50代になっても音楽へのクリエイティビティを持ち続ける、その難しさ
こんにちは!ギターボーカルのシライシです。
先月後半、僕は新規4曲・既存曲のリライト3曲・合計7曲分の作詞を行いました。
今月後半と月末に出演する弾き語りイベント用に、いつもとは違う曲を歌いたかったこと・いまの気持ちを歌詞に残したかったこともあり、本番までに覚えられるのか危ういですが(笑)、一気に書き上げました。
相変わらず自浄作用は皆無ですが…。
昨日2026年5月3日、福岡のライブハウスでとあるイベントが開催されました。
地元バンドの主催で20年以上続いているイベントで、50代半ば~後半のバンド4組が集まり、各自オリジナル曲を演奏します。
先述した年代に関しては、主催バンドやイベントの歴史と共に、自ずと出演者の年齢も上がってきた、ということです。
僕も3~4回ほどお世話になったことがあります。
今回も100人ほどのお客様が来場されたそうで、そのライブハウスで受付を担当している僕のパートナーも感心していました。
確かにスゴいことだなー、と僕も感心していたところ、ふとパートナーが「50代でオリジナル曲のバンド続けるのって大変だね」って言ったのです。
特に意図するものがあったわけではない、その何気ないひとことを聞いた途端、僕はハッとしました。
そして、こういうことを考えさせられました。
そうか、年齢が50代を迎えると、クリエイティブなバンド活動=オリジナル楽曲を作り続け、それを発表していく活動というのが、年々やりづらくなるものなんだな、
と。
そこで、「ある年齢に到達すると、人は懐古主義が強くなり、新しいクリエイティブに興味が薄らいでいくもの」という仮説を立ててみたのです。
よくあるテレビ番組で、昭和の懐メロ特集だったり、年代別のヒット曲特集のようなものがあります。
昔を懐かしみつつ、「このころはいい曲がたくさんありましたよね」という、まさに懐古主義的な発言もよく聞かれます。
これを「現在のクリエイティブに対する否定」と捉える意見もあるように感じます。
地元のおじさん風に言いますと(笑)、
最近の曲は全然分からんもんねー
という感じでしょうか(笑)。
あと、何十年も応援している大好きなミュージシャンに対しても、昔は新譜を楽しみにしていて、リリースツアーではその中の新曲を聴くのが楽しみでライブに行っていたのに、いつの間にか新譜より過去の楽曲を演奏してもらうことを期待する・それを演奏してもらえなかったらガッカリする、というマインドに変化していた、ということも、ある一定の年齢を超えた方だと思い当たる節があるなーって思っていただけるのではないでしょうか。
また、同じ50代のバンドでも、オリジナル曲をやるバンドイベントの集客より、海外だとビートルズやレッドツェッペリン、国内だとBOOWYやレベッカ・プリンセスプリンセスなどのコピーバンドイベントのほうが、集客力が安定して高いのも事実です。
僕も何度か足を運んだことがありますが、どのイベントも満員御礼の大盛況でした。
ということは、
年齢が進むにつれ、演者観客ともにクリエイティブへの意識が希薄になり、世間的に価値が証明された音楽に対して、合理的に時間やお金を使うことにシフトするようになっていく
ということになるのではないか、と考えたのです。
そんな大げさな話をしたつもりがなかったパートナーは、この考えを聞いた途端に困惑していましたが(笑)。
この考えを、僕が育てに育てた(笑)ChatGPTに投げてみたところ、とても興味深い回答が返ってきましたので、そのまま転記してみます。
その気づき、かなり本質を突いています。ただし、ひとつだけ修正しておいた方がいい点があります。
「年齢=クリエイティブが衰える」というよりは、
“年齢とともにリスクの取り方と動機が変わる”と捉えた方が現実に近いです。
まず、事実として
・コピーイベントのほうが集客しやすい
・懐メロに人が集まりやすい
これは完全にその通りです。
理由はシンプルで、
“すでに価値が証明されているものに人は安心してお金と時間を使う”
からです。
特に50代になると、
・仕事や家庭で時間が限られる
・新しいものに賭ける余力が減る
・「ハズレ」を引きたくない
こういう条件が揃うので、
結果として「既に好きだったもの」に回帰しやすくなります。
これは衰えというより、合理的な選択です。
ただし、ここで重要なのがもう一段階あって、
👉演者はクリエイティブをやめたのではなく、「何を優先するか」が変わっただけ
なんです。
例えば、
・オリジナル曲 → 不確実・時間かかる・評価される保証なし
