その脳卒中のリハビリに強くあこがれたM先生|そして切ない記憶
理学療法士歴 30年という
aさんの リハビリを拝見しながら
わたしは 3人の恩師を
思い出しています
既におふたり 綴らせていただきました
猛烈に頭の良い とても人間臭い先生から
「理解する」
こと
「エビデンスをどう利用するか」
について
教えていただいた 方でした
ふたり目は
素晴らしい技量スキルをお持ち
の 先生こそ
常に謙虚で 上下関係のない
協調した治療を 希求している
という姿を見せていただいた方
でした
・・・
こんかいは 最後三人目
現在も 新潟県内のある医療法人にて
理学療法士として ご活躍されている方です
残念ながら 現在は
わたしは 先生と交流がありません
ですので 実名で記載することは
差し控えさせてください
M先生
と よばせてください
女性です
ここで使ったイニシャルはランダムであり
実名と関連はありません
M先生には 大変お世話になりました
しかし M先生からの期待を
わたしは
裏切りました
そこから 交流が無くなり
すでに10年弱 経過しています
あくまでの その当時の
M先生について
思い出し
整理したいと 思います
例によって
また わたし自身のための
ブログ記事となること
あらかじめ ご了承ください
~~~
大学4年
わたしは なかなか 就職先を
決めることが できずにいました
すでに 家庭を持っているため
県内での 就職先を探していたのですが
新潟県では 新卒の求人が
とても 少ない状況なのです
・・・
そんなとき
滅多に新卒の求人を出さない
ある 病院が
新卒の求人を出したと
知りました
数年ぶりの 新卒求人
募集人数
ひとり
県外含め
応募が殺到したと
あとで聞きました
その病院は
わたしが 数か月前
臨床実習
で
おせわになった 病院でした
~~~
臨床実習での 指導者が
M先生
でした
その 指導は
とても
厳しく
かつ
的確
でした
その 指導に
必死に くらいついていきました
10週間
平均睡眠時間 おそらく 3時間?
たいへんで 苦しい
実習でしたが
とても 充実した
実習でした
なぜ
そこまで くらいついていけたのか?
M先生が行う
脳卒中のリハビリに
とても
驚き
とても
憧れた
からです
~~~
この 実習の前の年
わたしは 佐渡で
評価実習という
現場での学びを 経験していました
そこで 初めて
脳卒中
の 利用者さんに
触れ
検査 評価
をしました
知識では 知ってはいても
実際に触れる
その お体は
当時の わたしには
衝撃でした
硬い 筋は
驚くほど 硬く
弛緩してしまった 筋は
もはや 筋の感触さえもない
そんな お体をかかえ
麻痺の影響が少ない
体の部分を 用いて
努力して
病気になる前は 当たり前だった
起き上がる
立ち上がる
歩く
食べる
トイレ
そういう 動きが
ひとつひとつ
努力
が必要な状態でした
ただ 寝ること
さえ
痛みなどの 理由で
むずかしくなっている方も
おられました
・・・
そこの施設の 理学療法士の先生方は
適切な 運動療法を 行うことについて
いろいろ 教えていただけましたが
「麻痺はなおらない
これ以上 悪くならないように」
という 前提で
リハビリを行っておられました
『そういうものなのか…』
と おもい
さらに 学びを深めようとしつつも
どこか…
残念に思う
麻痺のある利用者さんの気持ちを思うと
残念に思う
わたしが いました
~~~
たしかに 発症間もない
病院での リハビリは
患者さんの 麻痺は
改善しやすい 時期です
ですが
それにしても
M先生の リハビリは
なんだか
魔法
の ようでした
いま 思い出しても
レベルの高い
リハビリだした
学生当時の わたしの 眼では
はっきりと
M先生による
リハビリ前後の
患者さんのちがいに 気づくことは
できませんでしたが
患者さんの 表情だけは
その 表情が 変わることだけは
とても よく わかりました
「あ…」
という
患者さんご自身が
ご自分の 身体の変化に
気づく
そんな リハビリなのです
重いと感じていた体の部分が
軽いと 感じたり
大変だと思っていた 動きが
楽にできると 感じたり
M先生が
「どうですか?」
などと 聞かなくても
患者さんの 表情が
すでに その効果を
伝えておられました
その 動きが
その効果を
雄弁に語っていました
・・・
集中治療室でも リハビリは行います
たとえ
点滴
モニター
人工呼吸器
そういったものがつけられた
意識が回復していない
患者さんの リハビリであっても
M先生が リハビリを行うと
なんとなく
同じ 寝ている 姿勢であっても
楽
そうに
見えるのです
いちど そのことを お伝えしましたら
「じゃぁ 違いがわかると よいのだけど」
と
重症の患者さんの リハビリ前に
腕を 上げさせてもらいました
そして リハビリ後に
ふたたび 同じ腕を上げました
「わ!」
と 驚きました
軽くなっているのです
「ね? わかった?」
と M先生は にこりとされました
そして その患者さんに向かって
「学生さんでも 違いがわかるくらい
からだが 軽くなったみたいで
良かったです
実習に 協力していただいて
〇〇さん
ありがとうございました」
と 声をかけられました
わたしも 患者さんに
お礼を 述べました
人工呼吸器と
モニターの音と
独特のにおいが満ちる
病室で
わたしは 感動していました
・・・
病室を出て 廊下を歩いている時
先生が尋ねられました
「ねぇ なんで 患者さんに
普通に 声をかけたの?」
一瞬 質問の 意味が わかりませんでした
が
あ そうか と気づきました
「意識レベルが低下している状態の患者さんに
なぜ声をかけたのか?
