Super Star Spectacle 2026 May.
(話したいことは)それで全部ですか?
ごきげんよう。プロレスをちょっと見始めて五年目に突入しています。
足を運べるタイミングで少しずつ見る団体を増やしつつも主軸はDDTプロレスリング。ドラマチックドリームチーム。私曰く、きらめきの満漢全席。
あらゆるものがひしめき弾ける夢いっぱいのエンターテイメントです。
好きな選手はたくさんいて、肩入れしている選手が数名いて、さらにその中に、かなり肩入れしており、便宜的には推していると言ったほうが通りの良い選手の方がいます。
上野勇希選手。
2026年5月10日時点、第88代KO-D無差別級王者です。
これは配信ベース、時々現地という距離感をした地方在住のファンがのたうちまわり、楽しんでいる記録です。
何かの解釈の話ではなく。書き留めておかねばやっぱり数年先には忘れてしまう一瞬のセブンセンシズめいた自分の感覚を残しておくためのもの。
私の生活の中にそれはあり、それはあなたの生活の中から受け取っているものでもあるのです。対戦よろしくお願いします。
※なお本投稿は公開時点におけるパブリッシュな媒体の都合などで、何かの内容および各所のご意向と真っ向からぶつかる可能性があるのですが、それはそれとしてご容赦ください。
1.引力と斥力
初めてプロレスの試合を見たのは、2021.11.3の配信でした。
(その前の2020年10月にも、かつてのAbemaのTHE NIGHTでDDTの選手を見たことがあったと、後で気づきました)
当時はWRESTLE UNIVERSEが年内無料。
時はコロナ禍、リアルイベントに制限がかかり遠出の手段を封じられた一方で、配信で見られる世界が増えた中では年内無料も月額990円も大差はありませんでした。(捉え方には個人差があります)
11.3を見てプロレスおもしろいよ~とWRESTLE UNIVERSEを薦めた友達(当時川崎在住)が現地観戦に誘ってくれて、一緒にきらきらミラーボールが回り、スモークが焚かれる空間を楽しんだ記憶があります。
このお誘いがなければ、私は半年ROMかのようにしばらくは配信で楽しんでいたでしょうから、結構な人生の分岐点であったかもしれません!ありがとう大阪の大会に誘ってくれた当時川崎の友達!
そこから大阪大会はなるべく現地観戦するようにして、時々近畿から飛び出すなどもして、他の気になる団体にも足を伸ばすなどして今があります。
去年のBOSJ32たのしかったです。
そんなこんなで、いつの間にか4年が経過していました。
4年経った趣味、なかなかだな~と思います。(捉え方には個人差があります)
私にとっては、生き延びた実感と言うよりは一日一日好きを積み重ねてきたな~という感慨の方が近いのですが。
4年(オリンピック1回分)経つと、客層というのはほぼ入れ替わるものだという持論もちょっと関係しているかもしれません。
これは私が大昔にフィギュアスケートのファンをいくらかやっていた頃の体感から得た話かもしれませんし、昔のサッカー集客研究で近い事例を見たような気もするけど、なんか今調べても近いようで違うのは出てくるな……
ソースの有無は脱線なのでさておき。
趣味というか、好きを続けているのって巡り合わせと、それだけじゃなくて努力が必要だと思うんですよね。
もちろん巡り合わせは大きいし、資質(能力ではない)による接し方の違いもあるのだけど、全く努力が要らないかと言われると、多分ちがう。
惹かれた瞬間、楽しいと思っている側面。
これだけで好きを永遠に続けられる人もいるから絶対とは言わない。
だけどある地点から、それ自体の歴史や出来事や人物・環境の有り様そのもの、見えるものの広がりを好きでいられるかどうかが、そっと離れるかどうかの境目になる人って一定数いるのです。それって私も含みます。
どうしてって、人間って変わるからです。
しかも、それは好きなものに関わっている人達が変わるだけの話ではなくて、私という人間そのものも変わるものであるからです。
人間は4年もあれば、その細胞は全て入れ替わっているそうです。
今の私は本当にあの時の私と同じと言い切れるでしょうか?何をもって、今の私は過去の私と連続した個体であるとするのでしょうか?
