湘南から沖縄へ②うるま市石川に暮らして感じること
石川という町
――沖縄本島“おへそ”に暮らして感じること
沖縄本島の東側、ちょうど一番くびれた辺りに、うるま市石川という町がある。
昔から「みほそ(おへそ)の町」と呼ばれてきた場所だ。
自分の感覚では、石川は「中南部の最北端」であり、同時に北部・やんばるへの入口でもある。
町を北へ抜けて金武町へ入ると、空気が急に変わる。森が濃くなり、道の雰囲気ものんびりしてくる。そこから先は、もうやんばるだ。
一方で、西へ10分ほど走れば恩納村の西海岸。沖縄自動車道の石川ICもあり、那覇にも名護にも一時間かからない。
この「東西南北どこへ行くにも動きやすい」という感覚は、実際に暮らしてみるとかなり大きい。
石川は2005年まで石川市だった。現在は、具志川市・勝連町・与那城町と合併して、うるま市の一部になっている。
けれど今でも、「石川」という町の独特な空気はしっかり残っている気がする。
暮らしやすさがちゃんとある
実際に住んでみると、石川はかなり便利な町でもある。
うるま市の行政サービスの出張所があり、警察署、消防署、運動公園があり、郵便局も銀行も複数ある。大手スーパーやコンビニも街角ごとに揃っていて、日常生活で困ることはほとんどない。
飲食店も面白い。
全国チェーンの店もあれば、昔ながらの食堂や弁当屋も残っている。個人経営の個性的な店や居酒屋も多い。さらに、昭和の面影を色濃く残す夜の「石川社交街」にも、独特の魅力がある。
けっして観光地としてではなく、少し古びていて、生活感があって、その雑多さがむしろ心地いい。
内地から来た移住者として、「これだけは欲しい」と思うものを挙げるなら、スーパー銭湯くらいだろうか。
もし石川にスーパー銭湯が出来たら、自分の中ではかなり完璧に近い。
戦後沖縄の出発点だった町
石川を語る上で、歴史は欠かせない。
もともとは金武湾に面した小さな港町だった。周囲にはサトウキビ畑が広がり、琉球王国時代には中部と北部を結ぶ交通の要所でもあった。
「本島のくびれた場所」という地理は、昔から重要だったのだと思う。
この町が大きく変わったのは、1945年の沖縄戦後だ。
米軍は石川周辺に大規模な「石川収容所」を設置し、各地から多くの避難民を集めた。
焼け野原となった沖縄で、人々が最初に生活を立て直し始めた場所のひとつが石川だった。
小那覇ブーテンさんが活躍された時代だ。
戦後初期の学校「石川学園」が生まれ、沖縄諮詢委員会(現在の沖縄県庁の前身)も置かれた。そのため石川は、「戦後沖縄復興の発祥地」と呼ばれることもある。
その後、周辺には米軍施設が広がり、外人住宅や飲食街も発展した。
今でも町には、英語看板やアメリカ文化の名残が自然に溶け込んでいる。
混ざり合っている町
石川には、色々な文化が混ざっている。
昔ながらの沖縄の集落があり、基地文化があり、移住者もいる。
曙地区には、古い米軍住宅を改装したカフェや店が点在していて、独特の空気がある。
うるま市は「闘牛のまち」を掲げていて、石川の闘牛場では今でも大会が開かれている。地域の祭りやエイサー、無料フェスも多く、音楽や芸能が生活の近くにある。
観光地として完成されすぎていないからこそ、土地の匂いがまだ残っている。
山と海が近い。
古い商店街が残っている。
少し雑多で、少しくたびれていて、でも妙に味がある。
越してきて6年、すでに地元愛が育っている気がする。
石川は、住めば住むほど好きになっていく町。
