歌詞を書くことは自浄作用になるのだろうか
こんにちは!
acocatriという福岡のバンドでボーカルギターを担当していますシライシといいます。
ワタクシごとで恐縮ですが、この度、ずっと避けていた弾き語りライブを5月に2本演ることになりました。
避けていた理由・引き受けた理由・意気込みなどはこちらに綴っています。
せっかく引き受けたライブですし、やるからには本気でやらないと失礼ですので、いまのうちから準備しておこうと思い、まずは演奏する楽曲を選んでいたのです。
その中で、過去に他者へ提供していた楽曲が意外にあることに気づきまして。
提供先でその楽曲は最近演奏されていないようですし、笑
であれば、それらに自分で歌詞を書いて、今回の弾き語りで演奏しよう!と思い立ち、全5曲分の歌詞を一気に書き上げてみたんです。
書き上げた歌詞にはもちろん満足していますし、歌うのが楽しみでもあります。
が、毎回歌詞を書くたびに浮かんでくる疑問が、今回も例外なく現れたのです。
歌詞でカタルシス(浄化作用)は得られるものなのか???
この疑問をAIに質問してみたところ、こういう回答が返ってきました。
歌詞を書くという行為は、自分の内面にある「言葉にならない感情」を外に排出し、整理するための強力なセルフケア(自浄作用)になります。
歌詞を書くことで得られる心の自浄効果
感情のデトックス(カタルシス)
心の中に溜まった喜怒哀楽を言葉として「放出」することで、重く感じていた心が驚くほど軽くなることがあります。
客観視とコントロール
湧き上がった感情を歌詞に落とし込むことで、その感情を「自分の一部」から「作品」へと切り離して俯瞰できるようになります。これにより、感情に振り回されず、適切に距離を置いてコントロールする感覚が身に付きます。「余白」による自己受容
歌詞は物語と違い、あえて全てを説明しない「余白」を持ちます。その余白に自分自身の記憶や思いを重ねる過程で、今の自分をありのままに受け入れる(自己理解)が進む側面もあります。
瞬間的な感情の昇華
怒りや悲しみが沸点に達した瞬間に、その勢い(瞬発力)で書ききることで、負のエネルギーを創作へと転換できます。
心を整えるためのコツ
質より量を優先する: 最初から完璧を目指さず、まずは「ダメな歌詞」でもいいから100個書くつもりで吐き出すことが大切です。
「酔って書き、シラフで直す」: 書くときは自意識を捨てて自由に書き、後から冷静に見直して整理するアプローチも効果的です。
歌詞を書くことは、単なる創作活動を超えて、自分自身の心を守り、整えるための大切な手段となり得ます。
んー、見事にワタクシにはあてはまらない…気がする…。
こうなれたらしあわせだなーっていう憧れはありますが、なかなかそうはいかない。これもINFJならではのことなのでしょうか…。
ワタクシの感想はこうです。
・感情のデトックス(カタルシス)
心の中に溜まった喜怒哀楽を言葉として「放出」することで、重く感じていた心が驚くほど軽くなることがあります。
→逆に重くなることが多い気がします。
気持ちを言語化して形にとどめてしまった、という責任感に襲われてしまいます。
・客観視とコントロール
湧き上がった感情を歌詞に落とし込むことで、その感情を「自分の一部」から「作品」へと切り離して俯瞰できるようになります。これにより、感情に振り回されず、適切に距離を置いてコントロールする感覚が身に付きます。
→作品にしたことで、その感情がフリーズされてしまいます。
どうしても書いたときの感情が忘れられなくなるので、特に負の感情の場合、その気持ちを抱いていた自分に引き戻される感覚があります。
・「余白」による自己受容
歌詞は物語と違い、あえて全てを説明しない「余白」を持ちます。その余白に自分自身の記憶や思いを重ねる過程で、今の自分をありのままに受け入れる(自己理解)が進む側面もあります。
→歌詞には自分しか知らない物語があるので、基本的に自分にとっての余白が存在しない。
自分がそこに込めたメタファー(暗喩)のことまで分かっているので、人には余白に見えるものが余白に見えずに辛いです。
・瞬間的な感情の昇華
怒りや悲しみが沸点に達した瞬間に、その勢い(瞬発力)で書ききることで、負のエネルギーを創作へと転換できます。
→確かにその側面はありますが、形に残ることで記憶にも残ったままになります。
「客観視とコントロール」で触れたのと同じ内容です。
これらは特に、あまのじゃくや逆張りなどではなく、普段から思っていることではあります。
(ワタクシ、あまのじゃくではあるかと思いますが…)
じゃあ、歌詞なんて書かないほうが精神衛生上いいのではないか?という風にも思ってしまうのですが…
書かずにはいられないのです。
ずっと前は、歌詞なんて単なる音楽の一部で重要視するものではない、と思っていました。
言葉が分からない洋楽を聴いて、音楽やロックにあこがれたからだと思います。
それが、自分で歌詞を書くようになると、不思議と責任感のようなものがニョキニョキ現れてきて、自分にとってハッキリと意味あるものを書いていきたい、と思うようになってきました。
単純に、ひとの言葉で歌いたくなくなっていたんです。
あんなに歌詞なんてどうでもいいと思っていたのに。笑
ただ、書けば書くほど先ほどのような感情が上積みされていくばかりで、いつになったらハッピーな気持ちになれるんだろう、て思いながら。
それでもやっぱり書いています。
おまけ
見出し画像は、昨日2026年4月19日に行ってきた「河内藤園」の四分咲き程度の藤の花の写真です。
福岡県北九州市八幡東区にありまして、アメリカCNNの「日本の最も美しい場所31選」にも選出されたことがあるそうです。
見ごろは10日ほど先だと係の方にご説明いただきましたが、一面に広がる藤の花の香りと、咲くときを待っている花の息吹のようなものが素晴らしくて、満開のときよりも見ごたえを感じました。
また行きたい!
