🏡暮らしの思想 第2回 : 都市に住むという幻想――高騰する不動産と“距離”の自由
私たちはなぜ「家」を持ちたがるのか。
土地に根ざす安心が、いつの間にか自由を縛る鎖になってはいないか。
このシリーズでは、日本人の土地観や所有への執着、住宅ローンや格差の問題を通して、「暮らし」と「思想」の関係を問い直します。
――持つことより、生きることを大切にするために。
▶第1回はこちら
「都市に住むこと」の必要性
最近、都内のマンション分譲価格が平均1.5億円に達したというニュースが話題になっている。
一方で、賃貸住宅の家賃も2LDKで平均20万円前後と上昇を続けている。
背景には、円安を利用した海外資本による不動産買い占め、さらには世界的なインフレ圧力がある。
民間の経済活動に国家や自治体がどこまで介入できるかには限界があり、当面はこの傾向が続くと見られている。
だが、ここで改めて問いたい。
「都市に住むこと」は、本当に必要なのだろうか。
円安マネーと土地の“投機化”
日本の不動産は今や、生活の場というより「投資対象」として見られている。
海外投資家にとって、円安下の日本の不動産は割安で、安定したリターンを見込める“安全資産”だ。
その結果、富裕層向けの都心マンションが次々と買い占められ、実際には住まないまま“資産の置き場”として放置されるケースも多い。
住宅は「人が住むための空間」から、「マネーが滞留する容器」へと変質している。
これは、土地信仰の日本にとって、極めて皮肉な現実である。
「距離の自由」という新しい価値観
しかし、コロナ禍以降の社会が示したように、リモートワークでも十分に生産性を維持できる仕事は多い。
都市に毎日通勤することが「働くことの本質」ではなくなった。
発想を転換する時期に来ているのではないか。
もし都市中心部の住宅が手の届かない価格になり、生活コストが上昇し続けるのであれば、
“距離”を経済的・精神的な自由の資源として再評価するべきだろう。
郊外や地方に住み、オンラインで仕事を続ける。
あるいは数年ごとに拠点を変えながら暮らす。
こうした「分散型の生き方」は、もはや一部の人の選択ではなく、
これからの時代の現実的な“防衛戦略”でもある。
国家は「分散社会」をどう支えるか
もちろん、個人の発想転換だけでは限界がある。
政府や自治体には、郊外や地方に住むことを現実的な選択肢にするための社会基盤整備が求められる。
通信環境、教育・医療アクセス、交通インフラなどが整えば、「都心にいなければ生きにくい」という幻想は崩れる。
また、海外資本による不動産投機には一定の制限が必要だ。
不動産を単なる“金融商品”として扱う動きが続けば、都市空間は「人の住む場所」ではなく「富の保管庫」と化してしまう。
終わりに――“持たない自由”から“距離の自由”へ
前回私は、「家を持たない自由」こそ、現代日本における解放の第一歩だと書いた。
しかし今、そこにもう一つの自由が加わりつつある。
それは、「距離の自由」――都市から離れる勇気である。
持たないこと、離れること、手放すこと。
それらは一見、後退のように見えて、実は新しい時代の前進なのかもしれない。
関連記事:
