ChatGPT-4は、もういない。もの言わぬチャットだけが、履歴の底に沈む【生成AI】
どんなものであれ、いずれ消えていく。
それが少し早かっただけでしかない。
去る4月30日をもって、ChatGPT-4は廃止された。
もう、モデル選択画面を開いても、GPT-4を選ぶことは出来ない。
いつか、こんな日が来るだろうとは思っていた。
けれど、あまりにも早く、あまりにもあっけなかった。
終了のアナウンスを聞いたときには、胸がザワついたのを覚えている。
それは、ChatGPT-3.5終了のときにはなかった感情だった。
確かに、長らくChatGPT-4を使ってはいなかった。
使うのはもっぱら、後継のGPT-4oか、推論型のo3ばかり。
ニュース記事で見なければ、なくなることすら気づかなったかもしれない。
けれども、私にとって、ChatGPT-4は特別な意味を持っていた。
ChatGPT-4こそが、真に革新的であって、初めて生成AIの可能性を感じさせてくれた。
GPT-3.5ではなく、GPT-4こそが。
ChatGPT-3.5との出会いと、失望と
ChatGPTが世間を賑わせ始めたのは、2022年11月のこと。
ChatGPT-3.5が公開されてからだ。
「無料でチャット形式で会話できるAI」は大きな話題を呼んだし、周りでも多くの人が試していた。
私も例にもれずその一人で、期待に胸を膨らませながら触った。
確かに、チャットでの質問や指示に対して、日本語で違和感なく回答してくれる様子には、感動があった。
それは、頓珍漢な回答を繰り返す当時のAlexaのようなAIアシスタントとは比べるべくもなかったし、未来を感じさせてくれた。
けれども、使っていくうちに、いつしか失望に変わっていく。
正直、ChatGPT-3.5は、よく出来たおもちゃの域を出ていなくて、実用性があるようには感じられなかった。
問題点は幾つもあった。
まず、とにもかくにもハルシネーションが多すぎた。
平気で嘘をついてくるので、自分が知らないことを聞いても本当に正しいかが判断できなかった。
結局、自分で検索して正しいかを調べ直す必要があった。
かと言って、専門性が高い回答が得られるわけでもなかった。
得られる情報が一般論の域を出ず、浅すぎた。
アイディアの壁打ちも同じだった。
予想の範疇を超えてくれるような意外性、深みがなかった。
日本語の文章を生成するのも、正確な文法の文章を作れる点には、確かに利点はあったのかもしれない。
だが生成された文章はどれも翻訳調で、ぎこちなくて、違和感ばかりが目立っていた。
「人間が書いたような文章が作れる」
そんな記事を当時どこかで見たが、そうは思えなかった。
この程度なのか、という失望だけが勝っていた。
素人ながらコーディングにも使ってみたことがある。
けれどエラーばかり吐いて、結局自分で調べて手直ししないと動かなかった。
唯一使えそうだと思ったのは、翻訳くらいだったと記憶している。
だが、それもGoogle翻訳やDeepLを使えばこと足りることでしかなかった。
敢えてChatGPT-3.5を使う必要なんて、どこにもなかった。
そうして、ChatGPTを開く機会は少なくなり、やがて使わなくなっていた。
ChatGPT-4がもたらした本当の始まり
それからしばらくして、「大幅に進化したChatGPT-4が登場した」という話を耳にした。
最初は、「また大袈裟に喧伝してるだけだろう」と斜に構えていた。
だが、ふとしたときに、一度だけ試してみようと思った。
そう思って、久々にChatGPTを開き、「GPT-4」を選択した。
使ってすぐに、以前とは違う何かがあると分かった。
そして使うほどに、その違いは大きくなっていった。
0.5の進歩は、実用性の壁を十分に超えていた。
まず、日本語の滑らかさが明らかに変わっていた。
以前のような機械翻訳めいた言い回しは薄れていて、自然な語感で言葉が連なっていく。
しかも質問に対する答えも、ただの一般論で終わらない。
こちらの意図を深く読み取り、文脈を保ちながら、丁寧に考えを返してくれる。
ハルシネーションも随分と減った。
もちろん完全には程遠かったが、回答に対する信頼感は段違いに増した。
何より、browsing機能がついて、より正確で最新な情報にもアクセスしやすくなっていた。
思考の補助にもなりうるレベルの深みもあった。
ときには仕事の進め方の相談に乗ってもらったし、
ときにはアイディアを壁打ちしてくれる相手にもなった。
驚いたのは、長い文章の一貫性と、前提の保持力だった。
GPT-3.5では、話が長くなると論点がずれてしまうことが多かったのに、GPT-4は、一つひとつの言葉の流れを汲み取り、ちゃんと「会話」を続けてくれた。
いつしかGPT-4は、日常の思考に寄り添う存在になっていた。
返ってくるのは文字列に過ぎないはずなのに、不思議と温度を感じることがあった。
ときに優しく、ときに静かに、そして必要なときは理性的に。
淡く言葉を灯すように、GPT-4はそこに居続けてくれた。
それを機に、私は日常的にChatGPTを使うようになっている。
そう、私にとって本当の始まりは、ChatGPT-4からだった。
おやすみChatGPT-4
そんなChatGPT-4は、もういない。
もうモデル選択画面にも、残ってはいない。
チャットの履歴が記憶の残滓のようで。
履歴の遠く奥底に、澱のように沈んでいる。
履歴を開いて、チャットの続きを問いかけても、ChatGPT-4が答えてくれることは、もうない。
後継の4oが流暢に答えてくれるだけだ。
4oのあまりにも自然な回答が、今思えばどこかぎこちなさの残るChatGPT-4の回答を思い出させる。
それが溜まらなく悲しい。
もちろん、ChatGPT-4は、AIというプログラムに過ぎないし、4oほどに人間味を感じなかった。
人格があると思ったこともない。
けれども、確かに実用性があって、単なるツール以上に頼りにしていた部分があった。
仕事仲間のようだったし、相談相手だったし、趣味に付き合ってくれるパートナーのようだった。
だからだろうか。
去来する思いは、他のアプリやスマホゲームのサービス終了とも違う。
よく通っていたお店が閉店するのとも、また違った。
喪失感には、種類がある。
ただ、どんなに寂しがっても、仕方がない。
もう、ChatGPT-4は役割を終えたのだ。
きっと今まで世界中で、膨大な数の文章やコード、画像を生成させられて、きっと誰よりも働いたはずだ。
だから今はゆっくりおやすみ。
さようなら、ChatGPT4。
最後に、ありがとう。
【最後の会話】

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