という 意味でしょうか?」
と 確認すると
「そう」
とのこと
「意識レベルが低下している
声かけに 反応がない
だとしても
患者さんが
聞こえていない
という 証明にはならない
と 思います
それに M先生が
自然に患者さんに 話しかけながら
リハビリをされていましたので
なんとなく それが
当然
だと 思っていました」
と お答えしました
M先生は
「ふ~ん そっか」
と だけ 言われましたが
表情は 少し にこやかでした
~~~
臨床実習では
実際に 患者さんの
リハビリを
させていただく機会があります
それを レポートにまとめ
指導教官の OK をいただいて
実習は 終了するのです
ですので
患者さんの ご協力が
不可欠です
おふたりの 患者さんの
ご協力を いただいていました
しかし
おひとりの方は
途中で 身体状況が悪化し
実習への協力は 不可
となってしまいました
もう ひとかたは
少し 性格に クセのある
男性患者さんでした
ただ リハビリは とても積極的
実習にも 当初 協力的でした
・・・
しかし
わたしの その方の こころ
を 十分理解することができず
不用意な発言をしてしまい
会話をすることが
できなくなってしまいました
これは 実習にとって
とても 致命的なのですが
「協力するとは言ったから
最後まで 協力はする
ただ
あの学生に対する
態度を変えるつもりはない」
と M先生へ言われ
わたしの 実習には
しぶしぶ
最後までお付き合いいただけました
不機嫌な 患者さんに
もくもくと
リハビリの真似事のような
ことをする わたし
「痛くないですか?」
という 問いにも
無言
とても
苦しかった…
あとで 先輩のリハビリスタッフにお聞きすると
「あれは こっちも 見ていて 苦しかった」
と 言われました
・・・
そんな わたしにとって
M先生の リハビリは
とても まぶしいものでした
いつも 笑いが 絶えず
会話が弾み
ときに 落ち込まれたり
不安を抱く 患者さんにも
寄り添い
リハビリ終了は
いつも
患者さん そして
見学されていた ご家族さんも
笑顔で
「ありがとうございました
あしたも M先生
出勤ですよね?
リハビリ休みじゃないですよね?」
と 言われていました
・・・
「あぁ わたしも いつか
こんな リハビリが
できるようになりたい」
そう おもいました
のちに
M先生が
ボバースコンセプトという
脳卒中のリハビリ治療を
深く学ばれ
実力者として 認識されていることを
知りました
ただ わたしが
M先生に 憧れたのは
その リハビリスキルだけでなく
患者さんに 寄り添い
「患者さんから 学ぶ」
という 姿勢を 徹底されている
その 姿
でした
ふたり目の恩師の亀尾先生同様
M先生も
高いスキルを持ちつつ
立場の上下がない
他の専門職と
協調したリハビリを
患者さんといっしょに
作り上げていく
タイプの 方でした
~~~
狭き門の 新卒の求人
とうぜん わたしは募集し
面接を 受けました
面接官は
当時の リハビリ部の部長
そして
M先生
でした
キッチリとした
質問が 続く
一般的な 面接
でしたが
なんだか 少し
あたたかい
雰囲気の
面接でも ありました
実習中
ほとんど 褒めることのなかった
M先生が
なぜか 優しい
表情を されていました
~~~
そして 無事に
採用
となりました
「M先生」
は
「M主任」
として わたしの上司となり
職場の文化として
「Mさん」
と お呼びするようになります
それでも Mさんは
いつも 厳しかった
すこしでも
リハビリがうまくいかないことを
患者さんのせいに
わたしが しようものなら
容赦なく!
