「在り方」の流れの元をたどる旅――崩壊の後の「再生」(中編)
▼「在り方」の流れの元をたどる旅
――再生の前の「崩壊編」
▼「在り方」の流れの元をたどる旅
――崩壊の後の「再生」(前編)
これら記事からの 続きです
いきなり本文となります
よろしくお願いいたします
あの時の「選択」――この時への「道」
あー ごめんなさい
もう 大丈夫です
はははは
やだなぁ 恥ずかしい
…
災害が起きること
とくに あの水害は
人災
の側面もあるのですけど…
とにかく
災害が起きることは
歓迎したくないですよね
ただ あのときね
わたしなりに 小さな勇気を出して
ボランティアに参加してよかった
と 想っているんです
あのとき
「参加する」
という選択をすることで
あの赤十字の社員さんに
出逢うことができた
そして
「自分の適性」
について
見つめることが
できたんですよね
高校時代の進路選択では
決してできなかった
「自分の適性」
について見つめられた…
あの時
ボランティアに参加しなくても
別に 構わなかった
「病弱ですし まだ自宅療養中です」
と言うことだってできた
でも 参加しなかったら
わたし
どんな 人生だったのでしょう?
今のこのわたし
には
" いきついていない "
と 思いませんか…?
" 被災後 " は終わっていない――知らない「道」
さっき あの災害には
人災
の側面もある
と いいましたけど
情報伝達が遅れた
んですよね
そのため
逃げ遅れた人が 増えてしまった
そして亡くなった
ほとんどの方が
高齢者でした
ボランティアに参加することで
体の不自由な高齢者の方々
そして ご家族の
大変さ
その 一旦を
現場で
見ることができました
…
ボランティアの募集は 終了しても
あの街の
「被災後」
は
まだ 終わらない
と
想ったんです
…
そこで わたしね
ボランティア後
三条市のハローワークに
通うんです
そして
三条市の
介護事業所に
採用してもらうことが
できました
全く未経験の
介護士の仕事を
することに しました
正社員?
いえいえ
当時はそんなに
求人甘くないんです
正社員じゃないですよ
内定をいただいてから
働き始めるまで
少し時間があったので
ホームヘルパー2級の資格を
スクールに通って取りました
" 基本 " はあるけども――" 応用 " だらけの「道」
介護の世界は
なにもかも
未知の世界
でした
実際に働き始めたら
まず
「他者の身体に触れる」
ことの 難しさに
直面しました
どのタイミングで
どんな風に
触れればいいのか
ぜんぜん わかりませんでした
その他にも
いろんな介助場面で
悩みましたね
他の先輩スタッフの
やり方を もちろん見ます
でも
皆さん 少しずつ
「やり方」が
違うんです
それが 正解なのかが
わからない
利用者さんが
「楽ちんだ」と
喜んだとしても
それが
善い介助
とは 限らない
そんな 悩みをどこか感じながら
必死に仕事を覚えていった
気がします
必死でしたね
マニュアルはあるけども
応用問題ばかりの
世界でした
たぶん 介護士さんって
そういうことが
自然と できるんです
でも わたしは
自然にできないんです
「なぜ?」
「どうすれば?」
と 考えてしまう
それまでの
「思考の癖」
なんでしょうね
不器用なんですよね
何をするにしても
うまくできない
不器用なんです
理解できない現実を前にして――出逢うその「道」
そこの スタッフさん
みんな いい人でした
このまま ここで
働き続けたいな
なんて 想い始めてもいました
ただ
利用者さんの中で
車いす生活をしている
認知症の女性がいたんですが
ある理由で
入院されるんです
1カ月ほどたって
無事退院されたんですけど
認知症で無表情だった その女性
笑うようになって
言葉も 少し 話されるように
なっていました
さらに
介助をすれば
歩くことも できるようになっていたんです
本当に その変わりように
びっくりしてしまいました…
介護士の仕事って
「利用者さんの
身体機能を活かし
介助は最小限度に」
って 教えられるんです
どこか わたしも
悩みながらも そうしてきた
つもりでした
その女性の介助をするときも
そうしてきた つもりでした
でも
目の前に起きている
その「現実」は
どう説明すれば いいのか?
他のスタッフは
「〇〇さんが 変わった
すごい!」
と 喜んでいました
もちろん わたしも 喜びました
でも
それ以上に
『いったい これは なんだ?』
と いう想いが強かった
そこでね 事情に詳しそうな
相談員さんに 聞いてみたんです
こう 教えられました
「情報提供書を読むと
リハビリが
とても良かったみたい」
…
…
『リハビリってなんだ?』
そのときの
わたしの
気持ちです
家族の表情――リハビリへの「道」
「リハビリテーション」という
言葉 は知っていても
何も 知らなかったんです
そして 夢中で
リハビリについて 調べました
調べているうちに
いつしか
『自分が その仕事を したい』
と 想うように なっていました
しかし リハビリ職に就くためには
養成学校を卒業しなくてはならない
30歳で 仕事を失い
さらに そんな人生の選択を
していいのか?
随分 悩みました
でも
悩んでいるのは
『どう 家族に切り出すか?』
なのだと 気づきました
リハビリの仕事をしたいことは
いつの間にか
悩んでは いなかったのです
…
両親や 元妻に
相談しました
親も悩んだと想いますが
賛同してくれました
元妻の意見は…
まぁ ここでは 触れません
非常に 複雑なものでしたから…
反対はしないが
金銭的な援助はしたくない
ざっくりいうと そんな感じでした
そのとき 初めて言いましたね
「結婚後
あなたに
迷惑かけっぱなしです
別れてください」
ってね
正直 別れたかったんです
元妻の親族も 当時
「別れなさい」
と 言っていたと
後で 元妻の母親から
聞きましたよ
でも
それは 拒否されましたね
男と女の関係というのは
「愛」だけで 語ることはできません
もっと 複雑で
もっと 現実的なものです
時に 残酷でもあります
「結婚は 人生の墓場」
って言った人 いますけど
そうかもしれませんね
あ
これは 私見ですよ 笑
愛について 理解を深めることができたのは
つい 3か月前の わたしなんですから
社会通念としての
一般的な 夫 として求められる形で
妻を 愛そうとして
愛していると
自分を認識していましたが
最初から 最後まで
わたしは 妻を
愛してなど
いませんでした
あ! ごめんなさい
若いあなたに
なんて ひどい 脱線話を!
ごめんなさいね~
わたしみたいな ひどい男
少数派のはずですから
安心してくださいね!
なははははは
はぁ… 笑
…
話を戻しますね
そして
職場に離職の意思を伝えました
とっても 盛大な
送別会をしていただけました
やっぱり あの時のスタッフの皆さん
いいひとばかりでした
そして 受験し
無事
新潟医療福祉大学 という大学に
社会人枠で
合格することが できました
そうやって
リハビリ職への道を
歩み始めたんです
(後編につづきます)
「在り方」の流れの元をたどる旅
――崩壊の後の「再生」(中編)

UnsplashのAdam Wilsonが撮影した写真
