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わたしはそれに従うのか?

みなみなさま、ごきげんさま。

普通に生活をしていると、すきあらばとばかり広告が日常には溢れています。

しかし、どれくらいの人が見てくれているかといえばどうなのでしょう。

今日電車に乗ったあなたは電車内にあった広告は覚えていますか?吊り革に書かれていた広告は覚えていますか。

スマホを見ていたから車内の様子はわからない。ではスマホに出てきた広告は何かひとつでも覚えていますか?

と聞かれると、なかなか答えは返ってきません。

電車に乗る時や降りる時には必ず視界には入っているはずです。そのような視界に入るところに広告は掲示されています。しかし、見えているのに見てはくれません。

簡単にいえば、無視されるわけです。

少なくはない予算と時間をかけ出稿しても、無視されます。情報が溢れる時代では広告とわかった時点で無視をされます。無意識に無視をされます。

いや広告を見るよりも大切なことがあります。

なんて広告界では言われていましたが、意外と広告は見られています。

東京都交通局TOEI AD MEDIA GUIDE 2026によると、電車内広告の到達率(掲出期間中に広告を「見た」「見たような気がする」と認識した人の割合)は、だいたい40〜50%程度です。

(出典:東京都交通局TOEI AD MEDIA GUIDE 2026「交通広告の広告効果について81ページ〜」)

見られていないと抽象的な言い回しですから、半分は見られていないともいえますが、半分は見てはいてくれるわけです。

株式会社オリコムさんの『「電車内広告が企業の信頼度に及ぼす影響」に関する調査【首都圏編】』のデータを見ると

(出典:株式会社オリコム『「電車内広告が企業の信頼度に及ぼす影響」に関する調査【首都圏編】』2025年11月~12月、『「電車内広告が企業の信頼度に及ぼす影響」に関する調査【関西編】』2025年11月~12月)

8割以上の方が広告を見て「その企業のことを初めて知った経験」をしています。広告を見なければ広告がなければ知らないままということです。

OOH(Out of Homeの略で屋外広告や交通広告など、家庭以外の場所で目にする広告全般)と呼ばれる屋外での広告も同じくらいの割合、いや、アメリカのデータではそれ以上に見られています。

意外と見られているのが広告です。

予算と時間をかける意味があります。


その意味ある広告には、3つの要素が必要だという話をしました。

目的、ターゲット、独自の売り(独自の価値)です。

「目的を持ってターゲット層へ独自の売り(価値)を伝えるために広告は展開される」話でした。

これをキャッチコピーだけで伝えるには無理があります。
できなくもないが無理があります。無理のない言葉にするのがキャッチコピーでもありますから無理はいけません。この無理とは、それをやることによって余計に何も伝わらなくなるという無理です。
ボディーコピーなどで捕捉的に書いていればいいのか、といえばどうなのでしょう。伝えるための広告です。

ボディーコピーとは、広告の中で小さな文字で書かれた文章です。キャッチコピーとは比較的大きな文字で数文字、一行か二行か数行(つまりは決まりはない、大きな文字とも書いたが小さな文字もあるのでそれも決まりではない)で書かれた印象に残るモノです。キャッチコピーと比較してボディコピーは小さな文字と書いたのですがボディーコピーもない広告もたくさんあり実際は補足する言葉でもないのですが、補足する文章といえば伝わりやすいでしょうか。

この広告を見てとばかりに人の心をキャッチする、キャッチーなフレーズがキャッチコピーでキャッチフレーズです。

キャッチコピーとキャッチフレーズは何が違うのかといえば、何も違いません。いい方が違うだけで、英語圏ではキャッチフレーズ(catch phrase)といい日本語ではキャッチコピーと和製英語として扱われています。

英語圏の人にcatch-copyといっても通じないわけですが実際に試したことがありませんから、その真意の程は不確かです。

ボディーコピーは小さな文字で大抵は300文字程度のいわゆる文章と呼ばれるくらいのボリュームの文字数です。
キャッチコピーは読まれてもあるいは認識できたとしてもボディーコピーは読まれない、認識すらされていないこともしばしばです。いや、そう言われていますが実際たくさんの人が読んでいるというデータもあるかもしれませんがなかなか見つかりません。

ネットの中でもバナー広告と呼ばれるサイト内の一角に広告がはられているものなども、キャッチコピーとしての文字はありますがボディーコピーの小さな文字列はあまりありません。それを読むくらいならばクリックしてそリンク先へと行くほうがわかると感じてしまうのが心情でしょうか。リンク先にボディーコピーがある、ボディーコピーのような文章があるといった方が丁寧でしょうか。

