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デマを広めるのは悪人じゃない、あなたのような優しい人だったという事実

「ななつ星が脱線した」「イオンモールの爆発はミサイル攻撃だ」——令和8年熊本地震の直後から、SNSにはこうした投稿が次々と流れてきました。あなたはこの情報を見て、思わずシェアボタンに指を伸ばしませんでしたか。

実はその衝動、意志の弱さでも情報弱者だからでもありません。公認心理師として医療の現場に立つ私が、今回の地震報道を見ながら改めて感じたのは、「善意」こそがデマの一番の運び手になるという、皮肉な事実でした。専門家の分析と、これまで私が向き合ってきた災害デマの知見を重ね合わせながら、今すぐ使える情報防災の視点をお伝えします。


熊本で今、また同じことが起きている


7月28日、熊本県で最大震度7の揺れを観測する地震が発生しました。2016年の熊本地震から10年、私たちはまた同じ土地で、大きな揺れと向き合うことになりました。

そして、地震そのものと同じくらいのスピードで広がったのが、根拠のない情報でした。デジタル空間の情報分析を専門とするアナリストへの取材によれば、発生直後から豪華寝台列車「ななつ星」が脱線したという情報が拡散し、大きな被害の出たイオンモール熊本の爆発についても、ガス漏れなど現実的な原因が想定される段階から、ミサイル攻撃や核攻撃を疑う陰謀論的な投稿が広まったといいます。地震と爆発という二つの大きな出来事が重なったことで、この施設そのものがデマの「標的」になりやすい状況が生まれてしまったのです。

さらに気になったのは、海外のアカウントが誇張した偽の映像を交えて被害を大きく見せる投稿を広めていたという指摘です。他のユーザーが誤りを指摘する仕組みが存在していても、それでも拡散は止まらなかったといいます。過去に投稿された、特定の対象を非難するような内容が地震のタイミングで掘り起こされ、再びバズっているケースもあるとのことでした。

NHKの報道でも、過去の災害の画像を今回の被害だと偽って使い回す投稿や、「地震の発生を予測していた」という科学的な根拠のない情報が広まっている状況が伝えられています。幸い、今回は2024年の能登半島地震の直後に多発したような、偽の住所を使った救助要請はまだ目立っていないようです。ただ、被害情報の投稿に返信という形でぶら下がり、電子マネーでの送金を求める投稿はすでに確認されているとのことでした。災害のフェーズが進むにつれて、避難所への支援が届かないといった新しい切り口のデマも出てくるだろうと、専門家は警鐘を鳴らしています。

「またか」と思った、その先にある本当の問題


正直に言うと、こうした報道に触れたとき、私の中には「またか」という感覚がありました。2016年の熊本地震では「動物園からライオンが逃げた」というデマが、2024年の能登半島地震では偽の救助要請が、それぞれ大きな混乱を生みました。手口は毎回少しずつ形を変えながら、根っこの部分はまったく同じなのです。

ここで一つ、はっきりさせておきたいことがあります。こうしたデマを広げているのは、必ずしも悪意ある人たちだけではないという事実です。もちろん、閲覧数を稼いで広告収益を得ようとする悪質なアカウントは確かに存在します。けれど、それ以上に大きな拡散力を持っているのは、「みんなに知らせなきゃ」「危険を伝えなきゃ」という、ごく普通の優しさから生まれるシェアなのです。

思いやりのある人ほど、情報の加害者になりやすい。これは意地悪な皮肉ではなく、私たちの心の仕組みそのものが持つ、避けがたい弱点だと私は捉えています。

なぜ人は、震災のたびに同じ罠にはまるのか


社会心理学に「流言の公式」という考え方があります。デマの広がりやすさは、情報の重要性と状況の曖昧さを掛け合わせたものに比例する、というものです。

大きな地震が起きた瞬間、この二つは同時に最大化されます。家族は無事か、どこへ逃げればいいのか——生死に関わる情報への渇望はこのうえなく高まります。同時に、通信の混乱や行政の情報整理の遅れによって、正確な情報はなかなか届きません。乾ききった大地に、たった一つの火花が落ちる。デマにとって、これほど条件の揃った瞬間はないのです。