初現地観戦のあと、当時の私は大会というかプロレスへの感想を書いて、インターネットに公開していました。こちらになります。
リングの上は非日常。
リングの上に立つのは超常の存在であるけれど、日常の延長にもきっといる人間。プロレスの会場はリングの上と下でハレとケがばっきり別れているのですが、あらゆる階層でその境目はぐっちゃぐちゃになります。
こういうのを距離感が近いと捉えるか、観客に求められている責任もわりとあると捉えるかは、個人の価値観によるのでしょうけど。
その意識はいまであっても変わりません。
私にとってはそこがプロレスのおもしろいところだなあと思っています。
お客はリングの上とはどうあっても一線が存在して祈るしかなく、しかし時に何か応援などのそれらが通じたような気がするところ。
とはいえ私は未だに声援恐る恐るやる勢なので、まだ楽しみ方を掴み切れていない可能性は全然あるのですが……
だけど、わたしの周囲の環境は変わるものです。
そうなると好きなものへの見え方も変わるものです。
去年から今年の春にかけて、特にそう考えてしまう出来事がありました。
これはそんな話です。
最初からそうとは書きましたが、ロングロング自分語りです。
2.煌めきときらめき
突然なんですけど、きらめきって漢字で書きますか?カタカナですか?ひらがなですか?私はひらがな派です。やわらかな光の感じが出て、満天の星空みたいで。
でもアイナ・ジ・エンドさんが、習字の特設サイトで煌めきの字を構成する字を説明していて、漢字もいいものだなあって思いました。
――そんな「煌」を実際に筆で書いてみて、新たな発見もありましたか。
アイナ・ジ・エンド:「煌」という字を書きながら、「火に、白に、王という字で一文字ができてるんだ」って気づいて。自然の中でも圧倒的に力強い火と、どんな色もピュアに包み込む白、そして王という、百戦錬磨のような字(笑)。
なんでそんな話をするかって?「きらめき」って上野選手みたいなところありませんか?って思うんですよね。常日頃から。
わあ!今日もとてもかっこいいですね!という意の圧縮でもあり、生命力の迸りが会場に溢れているときの気持ちでもあり、上野さんの進むところが光に満ちておりワクワクするぞう!と思うところの意でもあります。
私が上野選手にむちゃくちゃ肩入れしたい!と思ったきっかけは、2022年の4月にあった無料興行でした。その日のメインイベントです。
当時は歓声もまだ解禁前でした。その時の無差別級選手権の挑戦者であった上野選手のマイクが、とてもとても刺さったのです。
たのしくて強いDDTを僕が背負って引っ張って……と宣言する上野さんをUNIVERSEで見て、私は行く予定のなかった次週の兵庫大会のチケットを取っていました。
それまでほぼ行っていなかったサイン会に足を運び、あの言葉がとても良かったとお伝えしないとならぬ!と思ったのです。今日の試合の先にあるものも実際に目にしておきたいと思ったのです。
それってめちゃくちゃ肩入れしているな!と私は今でも認識しています。
なぜって、言葉で表すことって繊細でむずかしいのです。いまこれ書いてる私も、怖いことをしてるなあと思いながら書いてます。
言葉って表情は朝と夜では変わるものだし、愛と勇気も伝わらなければ愛と勇気にならず、ただの言葉になるのです。さらに、生きて躍動する存在を言葉で表すことそもそもが、数段むずかしい行為だと思っています。
だけど、だからこそ言葉を軸に自分の進むところを切り拓こうとしていた上野さんの姿は、当時の自分にかなり刺さったのだと思います。
時は流れて、2026年5月現在、上野選手は3度目の無差別王者真っ最中!
