい。
シンプルにつらい。
物語を書くって、
楽しいだけの作業じゃありません。
もちろん、
キャラクターが動き出した時とか、
好きなシーンが書けた時とか、
ものすごく幸せな瞬間はある。
でも、
それ以上に悩む。
長編なんて特にそうです。
10万字。
20万字。
もっと長い人もいる。
何ヶ月、
何年とかけて、
人生の時間を削って書く。
しかも、
ただ文字数を書けばいいわけじゃない。
設定を考えて、
構成を考えて、
感情を乗せて、
読者を意識して、
市場を研究して、
タイトルを考えて、
毎日更新して、
PVを見て、
ランキングを見て、
感想に一喜一憂して。
創作って、
本当に消耗が激しい。
だから、
「落ちました」
の一言で終われない。
そこには、
積み上げた時間とか、
期待とか、
祈りみたいなものが大量に詰まっている。
たぶん、
noteにいる創作者の方なら、
この感覚はかなりわかると思います。
しかも厄介なのが、
落選って、
理由がわからない。
「何がダメだったのか」
が明確に提示されるわけでもない。
普段、私は自前の創作論で、
「自分の中にばかり原因を求めすぎてはいけない」
みたいなことを書いています。
市場もある。
タイミングもある。
編集部方針もある。
運だってある。
創作の結果って、
本当にいろんな要素が絡み合って決まるから。
だから、
全部を「自分の才能不足」に回収してしまうのは危険だと、
頭ではちゃんと理解している。
……でも、
いざ自分のことになるとダメですね。
こうして普通に、
「自分は実力がないんだ」
って、メソメソ考えてしまう。
創作者ってなんでこうも
“自分自身”を否定したくなってしまう生き物なのでしょう。
「もう古いのかな」
「感性ズレたのかな」
「私はもう戦えないのかな」
そんなことを、
ずっと考えてしまう。
それなのに、
「じゃあもう書くのやめよう」
とはならないんですよね。
落選した直後は、
悔しくて、
情けなくて、
才能がない気がして、
もう二度と応募なんかするかと思うのに、
数日すると、
気づけばまた、
新しいタイトルを考えている。
「あ、この台詞いいかも」
なんてメモしている。
本当に厄介です。
こんなに傷つくってわかっているのに、
また書いてしまう。
どうせ今回もダメかもしれない。
また誰かの受賞報告を、
薄暗い気持ちで眺める夜が来るかもしれない。
それでも、
完全には諦めきれない。
たぶん創作者って、
そういう生き物なんだと思います。
結果が欲しくないわけじゃない。
評価されたい。
認められたい。
書籍化だってしたい。
でも、
それだけだったら、
ここまで消耗する前にやめている。
たぶんどこかに、
「この物語を誰かに届けたい」
が残ってしまっているから、
またペンを持ってしまう。
だから今はまだ、
「次こそ頑張ります!」
みたいな前向きな言葉は出てきません。
普通に悔しいし、
普通に落ち込んでいます。
でも、
そんなぐちゃぐちゃの感情を抱えたまま、
たぶん私はまた書くんでしょうね。
傷つくとわかっていても。
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また明日の投稿でお会いしましょう。
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