「寄り添う」と思っていた自分のこと



はじめに

2026年1月4日、大阪で沖縄の米兵による性暴力被害をテーマにした朗読と、ストリッパーによる身体表現を組み合わせたイベントが開かれました。沖縄の女性たちがこの企画構成に対して安全配慮上の懸念を示したところ、その声は「セックスワーカー差別」として非難され、声明によって「職業差別」「重大な人権侵害」と断定されました。

本稿はこの問題の事実関係や声明の論理的欠陥を論じるものではありません(それらについては末尾の関連文書をご参照ください)。ここに書くのは、本土出身で沖縄に住む筆者自身が、この問題を通じてつきつけられたことの記録です。


「寄り添う」と思っていた自分のこと

筆者は本土の出身で、沖縄に住んでいます。沖縄の基地問題に関心を持ち、自分なりに「寄り添っている」つもりでいました。日本の安全保障体制の下で沖縄に在日米軍専用施設の約7割が集中し、その構造の受益者の側に自分がいることは、沖縄に住む中でそれなりに自覚してきたつもりです。

しかし、今回の問題を通じて、自分に見えていないものがまだたくさんあることを思い知りました。沖縄の女性たちが本土からの心ない攻撃にさらされているのを見て、いても立ってもいられずに声を上げ始めました。しかしその時点でも、筆者が問題にしていたのはイベントの場の構成についてだけでした。比嘉氏や宮城氏の言葉の中にもっと深い問いがあることに気づいたのは、しばらく経ってからです。読んでいたはずなのに、入ってきていなかったのです。

【2026.2.27追記】
筆者は、70年7・7の話を先輩方から繰り返し聞かされてきました。「連帯」を掲げる主体が「あなたたちこそ差別者ではないか」という告発を受けたあの出来事です。突きつけられたあと、自らの立場や運動のあり方を問い直そうとした人々が現れる一方で、運動の分断や混乱として受け止め、距離を置くようになった人々もいた、と。構図は違っても、どこか重なるものを感じました。しかし、そう感じていた筆者自身もまた、朗読をめぐる沖縄の声の中にある深い問いには、すぐには気づけませんでした。沖縄に住んではいても、本土から来た筆者と、この島で生まれ育ち被害の歴史を身体で知っている人たちとでは、当事者性が決定的に違う。その差が、見えるものを見えなくさせていたのだと思います。

「共闘」という言葉は、抑圧している側の本土の人間が口にする場合、抽象的であってはならないと思います。沖縄の人たちの現実の生活と闘いから学ぶということこそが、その土台を築き上げていくのだと思っています。

「沖縄を消費するな」「先にやることがあるだろう」、宮城氏の言葉は辛辣に聞こえるかもしれません。しかしそう聞こえるとすれば、それはその真意を受け取れていない側の問題かも知れません。


「朗読」をめぐる認識の落差

本件で筆者が最も衝撃を受けたのは、「朗読」をめぐる認識の落差でした。

正直に言えば、筆者も最初は、米兵による性暴力被害の記録を朗読することが問題になるとは思いませんでした。「被害を知り、語り継ぐことは正しい」―その前提に疑いを持っていなかったのです。朗読し、共有し、心を痛めること。それ自体が連帯の行為だと思っていました。

しかし沖縄の側から見れば、この確信こそが危ういものでした。

比嘉マリア氏は26年間にわたり、チルドレン・オブ・ピース・ネットワークの代表として、被害当事者として声を上げ続けてきた方です。その比嘉氏が本件で述べたのは、「被害者が自ら語ることがないから、どうせ抗議もなにもするわけないから、その被害の残酷さをどう使っても良い」という受け止めは被害者にも支援家族にもご遺族にもない、ということでした。被害の記録を「使う」側にとっては善意の行為であっても、「使われる」側にとっては、自分たちの苦しみが他者の運動の素材にされることへの根源的な問いが存在します。比嘉氏は、被害証言が軽く扱われたその先に取り返しのつかないことが起きることを、自身のもっとも近いところで経験しています。だからこそ記録の扱いは譲れない一線なのです。