いっとうおもろいところの王様として、東京ドームを目指すと宣言し、さまざまな表情を見せてくれています。
プロレスってひとつとして同じ試合、同じ瞬間はないところがよくて。
そのどれにもそれぞれの楽しみ方をお伝えしてくれる上野選手の姿を見ては、楽しくなっています。
人間のいろんな側面からのいろんな有り様があることをお伝えしてくれてうれしいものだなあ。それは心が弾むものだと知れてうれしいなあと思っています。
上野選手、ときめく殿方であり、きらめく殿方です。
無差別初戴冠のときは嬉しくて何か書きました。
こうした記録は私自身もまたそういう事があったねと振り返れて良いものです。自分ながらこの文章は好きです。
年々、ドラマ出演や写真集など撮影や演技のお仕事も観る機会があるのもうれしいです。人を演じることや写真に収められることって、また違う側面を見つけられるってことなので。
バイオグラフィーブック「焦点」が出たときは、嬉しくてなんか書きました。
4年ながらとっても好きであるが続いており、日々うれしいことであるのです。
私にはそういう側面がある一方で、それとは違う領域でうまくいこうと4年もがいてる側面もまたありました。
3.もがきと健やかさ
私がプロレスを見始めたのは転職過程の年でした。
一年かけて自分のやれることを考えて、準備を整えて次の職場に移ろうとしていた年でした。
プロレスと出会ったときの私は、人と人のぶつかり合いがなぜこんなに自分を惹きつけるんだろうと不思議に思っていたのですが。
たぶん、当時思っていたことと違う角度から考えると、活力を全身で浴びることが癒しになっていたかもしれないと思うことがあります。
今だからこそ思いますが、その時の私はバイオレンスな出来事にあって休養を必要としていたのに、次の進路に向けて自分をなんとか進めようとしていました。
前職に行けなくなってからすぐ受けた面接で何も話せず、自分の状態がかなり危ういと判断し、キャリアカウンセラーの方やキャリア支援サービスの方と話を重ねに重ねていた年でした。
もちろん前の職場での出来事を自分の中で解体する必要もあったのですが、今思うと当時に思ってた以上に、傷の根はもっと前からあるものだし、深かったのです。
次の春に転職が決まり、環境が変わり始めた頃。状況は確実に良くなっているのに、現在から思い出すのは他人に怯えきった自分でした。でも、その時は、そうなってしまうのは自分に自信がないからだと思っていました。
当時の選択そのものは間違いではないと思っています。
ただし自分に起きていることを理解しきってはいなかったとも思います。
そうして転職した職場で、2025年6月から10月にかけて、私は休職をしていました。ちょっと環境のズレがいろいろ重なってしまったのです。
それ自体は特に苦ではありませんでした。症状も、ちょっとばかし目に見える形で出るだけで過去一軽ければ、状況も過去一良いものです。
長く仕事に穴を空けてしまう申し訳なさこそありましたが、休むことにポジティブにいられるようになりました。
ただしこのポジティブさが、自分を客観視しているどころか甘く見積もりすぎていてたようなのです。
このポジティブさは今回の休職以前、もっと昔の自分の状況について「まだ頑張れる範疇である」「助けを求める程ではない」と認識してしまっていた盲点だったとも気づいた休職でした。
プロレスってかなりエネルギーをもらえます。生きてる人間が超常のものとして、その場限りのリングで感情を揺さぶること。とてもすごいことで、素敵なことだと思っています。
しかし時に観戦で、すごくエネルギーを使うなと思う日もあるのです。たぶん観客にも記憶や感情を揺さぶられることを支えられる体力精神力が必要なわけです。
観戦スタンスによっては、このあたりのエネルギーの使い方がめちゃくちゃ上手い人もいるのだと思いますが、私は楽しいことでも回復と消耗が同時に起きている、ということを気づくのに時間がかかりすぎました。
ほんとにほんとに当たり前のことなのですが、健康って、健やかであることってとっても大事なんです。そしてそれは自分を守ることであり、自分を自分自身で助けることの手段の一つであると納得することがやっとできた。という感じです。
分かっていたかもしれなくても、実践できていなかったことを実行できるのは前進だと自分でちゃんと思えます。
なので25年の11月から復職していましたが、体調を崩したことにより、やっぱりまだどこか自分はいろんな刺激に対して警戒モードでいたかもしれないのでした。
