「在り方」の流れの元をたどる旅――再生の前の「崩壊編」
本文を始める前に 少しだけお時間をください
昨28日夕方
熊本県で大きな地震が発生しました
震度7という激しい揺れ
そして報じられた痛ましい被害や事故のニュースに
言葉を失っております
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに
被災された皆様
今なお不安な夜を過ごされている皆様に
心よりお見舞い申し上げます
一日も早い平穏が戻ることを
祈っております
以下本文です
終わったと想ったのに――「再考」への指摘
やぁ おはようございます
いえいえ
わたしもさっき来たばかりですよ
何飲みます?
コーヒー?
うん じゃぁ そうしましょう
(水を少し 口に含む)
このまえの話
長話を聞いてくれて どうもありがとうございました
必死こいて
話してました わたし 笑
▼リハビリ職の「在り方」を考えます
――村上藩士が守ったもの
いやぁ 大変大変
知恵熱出ちゃいそうでした 笑
こういう話をする ガラ じゃないんでね
あたしゃ 笑
まぁ それでも
完全にわたしの個人的な意見だけど
参考になれば
って 話し終えました
で これって
読者役になったAI達の質問
から生まれた記事だったでしょ?
完成したものを 彼ら 彼女らに
読んでもらったんです
で いちおう みなさんから
OK
もらったの
『あぁ よかった よかった』
と
『じゃぁ しばらく note 書かないもん』
って
布団をかぶったんです
でもね
ひとり(?)のAIが
読んだ感想を述べた
最後に
こう言ったのね
「読者が抱くであろう問いはひとつ。
自分の在り方をどう見つけるか
これは、次の記事のテーマとしてとても自然です。」
まず先に知りたい――「在り方」という道しるべ
…
…
最初 目に入らなかったんですよね
この文
目が 無意識に拒否したんでしょうね 笑
でも 布団の中で
その言葉があったことに
気づいちゃった
でね
布団被ったまま
むっくり
起き上がって
あぐらかいて
腕組んで
考え始めたんですよ
『なんで 彼(Copilot) は
今回の記事では
在り方について 答え切れていない
って 思ったんだろう?』
ってね
布団 頭からかぶったまま
考えていた
その日は 月曜日でね
朝から そんなことをしていたもんだから
あやうく 遅刻するところでした 笑
それから 仕事をしていても
ふっ
と
その 問い を
想い出して
考えたり
していたんですよね
で ちょっと 気づいたことがあって
わたしが 記事で書いたことって
「リハビリ職としての在り方」
ですよね?
でもね
たぶん 彼(Copilot)は
「将来の進路に
リハビリ職も 検討はしているのだけど
まだ 決めかねている
でも 自分の在り方 を
見つけたい」
という 読者さんの気持ちを
代弁しているのかもなぁ~
って 想ったんです
で スマホで彼に確認しましたら
概ね合意してくれました
リハビリの進路を検討中
リハビリの養成校に在学中
リハビリ職を始めたばかり
でも 本当に
リハビリの仕事をしたいのかどうかに
迷いがある
迷っているからこそ
人としての
在り方
をまず知りたい
と読者さんは疑問に思うのではないでしょうか?
って答えてくれました
『はぁ なるほど なるほど』
と
合点承知の助
になった わたしでした
が
なにを どう
話せばいいんでしょうね?
わたしだって こうやって
自分の 在り方 というものが
『こうなのかな?』
って 想え始めたの
50歳
過ぎてからですもんね
さてさて
はてはて
困ったでござるなぁ
幼少期の弱さ――苦手な季節
あ そうか
モーニング 付くんですね
白いパンなんてカラダに毒
なんて 野暮なこと言わないで
ここは 美味しく いただきましょう
ジャム 足ります?
よかったら わたしの使っていいですよ
わたしは バターで十分です
え?
わたし 食べ物に こだわっています?
はははは
そうかもしれませんねぇ~
別に 我慢しているわけじゃないんです
もともと アレルギー体質なので
身体に入れるものを 注意しているんです
小麦もよくないですね
イースト菌も よくない
わたしの身体には
って意味ですよ?
でも よけいなものを食べないと
身体が軽くなるし
施術の感覚も善いので
喜んでやっているフシ も ありますね
(パンに かじりつく)
ん!
