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鴨川デルタの暗号|第二章 拡散する遊び

翌朝、鴨川デルタは少しだけ様子が変わっていた。

人が増えている。

観光客ではない。

スマホを片手にした若者たちだった。

「次の記号、どこに出ると思う?」

「てかマジで宝あるんちゃう?」

「昨日の動画、百二十万再生やで」

飛び石の周囲では、大学生たちが川面を覗き込みながら騒いでいた。

澪は橋の上で立ち止まった。

昨日の白い記号は、まだ消えていない。

むしろ誰かが周囲を囲うように写真を撮ったせいで、そこだけ舞台みたいになっていた。

「京都って、ほんまイベント好きやな」

隣で悠真が呟く。

「祭り慣れしてるから」

「なるほど。千年単位の文化や」

悠真は笑いながら缶コーヒーを開けた。

澪はスマホ画面を見る。

#鴨川デルタの暗号

一晩で、関連投稿は一万件を超えていた。

考察動画。

実況配信。

位置予想。

宝探し企画。

中には「徳川埋蔵金」と本気で信じている投稿まである。

「人って、“意味があるかもしれないもの”を見ると放っておけないんだよ」

澪は言った。

「星座とかと同じ。点が並んでるだけなのに、勝手に線を引く」

「でも今回は、実際なんかありそうやん」

悠真は飛び石を指差した。

「おまえもそう思ってるから来たんやろ」

澪は答えなかった。

その代わり、川を見た。

水位が昨日より少し上がっている。

白い線の下半分が、水に隠れかけていた。


「おっ」

突然、周囲がざわついた。

人垣が割れる。

誰かが飛び石に降りていった。

若い男だった。

派手なジャケット。

首からカメラ。

配信用の小型マイク。

「あれ、“ハント京都”や」

悠真が言った。

人気動画配信グループだった。

都市伝説や廃墟探索で有名らしい。

リーダー格の男がカメラへ向かって喋る。

「はい皆さん、今話題の鴨川デルタに来ております!」

歓声。

スマホが一斉に向けられる。

男は得意げに笑った。

「これ、たぶん地下通路系やと思うんすよね」

澪は眉をひそめた。

「地下通路?」

「京都の地下には旧水路があるって噂。視聴者コメントにもめっちゃ来てる」

悠真が小声で言った。

「おまえの予想、もうネットに出回ってるぞ」

澪は嫌な予感がした。

情報が広がる速度が速すぎる。

しかも断片だけが独り歩きしている。


その時だった。

「また増えてる!」

誰かが叫んだ。

人々が一斉に川上を見る。

飛び石のさらに奥。

昨日はなかった白線が、新しく浮かび上がっていた。

澪は目を細めた。

増えた記号は二つ。

細い直線。

そして、小さな三角。

「……そんな」

悠真が呟く。

「夜中に描いた?」

「違う」

澪は即答した。

「水位が下がって出てきた」

「え?」

澪は石へ近づいた。

しゃがみ込む。

線の表面を指でなぞる。

乾いている。

つまり昨夜のうちに描かれていた。

だが水面下にあったせいで、誰にも見えなかった。

「最初から、全部あったんだ」

悠真の表情が変わる。

「見えるタイミングだけ計算してるってこと?」

澪は答えず、周囲を見回した。

誰かが見ている。

そんな感覚があった。


川沿いのベンチ。

帽子を深くかぶった男。

スマホを持ったまま動かない。

視線だけがこちらを向いている。

澪と目が合う。

その瞬間、男は立ち上がった。

人混みへ消える。

「どうした?」

「……なんでもない」

だが胸の奥に、小さな棘が残った。


昼過ぎ。

二人は大学へ戻った。

京都の私立大学らしく、古い煉瓦建築とガラス張りの新校舎が混在している。

中庭では留学生たちが英語で話していた。

その横を、着物姿の観光客が歩いていく。

京都では、時代が普通に混ざる。

百年前と今日が、同じ道を歩いている。


図書館へ入ると、空気が変わった。

静かだった。

鴨川の騒ぎが嘘みたいに。

澪はPC席へ座る。

悠真が隣に荷物を置いた。

「で、何調べる?」

「まず投稿時間」

「SNS?」

「うん」

澪は一覧を開いた。

最初の投稿。

投稿時刻は昨日の午前十時十四分。

だが奇妙な点があった。

「……位置情報がない」

「オフにしてたんちゃう?」

「でも他の投稿は全部ある」

悠真が画面を覗き込む。

「ほんまや」

アカウント名は英数字だけ。

投稿はそれ一つ。

フォロワーゼロ。

捨てアカウントだった。

「わざと拡散させた?」

悠真が言った。

「たぶん」

「なんのために?」

澪は少し考えた。

答えはまだ出ない。

だが一つだけ確かなことがある。

これは“偶然の流行”ではない。

誰かが意図的に火をつけている。


その時だった。

「Excuse me」

英語だった。

振り返る。

ルイが立っている。

手には分厚い資料。

「これ、見つけました」

机へ置かれたのは、古い運河設計図のコピーだった。

フランス語で書かれている。

悠真が顔をしかめた。

「全然読めへん」

澪は紙を見た。

そして、一瞬だけ呼吸が止まる。

図面の端。

小さな記号。

昨日の白線と酷似していた。

「……これ、どこで?」

「大学のデータベースです。十九世紀のリヨン運河施設」

ルイは笑った。

「似てるでしょう?」

澪は頷いた。

だが頭の中では、別のことを考えていた。

なぜ京都の鴨川に、フランスの運河記号がある。

偶然とは思えない。


ルイが去ったあと、悠真が椅子へもたれた。

「なんか、急に本格的になってきたな」

「最初から本格的だったよ」

澪は古地図を開く。

鴨川改修図。

琵琶湖疏水図。

現在地図。

三つを重ねる。

そして気づく。

飛び石の位置。

現在の川筋。

明治以前の旧河道。

それらが、完全には一致していない。

「……ずれてる」

「何が?」

「川」

悠真が眉を上げる。

澪は画面を指差した。

「昔の鴨川、今と流れが違う」

「改修したからやろ?」

「うん。でも変なの」

「どこが?」

澪は白線の写真を拡大した。

半円。

斜線。

三角。

それを古地図へ重ねる。

すると。

ある一点だけ、ぴたりと合った。

悠真が息を呑む。

「なんやこれ……」

そこは、現在の川の中だった。

だが昔の地図では。

細い水路が存在している。

「消えた水路……?」

澪は小さく呟いた。

その時だった。

図書館の照明が、一瞬だけちらついた。

ほんの数秒。

だが澪は気づいた。

向かいのガラスに、人影が映っていた。

帽子を深く被った男。

鴨川にいた人物だった。

次の瞬間には消えている。

悠真は気づいていない。

澪だけが、ガラスを見つめていた。

静かな図書館の中で。

どこか遠くから、水の流れる音が聞こえた気がした。


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