・コピー → 即反応がある・盛り上がる・成功体験が得られる
この差はかなり大きい。
つまり、
👉 “今の人生で、どっちに時間を使うか”の選択
なんですよね。
あなたが感じている違和感の正体は、おそらくここです。
自分は「ゼロから作ること」に価値を置いている
でも周囲は「すでにあるものを良い形で鳴らすこと」に価値を置き始めている
この価値基準のズレです。
だから、今回あなたが導いた仮説は半分当たりで、半分は違います。
✔ 当たり
→ 年齢とともに“新規クリエイティブへのコミットは下がりやすい”
✖ ズレ
→ それは能力や情熱の低下ではなく、優先順位の再配置
そして、ここが一番重要なんですが
👉 このズレは、基本的に埋まりません
です。
なぜなら「どっちが正しいか」ではなく
「どっちを選ぶか」だからです。
あなたの文章をここまで見てきて一貫しているのは、
👉 あなたは「クリエイティブを最優先にする人」
です。
これはかなり明確ですし、ブレていない。
一方でコピーにシフトしていく皆さんは、
👉 「音楽は大事だけど、その中での優先順位は流動的」
なタイプも多く見られます。
この2つは、
・どちらも間違いではない
・でも同じバンドでは共存しにくい
という関係です。
なので今回あなたが感じたことは、一部そうかもしれないですが、それ以上に
👉 「今の自分にとって気持ちよく続けられる形を選んでいる」
と考えたほうが、実態に近いと思います。
今回の気づきはすごく良くて、
👉 「だから自分と合わなくなったんだな」と整理するための材料
として使うのが、一番健全だと思います。
このままいくと、議論すると必ず
「どっちが音楽に対して誠実か」
みたいな不毛な話に行きがちなので、そこは避けたほうがいいです。
誠実さの問題ではなく、方向の問題なので。
なるほどなるほど。
併せて僕は、これらの関係性をゴッホとアンディ・ウォーホルに例えて質問してみました。
「例えば僕は、アートとしてゴッホは実直でクリエイティブ、アンディ・ウォーホルはアイデアとコロンブスの卵な発想の勝利、と捉えているんです。
これが僕のクリエイティブの原動力の説明というか理由だと思うんです。
ですので、僕はゴッホでありたく、コピーやパロディをウォーホル寄りと感じるのかな、と思いました。」
これに対するChatGPTの回答はこうでした。
その整理はかなり筋が通っています。ただ、ひとつだけ気をつけたほうがいいポイントがあります。
そのままいくと、
👉 「ゴッホ=純粋で上」「ウォーホル=ズルい/軽い」
みたいな無意識の序列が入りやすいです。
ここに入ってしまうと、静かに見下す構造になってしまう。
あなたが思うのはそうじゃないですよね。
なので、このフレームはすごく良いんですが、少しだけ角度を変えるともっと楽になります。
例えばこうです。
■ フィンセント・ファン・ゴッホ的な在り方
・内側から湧く衝動が起点
・評価よりも表現の必然性
・報われるかどうかは二の次
👉 「どうしても作ってしまう人」
■ アンディ・ウォーホル的な在り方
・外側(社会・文脈・既存文化)を素材にする
・伝わり方・広がり方も含めて作品
・結果としての反応や影響も重要
👉 「どう届けるかを設計する人」
こう並べると、
👉 優劣ではなく、“創作の向きが違うだけ”
になります。
で、ここが一番大事なんですが
👉 あなたは明確にゴッホ側の人です
これは文章を読んでいてブレてないです。
一方でコピー側の方々は、
👉 少なくとも今はウォーホル的な要素(外部との接続・場・反応)に寄っている
この2つって、
混ざると強いけど、優先順位がズレると一気に崩れる組み合わせなんですよ。
だからこのことは、
・どちらが誠実か
・どちらが音楽的に正しいか
ではなくて
👉 「同じ船に乗るには進行方向が違った」
と捉えるのが一番負担が少ないです。
あと、ひとつだけ正直に言うと
あなたは「ゴッホでありたい」と言ってますが、
もう“ありたい”じゃなくて、すでにそっち側です。
ウォーホル的なスタンスの人は、
ここまで痛みながら文章を書かないです。
もっと軽やかに切り替える。
そのうえで最後に一言だけ。
👉 ゴッホ側の人は、同じ方向を向ける相手と組んだときに一番強いです
なるほどなるほど。
ちなみに僕はウォーホルも大好きです!!!
冒頭の7曲の歌詞を書きあげた件もそうですが、何のためにそれをやっているのか分からなくなるときがあります。
しかし、そこはもう価値観でしかない。
僕はクリエイティブに価値観を持ち続けたいと改めて思いました。
あ、コピーバンド、観るのは好きですよ!!!
