[2分エッセイ]「ひねくれ」と文学の相互作用の話|note継続196日目
みなさん、こんばんは。
今日も楽しくAIと壁打ちしていますか。
今日のエッセイは文学関連の内容です。
唐突ですが、私は自分が「ひねくれ者」であることを、昔から自覚していました。
物事を素直に受け取るのが苦手で、投げかけられる言葉の裏を勘繰ってしまう。
けれど最近、文章を書くようになってから、この「ひねくれた視点」が、文学においては有効に使えるのではないかと気づき始めました。
現在、私が文章を書く上で最も意識している技術は、「Show, don't tell(語るな、見せよ)」。
悲しい時に「悲しい」と直接書くのではなく、遠くを見る仕草や、いつの間にか冷めてしまった紅茶の描写で、その感情を読者に「追体験」させる手法です。
すべてを説明してしまうのは、読者の想像力を奪ってしまう。
だから、物事をあえて正面から語らず、情景やキャラクターの無意識の行動に真実を託す。
考えてみれば、この「正面から語らない」というアプローチは、ひねくれ者の思考回路そのものです。
ひねくれているからこそ、分かりやすい説明に頼らず、その奥にある「本当の質感」を情景から掬い取ろうとする。
私に元々備わっていたこの機能は、「Show, don't tell」を実践するための特殊なセンサーとして、今はとても役に立っています。
とはいえ、この手法は一筋縄ではいきません。
説明を省きすぎれば読者は迷子になり、語りが多ければ「Show, don't tell」の魔法は解け、ただの退屈な説明文と化す。
読者が自らの力で感情を発見できる絶妙な「余白」と、確信させる情景だけを配置していく。
それは針の穴を通すような、果てしないバランス調整の連続です。
ほんの半年前まで、私は文章をろくに書くことすらできなかった。
それが今では、「Show, don't tell」の真髄を追求し、読者の心理と余白の配置に頭を悩ませている。
過去の自分とのあまりの温度差に、思わず風邪を引きそうになるほどです。
私の成長過程を、読者の皆さんが少しでも興味深いと感じ、応援してくれたなら、これほど心強いことはありません。
最後に。
皆さんは、自分の「ひねくれ」や「ちょっとした欠点」が、思いがけない場面で役に立ったという経験はありますか?
もしそんなエピソードがあれば、ぜひコメント欄で教えてください。
それでは、次の最適解でお会いしましょう。
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