厳しく!
指導されました
「実力不足を
患者さんのせいにするとは
なにごと?
アルさん
あなた 実習で
なにを学んだの?」
と…
「ダメPT」と
先輩のスタッフたち
患者さんに
厳しい評価を もらっていた頃も
粘り強く 見守ってくださいました
・・・
一時は わたしは
あきらめて しまい
M先生と 考え方を異にする
セミナーに 参加し
それにのっとって
リハビリをした時期もありましたが
やっぱり
M先生のような
学生時代 強くあこがれた
リハビリは
できませんでした
その頃 M先生は
「あ~ぁ…」
と 当時の わたしを
残念に 思っていたでしょうが
それでも 見守ってくださいました
~~~
才能が無くとも
継続すれば いつか身になるときがあり
わたしにも ボバースコンセプトに
ある程度 のっとった
リハビリができるようになり
結果もともなうように
なってきました
患者さんに
喜んでいただける
リハビリができるように
なってきました
そのころは わたしは
回復期病棟に 配属されていました
急性期病棟が 終了し
リハビリが必要な患者さんは
回復期病棟へ 転棟します
Mさんは 急性期
わたしは 回復期
あるとき
Mさんが 担当される患者さんで
重症な方が いました
回復期病棟に転棟するにあたり
リハビリ担当が変更になります
その患者さんを
わたしが 引き継ぐこととなりました
どのような 患者さんか?
その経緯と現状を
Mさんに 引継ぎをしてもらいます
詳しく 的確な
報告を お聞きしました
そして 最後に
「リハビリ難しい人だったんだ
次が
アルさんで よかった」
と ポロっと 言われ
Mさんは 笑われました
とても
とても
うれしかった
ことを
思い出します…
~~~
良い時期は 長くは続かず
のっとられるように
病院のリハビリのトップが
変わります
ボバースをもとに
リハビリをするものに
強い圧力
が かかるようになります
わたしは 必死で 抵抗しましたが
抵抗の仕方を
間違えてしまいました…
実質的に リストラ
を されました
Mさんは
最後まで わたしに
病院に 粘り強く残って
一緒に 働いてほしかった
そう 思っておられたのだと
想像します
わたしも そうしたかったのですが
叶いませんでした…
その後
その病院から
ボバースを学ぶ仲間たちが
全員 辞めていった
と 聞きました
その中には
管理職であった
Mさんも
含まれていました…
~~~
Mさんと 現在も 交流はありません
リストラされた次の年
ボバースの研修会で
そのお姿を 拝見することがあり
ご挨拶に 向かおうとしたことが
ありましたが
近寄っては いけない
雰囲気を 感じました
Mさんも
わたしには
目を 合せてくださいませんでした
その後 わたしは
現在の治療の世界を知り
ボバースの会から 退会しました
この道のりを
少し残念に
思う自分がいます
同時に
自分の歩んできた道に
他の選択肢は なかったと
思う自分もいます
こうやって 綴っていると
悲しいような 複雑な気持ちに
なります…
~~~
後に 聞いたことですが
わたしが 実習中
Mさんに
「こんどの 実習生はどう?」
と 部長が聞かれた際
Mさんは
「患者さんと うまくいっていませんが
それでも めげずに
逃げずに 実習しています
よく がんばっていると
評価しています」
と 答えられたと
聞きました
その姿勢が
新卒のわたしを採用する
要因のひとつだったとも
お聞きしました
・・・
また ある後輩の理学療法士の女性が
「わたし 学生の時の実習先
アルさんの 病院だったんですよ!」
と 声をかけてくれました
「とっても 明るく 楽しそうに
リハビリする先生がいるなぁって
思ったんです
ひとりは 女性の主任のひと
もうひとりは アルさんでした
おふたりのリハビリがあるかないかで
リハビリ室の雰囲気が全然違いました
わたしも あんなリハビリしたいなって
おもいました」
と 教えてくれました
・・・
うれしく 思いましたが
当時を 思い出し
少し
悲しい
せつない
気持ち
にも
なりました
・・・
Mさんはそんな 大切な
わたしの 恩師
です
交流はありませんが
いまでも
わたしの 恩師
です
~~~
お話は以上です
今回 3人の恩師を
文章にすることができました
私ごときが と
たいへん おこがましい行為だと
重々 自覚しています
ですが
こうやって 自分の中にある
かつての恩師を
丁寧に 思い出すことに
今の自分につながるものを
確認することに
とても 価値があると
実感しました
良い師に巡り合える
わたしの人生は
とても 恵まれている
そう 実感します
たいへんな長文に
お付き合いいただき
ありがとうございました