4.むずかしいこと・信じること
26年の年始時点で、今期の上野さん政権のことは、なんだかむずかしいことをしていると思っていました。
戴冠直後からのいつどこによる防衛戦。対鈴木みのるとの二冠戦。二冠王者として臨む超特殊ルール。それらはむずかしいながら、どう戦うものだろうと、とってもしびれるものでした。
一方で私にとってのむずかしさの最たるところが、対正田戦、対KANON戦で顕著であった、相手に未来を問う姿勢でした。
個人的に未来を問うていた時期は、ほんとうに申し訳ないことなのですが、私はどう捉えるべきか分からないなと思っていました。
わからん……なんやろ……好きになってまうとアホなるから自分には分からんのかな……むずかしいな……と頭を抱えていました。
どう戦うものだろう?ではなく、そもそもの相手の状況的に、どうやったら戦いになるんだろう?と内心で思ってしまっていたのです。
今年の3月22日での周年大会。防衛戦がありました。
その時の無差別級挑戦者はKANON選手。
陽気で奇妙なユニットSTRANGE LOVE CONNECTIONの一員で、力強い肉体とゆるくあざとさのある言動のギャップがいい選手です。
しかし私はまだ気持ちが乗り切れていませんでした。
周年大会を控えた3月8日の大阪大会でサイン会で冒頭の言葉をいただいたのですが、その後に次の防衛戦も応援してくださいねと告げられて、見抜かれている!すみません!応援をしているところは真実なんです!と申し訳なさが最大になった記憶は新しいところです。
大会には「ダウ90000」の中島百依子さんがゲスト解説に来ていたのですが、試合を見ている中の言葉で私は胸を打たれました。霧が晴れたような心地でした。
「(KANON選手のことを、上野選手が)一番信じています」
信じる!そうであった!
対戦相手を信じる上野さんのことを信じること、応援ってそうでもありました。上野さんのやりたいことが全部叶いますようにと思うことや、願うものが全部やって来ますようにと自分も願うことだけではありません。
時には何かを預けてみることも応援であったと、取りこぼしていた記憶が戻ってきたような感覚でした。信じることの表象が、今目の前で見ているものの一つではないのかと。
仕事に復帰してしばらく経って、気を張っていた自分というものがすこし緩む感覚がありました。
休職から復帰したから頑張ろう。それもそうだけど、同じ失敗をしないようにと一人で怯えなくても良かったり、自分のできていたことを急いで取り戻さなくてもいいのではないかという気持ちが少しできました。
何かに触れることは、自分の中にある別の何かを動かすきっかけになります。そうして揺さぶられた自分自身がそれに気づくことで、自分を助けることになります。
だから、プロレスを見ていることで、とっても肩入れしている選手がいるということで、救われている自分は確かにあるのです。
直接何かを助けられているか?ということではなくて、自分が何かに気づけたり動けたりする、きっかけになるのです。
私は4年前、こういったことを書いていました。
推し活を己の代償行為にしてはならない。推しがいるから自分は救われているのではなく、推しが見ている世界をより良く見たいがために、自分も生活や仕事に真摯でありたいという気持ちが揺らいでいました。
自分のありたいものを言葉にすること。それは私自身も私に向けて問うて語らないといけないよと最近思い至りました。時間はかかりましたが、推し活とはそれを通じて私が私を助けることにも繋がっているのです。
もっと時間がかかって、自分のあり方や見え方が変わって、またここに帰ってきました。
人生って同じ所をぐるぐる回っていたり、螺旋階段のようなのかもしれません。でも確実にものの見え方は変えることができていて、ちょっとは前に進んでいる。
その期間に、ずっと好きでいるものがあって選手がいる。これってとっても嬉しいことです。
あの時目指した二冠王者、なりましたねえと嬉しくなります。
私もあの時に決めた仕事を続けられています。これもとっても嬉しいことです。
私の生活の中に嬉しいはあり、嬉しいはあなたの生活の中から受け取っているものでもあるのです。それってとってもハッピーです。いつもありがとうございます。
一方的に、とっても勝手にですが、引き続きこれからもよろしくお願いします!と、それってわりとこわいかもな!と思いながら過ごしています。
次現地に行けるのはちょっと先のような気がするので、noteから失礼いたします。それではまた🌷
