曲を作る日と、曲になる日~誰かと同じように弾くのなら
こんにちは!シライシです。
先日、いつも読ませていただいている「鈴木隆矢」さんの記事に、とても感銘を受けた偉人の名言があったんです。
こちらでは、カート・コバーンをはじめとした、4名の偉人の言葉が紹介されています。
その中でも特に、僕はビリー・ホリデイのこの言葉が好きなんです。
If I'm going to sing like someone else, then I don't need to sing at all.
「誰かと同じように歌うのなら、私が歌う必要なんてない」
カッコよかーーー!!!
分かっているんです。
ロングテール界隈の中でも、さらにマイノリティな僕が、仮にどれだけ唯一無二だったとしても、世の中は1ミリも変わらないってことぐらい。
これってただただ、自分だけの基準として持っておきたいことなんですよね。
「誰かと同じように弾くのなら、僕が弾く必要なんてない」
って。
既存のフレーズを一生懸命コピーして、それを演奏して「誰か」に喜ばれる。
それはきっと、既存の価値(フレーズ)が再現されたことへの称賛であって、つまり、「誰か」が求めたのは予め知っている価値の再現で、足を運んだ理由もそこにあって、再現する媒体は正直何でもいいのだ、残念ながら。
「誰か」の思いはきっとこう。
「価値を再現できるなら誰でもいい、あなたである必要なんてない」
僕だったら、こういう捉えられ方をされてしまう演奏を、「自分の表現」と呼んでしまうのは、ちょっと苦しいと感じる気がします…。
前提として。
これは単に、個性だけを礼賛したり、奇抜をより評価したり、そういうことではないんです。
「ほかの誰よりも上手」
ではなく、
「ほかの誰も鳴らせない」
そんなことをやっていたい。
そんな個人的な想いからくる感じ方、っていうことなんです。
想い?
思い込み?
ま、どちらかです。
や、でも、コピーって楽しいんですよ。
もちろん分かってます。
ただ、観るのは楽しいですが、僕がやることではないな、って思っているだけ。
それだけのことです。
楽しめることと、やるべきことは別。
この記事にも、そんなことを書いています。
そんなこんなで、
・「弾ければいい」ではなく「こう弾きたい」が必要
・「僕が弾かなければ鳴らなかったかも、な音」を鳴らす
こんな自分の欲求のために、僕は弾く理由をいつも探しているのかもしれないです。
もしかしたら、一生。
そして、その理由の先に、鳴らしたい自分の音や楽曲があるんだと思っています。
ただ、普段からそんなことを考えているので、誰に頼まれているわけでもないのに、創作に関していつも焦っているんです。
曲を作らなきゃ。
歌詞を書かなきゃ。
歌の練習をしなきゃ。
ギターを弾かなきゃ。
DAWに少しでも打ち込みしなきゃ。
DAWに少しでも録音しなきゃ。
録音した楽曲をカタチにしなきゃ。
カタチにしてリリースしなきゃ。
どうせリリースするなら複数曲にしなきゃ。
などなどなどなど……。
何もしなかった日があると、それだけで自分が止まっている気がする。
自分の存在意義を薄めてしまった気がする。
もうすぐ54歳、残された貴重な時間を無駄にしてしまった気がする。
そう思うと、また「曲を作らなきゃ」から脳内ループがはじまる…。
で、結果、疲れる。
カラダよりココロが疲れる。
そんなのがイヤになると、自分をラベリングすることでラクになろうとする傾向も僕にはあるので、こんな記事を読んでみたりする。
「よ。」さん、ありがとうございます!
助かっています。
でも、やっぱり疲れるのは変わらない…。
なので、サプリやエナジードリンクを飲むかのごとく、もしくは温泉に浸かるかのごとく、心の整え方や自己受容関連の記事を読んでみたりする。
ただ、どうにもうまく自分を休められない。
ただ。
そんな中でも、ふと気づいたこともあったんです。
「1曲でも多く楽曲を形にして残したい」と思いつつ、曲を作らなかった日もある。
でも、その間も感情は動いているし、何かに反応している。
「自分の理想に近づいていたい」と思いつつ、一歩も進まなかった日もある。
でも、その間も言葉は出てくるし、自分の中に溜まっていく。
表面上は何も形にしてはいないけれど、次のアウトプットの順番待ちをしているアイデアは、僕を急かすことなく静かに僕の中で待ってくれている。
あ、そっか。
曲を作らない日は「曲になる日」なんだ。
そう思えるようになってから、作らない日への罪悪感は、ずいぶんと減った気がします。
まだまだ完全なマインドセットには至っていませんが。
これって、noteに向かうときにも同じことが言えるなー、って思っています。
記事を書かない日が「記事になる日」なんだ
って。
この考え方って、そのほかのことにも応用できますよね。
休めないタイプの僕にとっては、この考え方、いまのところ性に合っているみたいです。
休んでいないけど、物理的には休んでいる。
結果的に休んでなかったことにできるから、休むことに罪悪感を感じない。
うーん、何だかちょうどいい。