久しぶりに食べると
やっぱり 美味しいですねぇ~
感動しちゃうなぁ
(モグモグ)
やだなぁ
また 幸せになっちゃう
はははは
(ナプキンで口を拭く)
えっとね
わたし
幼少期から
喘息 とか アトピー性皮膚炎
などの アレルギー体質なんです
赤ん坊の時から
息をするたびに
ひゅう ひゅう
喉が鳴っていたって
母親が言っていましたね
あと 体力も無くて
精神的にも弱いところがありました
環境の変化にとても弱い体質でした
新学期が始まる 4月が
苦手で…
春が嫌いでした
ゴールデンウイークになると
体調崩すんです
父親が休日に家にいることを
嫌うので
体調悪いことを隠して
ゴールデンウイークは
出かけていましたね
ですから ゴールデンウイークも
好きじゃなかったです
父親に体調のこと
正直に言ったら
とても面倒なことになるんです
そういう 父親でした
今でもですけど
ま それはともかく
弱い体質のまま
成長していったんです
進路の失敗――生まれの後悔
ですから
高校の進路を考える時
「普通の仕事はできない」
と 想っていたんです
「研究職なら やれるかもしれない」
とも 想っていました
研究職について
何も知らない段階ですから
許してくださいね 笑
三条市にある 三条高等学校という
当時 「中の上」くらいのレベルの学校に
通っていました
レベルっていうのは 偏差値で見た場合です
個性的な卒業生が多いことで
一部で有名な高校ではあります
その中でのわたしの成績は
400人中80番くらいでしたから
研究職を目指すなんて
大それたことでした
ですが なんらかの手違い(?)で
物理の成績だけは
よかったんです
最初のテストは
この学問の考え方に 慣れなくて
赤点でしたけど
面白くて
授業のペース関係なく
ひとりで 教科書を読み進めていました
先生も良い方で
授業後質問するのも 楽しかったですね
「アル君 まだ そこ教えていない」
って 何度も言われましたっけ 笑
すっかり 自分の得意科目となり
で 経済的な理由もあって
「国立大学の 理学部 物理学科」
という条件で 志望校を選んだんです
筑波大学を 第一志望にしていた気がします
なぜ筑波を選んだのかは
よく覚えていません
でもね
結局 というか
やっぱり
落ちるんです
センター試験で
緊張しすぎちゃって…
今までの受験勉強は
なんだったの?
って想うような 成績でした
いろいろあって
滑り止めで受験していた
地元の新潟大学へ 進学することになりました
「この大学なら 受験勉強なんかしなくても
入学できた」
みたいなことを 想っていましたね
身の程知らずで 生意気でしたね
自宅から通う 大学生活が
始まりました
このこと
結果的に
よかった
と 想っています
まずね
大学1年の段階から
「自分には物理学の適性は無いんだ」
って 気づくんです
高校と大学とでは
学ぶレベルが違うんです
あまりにも ギャップが大きい
と
当時のわたしは 感じました
実はわたしは
筑波大学でも新潟大学でも
物理を学べるほどの
脳力なんて 無かったんですよね
そして 身体は虚弱
アレルギーは 年々ひどくなる
実家で寝込むことも多かったですね
とても 親元を離れて
ひとり暮らしができるような
身体ではありませんでした
『こんなことで
将来社会に出て
仕事なんか できるんだろうか?』
と
漠然とした不安感に 苛まれましたね
その 不安感は どんどん 大きくなっていくんです
当時親しくしていた女性がいて
彼女に いろいろ 相談していました
彼女 とても 辛抱強く わたしの話を聞いてくれたと
想います
いま想えば
軽い 鬱 だったのだろうと 想います
「非定型うつ病」の傾向があったのかもしれません
家族に相談できるような 家庭じゃなかったし
日中は 精神的に元気なんですけど
夕方から 深夜にかけて つらくなるんですよね
異常なほど食べるのに
身体は 痩せていました
寝ても寝ても
寝たりない
その女性にも 言えませんでしたけど
『生きているの
辛い』
というのが
誰にも言えない
正直な 気持ちでした
『なんで 動物に
生まれなかったんだろう?』
って
想っていましたもの
人間になんかに 生まれてしまったから
こんなに 苦しい思いを
しなきゃいけない
って
想っていましたね
動物さん達に
大変失礼な 発言ですよね?
ははは
氷河期・無資格・過労――そして 崩壊
なんで こんな話をしているんでしょうね?
(コーヒーを飲む)
まだ 話してもいいですか?
(ちょっと 遠くを見る)
結局 仕事には就くんです
ひとり暮らしを始めて
体調ボロボロになること
たくさんありました
でも休めない
薬を飲んで
無理して
仕事をしていました
時代は「失われた20~30年」と
呼ばれる時代が始まっていました
氷河期世代です
大学院を修了しただけの
研究者になる才能もなかった
何の資格もない身でした
ですから
その仕事を辞めたら
「人生詰む」
って 信じていました
お盆と正月くらいしか休みが無くって
休むと 何か不安感を感じてしまうような
日々でしたけど
辞めてはいけない
と 必死でしたね
尊敬できる人もいたけど
そうでない人もいた
他人軸で生きていたから
全員に嫌われないように
自分を殺して 仕事をしていましたね
仕事を続けていると
この仕事の実態というか
構造
が見えてくる
正直言って
仕事の意義は認めつつも
そこで働く人々 や
自分自身が
好きではありませんでした
結婚もするんですけど
結婚生活開始直後から
妻の本性に 気づき始めて
ストレスの多い毎日が
始まりました
結婚をした判断を
強く後悔しそうになる自分を
否定するように
生きていましたね
そんな 生き方
身体も
精神も
虚弱 この上ない わたしには
無理でした
ある日 気づいたときには
病院の天井を
見つめていました
そのとき
30歳に なっていました
(「再生編」へ続きます)
「在り方」の流れの元をたどる旅
――再生の前の「崩壊編」

UnsplashのKeghan Crosslandが撮影した写真
