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自分とともに

顔と首に蕁麻疹ようのものが出はじめて広がりつづけて1ヶ月が経ち、病院もいくつも行った。

「蕁麻疹だね」と言われてアレルギー検査をしてきれいになにひとつアレルギーがなかったり、
「こんなものは蕁麻疹じゃない。湿疹。現代医学で湿疹の原因なんてわからないからそんなこと聞かないでくれ!」とキレながら言われたり、
顕微鏡で見ていただいた結果、「判別がつかない、カビでもない」と唸るように言われたりして今に至る。

顔を洗うのすら、化粧水をつけるのすらしみて痛む。

洗顔には石けん100パーセントの粉を使っているし、化粧水も美容液も無農薬のバラのエキスが主の、自然なものをもう10年近く愛用している。

それでもそれすら受けつけなくなってしまい、数日間肌断食をした。
もちろんお化粧などせず、皮脂は出るから石けんは薄めにのばして洗い、化粧水はつけない。

しかし、明日は人と会うからさすがに今日は化粧水をつけてみよう、と思ってこわごわつけたら、そこまで痛くなくなっていた。

肌がぐびぐび化粧水を飲み込むのが感じられる。
なぜか、泣きそうになる。
ああ、喉渇いてたね、と。

肌の喉が渇くというのはおかしな表現だろうか。

皮膚というのは東洋医学では肺であり、大腸である。「肺は皮毛をつかさどる」などと言う。
そして皮膚も内臓のひとつだ。口から肛門までのひとつの管の、表か裏かのちがいだけ。

先日、セルフケアについての著書をたくさん出されている方と話す機会があったので、
「今、肌がひどくて」
と話をし、肌を見せた。

その方も昨年、首の皮膚が象の皮のようになったと本に書かれていたのもあって、そのお話も聞きたかったのだ。

その方は指定難病を経験されており、服薬をたくさんされていた時期があるから、その薬が肌に出てきたのではないか、というお話をされていた。
その方のお知り合いの方も、薬をたくさん飲まれていた時期があり、のちのち首がひどい状態になったそう。

わたしも統合失調症で入院したときには、おびただしい量の薬を飲まされた。
「こんなの薬に殺される」と思って、錠剤を飲んだふりをして隠したりしていたら、すべて粉の薬にかわり、看護師さんにあたまをつかまれて飲まされるようになった。

そのときの「毒出し」だろうか。
大腸がふれた薬の残骸を、排泄しているのだろうか。でも、大腸だろうが小腸だろうが、やっぱりひとつの管だから、おなじことであるような気がする。

薬を飲み出してしばらくしてから、わたしの全身は黒いかさぶただらけになった。
わたしはもう一生、誰にも肌を見せられないのだろうな、と思っていた。

グループホームに移り、
「わたしは湯船に浸かりたいがのんびり屋なので時間がかかります」
という申告をして、毎日30分の入浴時間をもらい、必死で汗をかきはじめめた。

汗をかいて薬を排泄しないとやばい、と本能で思ったのだ。お湯の温度は耐えられるぎりぎりまで熱くした。

入院中は週2回のシャワーがゆるされたのみだったから、グループホームではじめて湯船で汗をかいたときのことは忘れられない。
汗が、びりびりと苦かったのだ。

これが血液の状態だとわかった。
薬の流れる血液の状態だと。

それからしばらくして、わたしは粉薬もチートしはじめた。
グループホームの職員さんの前で飲んだふりをして、洗面所で吐き出す。

そうしてしばらくすると、汗の味は甘くなった。
当時わたしはほとんどごはんを食べられなかったから、塩分は出てこなかったのだと思う。

ついでに、薬によるからだのふわふわ感、非現実感もなくなった。
すこし歩くだけでもよろけていたのが、まっすぐ歩けるようになった。

そうしてさらに時間が経つと、かさぶたがはがれはじめた。
正確に言うと、自分ではがした。
垢すりをするように、お風呂のなかで指でこすってはがしていった。
退院後1年くらいで、かさぶたはすべてなくなった。

薬はその後、飲んでいない。
主治医に言って止めてもらった。

これは7年前の話だ。
7年が経って、首や顔にもっと深層のものが出てきたのかな。

noteを毎日書きはじめた途端に蕁麻疹は出はじめたので、自分を晒しはじめたことが原因かと思っていたし、それもやっぱり一因としてあるのではないかと思うのだけれど。

noteを毎日書きはじめるまで、軽い過呼吸のようになることが多かったので、アレルギーマーチのように、肺がつかさどる呼吸から皮膚に移動したのかもしれないなとも思う。

薬をたくさん飲むとこうなるよ、とか、薬は悪いものだよ、という話ではない。
だいたい、わたしは医者ではないので、わたしが書いていることを信じてはいけません。

ここにも書いたけれど、西洋医学は西洋医学ですばらしく、大事なものだ。

セルフケアや自然療法に偏ってしまうと、大事なことを見落としてしまうこともたくさんある。
ひどい場合には、手遅れになることすらあるだろう。

それでも、わたしは今一度、セルフケアの基本、そしてわたしがわたしの本能や直感を信じてたどってきた道に立ち返りたい。
薬はもう塗らずに治そうと思う。

自分とともにじっくりある。
自分の本当の声に耳を澄ます。

喉が渇いていた肌に、涙が出てくるような感覚。それを大切に抱きしめたい。

この大事なからだ、自分の宿る場所。

きのう風俗のことで苦しみすぎて、

好きな人に「死にたい」とかひさしぶりにこぼして怒られた。

死んでいいはずがないよね。

わたしも、あなたも。

死にたくなることは、生きていればたくさんあるけれど、死んでいいはずがないよ。

それだけでいいよ。
わかってくれれば。

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