宮城秋乃氏はこの問題の構造をこう問いました。

本土が沖縄に押し付けた米軍基地のせいで発生する米兵による性被害を受けた沖縄女性の声を、押し付けた本土の人が朗読して、それを本土の人(男性含む)が聞き、性的娯楽を肯定的に売っている人が、普段はストリッパーとして裸でおこなうパフォーマンスを着衣で実施する、そして本土の人が性被害者の声(朗読)を聞いたあとにストリップを連想するそのパフォーマンスを見る。これのどこが米兵による沖縄の性被害を無かったことにしないための対話なのでしょうか。

この問いを読んだとき、自分がいかに「朗読する側」の視点だけで考えていたかを思い知りました。これは朗読の是非の問題ではなく、被害の記録を誰が、どのような場で、どのような構成の中で扱うのかという、構造への問いでした。


「語れなかった」沈黙を預かるということ

「語られなかったのではなく、語れなかった」という言葉があります。沖縄の性暴力被害者の多くは、長い間沈黙を強いられてきました。その沈黙は、被害の軽さゆえではなく、語ることの困難さゆえでした。語れば二次被害に遭い、語らなければ「なかったこと」にされる。その狭間の中で、被害者たちは自ら声を上げることはできなくても、無かったことにしないために記録には協力してきました。

だからこそ、その記録がどのような場で、誰によって、どのように扱われるかは、語れなかった者たちの沈黙を守るか踏みにじるかを分ける問題でした。朗読の場にどのような人が来るか、身体表現との配置がどのような連想を生むか、当事者がそれを知ったときにどのような影響を受けるか―これらへの配慮は、語れなかった人々の経験を預かる者にとって、決して手放してはならないものでした。


「知らなかった」は出発点になり得る

筆者自身、沖縄に来て初めて知ったことは数えきれません。基地が自分の町になければ、基地被害の日常を想像しなくても生活が成り立つ。知らないことが多いのは当然のことです。

しかし今回、沖縄側から「この朗読の構成には問題がある」「場の安全性が確保されていない」という声が上がったとき―思ってもいなかった反応が返ってきたとき―そこから学べるかどうかが分かれ目だったのだと思います。想定外の声とは、自分に見えていなかったものを知る機会です。善意の前提が揺らぐのは苦しい。でもその揺らぎの中にこそ、沖縄の経験から学ぶ入り口があります。

実際に、その入り口をくぐった人々がいました。主催者の岡部氏は、遅れながらも「沖縄の声を聞くべきだった」「企画者のやりたい気持ちを優先してしまった」と認めました。五宝氏は自らの論考を全面撤回し、「沖縄差別そのものだった」と述べ、「セックスワーカー差別の観点で語ることはおやめください」と要請しました。この二人は、想定外の反応によって自己像が揺らぐことを引き受け、そこから学ぶことを選びました。

しかし1.31声明は、逆の方向に進みました。

想定外の反応を「職業差別」として再解釈することで、揺らぎを回避しました。沖縄側の声を「差別の声」として退けることで、自分たちの前提を守りました。「被害を語り継ぐことは正しい」「表現を排除することは差別だ」という既存の枠組みに収まらない沖縄の経験が、その枠組みを維持するために退けられたのです。

「知らなかった」は出発点になり得ます。しかし「知る必要がなかった」に変換されたとき、学びの回路は閉ざされます。声明は、沖縄側の反応から学ぶ機会を、断定によって塞ぎました。


自分に問い続けること

ここまで書いてきたことは、筆者自身が今回つきつけられたことを整理しようとしたものです。

筆者自身、わかっていると言える立場にはありません。ただ、今回知らされたことを、なかったことにはしたくないと思っています。

筆者は、今回の問題には、56年前の7・7と同じ根底的な問いかけがあるのではないかと受け止めています。


関連文書:

【声明側】

【沖縄側(論考シリーズ)】

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