もう一つ、見過ごせない心の動きがあります。理不尽な自然災害に襲われたとき、人は強い無力感を覚えます。その耐えがたい感情から逃れるために、私たちの脳は「これは自然の気まぐれではなく、誰かの意図的な行為だ」という物語に、無意識のうちに手を伸ばしてしまうのです。ミサイル攻撃を疑う投稿が広まった背景にも、こうした心理が働いていたのではないかと、私は感じています。

これは知性や意志の強さの問題ではありません。緊急事態のなかで、情報を精査するための認知の余力が削られていく——これは人間という生き物に共通する、ごく自然な反応なのです。

専門家の指摘と「だ・い・ふく」が、同じ場所を指していた


今回の取材のなかで、情報分析の専門家はこう助言していました。投稿の日時が地震の発生後かどうかを確認すること。投稿者のプロフィールに不自然な点がないか見ること。本当にその地域にいる人物だと判断できるかどうか考えること。それでも迷うなら、拡散しないこと

これを読んだとき、私は思わずうなずいてしまいました。以前この場所でお伝えした、静岡大学とLINEみらい財団が開発した「だ・い・ふく」という合言葉と、驚くほど重なっていたからです。

「だ」は誰が言っているか。「い」はいつ言った情報か。「ふく」は複数の独立した情報源で確かめられるか。専門家の視点と、子ども向けに設計された教材の視点が、まったく別のところから同じ結論にたどり着いている。これは偶然ではなく、情報の信頼性を見極めるための本質が、そこにあるからだと私は思っています。

医療の現場でも、私は同じことを大切にしています。目の前の患者さんに何かをお伝えするとき、その情報の出どころは確かか、いつの時点のものか、他の根拠と照らして矛盾はないか。この姿勢は、災害時の情報とも、日常の医療情報とも、まったく同じ地平でつながっています。

「疑うこと」は、冷たさではない


ここまで読んで、「そんなに疑ってばかりでは、誰も助けられなくなるのでは」と感じた方もいるかもしれません。

私はそうは思いません。むしろ逆です。一呼吸おいて確かめることは、目の前の困っている人を突き放す行為ではなく、限られた救助のリソースを、本当に必要としている人のもとへ届けるための、いちばん確かな道筋なのです。

「がまんして拡散しない」のではなく、「本当に届けたい相手のために、確かめるというチャレンジをする」。そう言い換えると、この行動が少し誇らしいものに見えてきませんか。あなたのその3秒の一呼吸は、臆病さの証ではなく、思いやりを正しい場所へ届けるための技術なのです。

終わりに


今日お伝えしたことを、あらためて整理します。

ひとつめ、令和8年熊本地震でも、10年前や2024年の能登半島地震とまったく同じ構造のデマが、形を変えて広がっています。

ふたつめ、デマを広げてしまうのは悪意だけではなく、多くの場合「善意」です。優しい人ほど、情報の加害者になりやすいという皮肉を、私たちは知っておく必要があります。

みっつめ、専門家の助言も「だ・い・ふく」の合言葉も、行き着く先は同じです。誰が、いつ、複数の独立した情報源で確認できるか。この3つを、拡散する前の3秒間で自分に問いかけてください。

よっつめ、一呼吸おいて確かめることは、冷たさではありません。本当に助けを必要としている人のもとへ、限られた力を届けるための、思いやりの技術です。

次の災害は、明日来るかもしれません。そのとき、あなたのスマホに飛び込んでくる情報の渦のなかで、冷静に立ち止まれるかどうか。その力は、今日この瞬間から、鍛えることができます。

あなたには、その力があります。私はそう信じています。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。

#令和8年熊本地震 #情報防災 #デマ対策 #公認心理師 #メディアリテラシー


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