つまりは、
ボディーコピーで目的、ターゲット、独自の売り(価値)を補うことは難しくなります。補う感じで表現したとして、それが読まれなければ伝わりません。信頼関係など度外視して小さな文字で条件などを免罪符として広告内に入れたというのでは広告としての要素としては不十分です。

でも安心してください。

広告には言葉以外にもまだビジュアルが残っています。音声広告以外ではまだ見た目が残っています。

言葉の横に下に上にと背景にと写真や絵、図や記号などなどを用いた見た目で補うことが可能です。補うというとまた違うかもしれませんが伝わりやすくする言葉としては最適です。

いや、ビジュアルを補うのがコピーなのか。

ここでも新たな問題が勃発しそうですが、それはどちらでも構いません。補うというよりも助け合う、それよりも掛け算になることがベストだと個人的には思いますが、コピーの足りない部分を伝えきれていない部分を補うのがビジュアルで、ビジュアルで伝えきれていない部分をコピーで補うでもどちらでも構いません。

目的、ターゲット層、独自の売り(価値)が入っていることが重要で最優先です。

この3つを平均的に均等配分で入れる必要もなく、独自の売り(価値)を重点的に8割の力で広告に入れても構いません。


人間は複雑なものを好まない。

ワンページワンメッセージ(One Page One Message)と広告界ではいわれ、1ページの中には1つのメッセージしかいわないででおこう。という手法です。

独自の売り(価値)は、差別化を目指し選ばれる理由を頭の中につくることです。シンプルで記憶に残りやすくしなければなりません。もちろん差別化ですから「シンプルなら何でもええのか」ではありません。他とは違う真似をされにくい独自の価値を売りを目的にそって発信しなければなりません。

目的とはメッセージのことです。企業の目的を踏まえた商品やサービスの目的を加味した情報です。

セオドア・レビット(Theodore Levitt・ハーバード・ビジネス・スクールの名誉教授)さんの有名な言葉、
「ドリルを買いに来た人が欲しいのは、ドリルではなく『穴』である」

ドリルの性能(機能)を知りたいのではなく穴(価値)が知りたいのです。

ドリルを売るのが目的(メッセージ)だとしても、お客さんが欲しいのはドリルではなく穴(価値)なのです。ドリルを使わなくてもドリル以上に簡単で綺麗に穴が空けられるものがあれば、同然、このお客さんはドリルではなくその簡単に綺麗に穴を空けられるものを購入します。

性能やスペックの良さを広告しているだけではニーズと出会えません。もしかするとすでにドリルよりも簡単に綺麗に穴が空けられるものがこの世にはあるのかもしれません。穴としての独自の価値をその商品(企業)が認識できずにいるだけともいえます。

いくら簡単に綺麗な穴が空けられるとしても、値段がなんてこともあります。(そもそも簡単に綺麗が差別化として成立しているかは現代ではなかなか判断の分かれるところです、綺麗な穴を求めているとは限りません)

しかし、値段が少々お高くても綺麗な穴を求めている人は欲しいと思う人がいる可能性もあります。可能性では根拠に欠けますからリサーチが必要ですが、そこが独自の売り(価値)ではあるならば、まだメッセージを発信する意味はありそうです。

まだ若かりしころに「ワンページワンメッセージしか言えないよ」と上司に
教えられました。

しかし若かりしころは「いや言えるやん。現にいうてるものがたくさんあるやん」と心の中で違和感を覚えながらもワンページワンメッセージを心がけていました。

クライアントの要望上、追加でツーメッセージやスリーメッセージとなる場合も多々ありましたが、この「ワンページワンメッセージ」の本当の意味を知らなかったからともいえます。

伝えたいことが伝わらないと知っていれば、いくらクライアントの要望だとしてももう少し丁寧な説明ができたかもしれません。その結果、スリーメッセージがツーメッセージとなったかもしれません。それでもツーメッセージで伝わりにくく、いや、伝わっていません。

食べ放題のバイキング(今はビュフェというのですか)のようにあれもこれもと入れたい気持ちはわかりますが、結局、その皿に所狭しと盛られたものを見て周りからは『食いしん坊』だな。としか思われません。日頃、「グルメだ美食家だ」といっていたとしても食いしん坊としか思われません。いや大食漢だと思われるかもしれませんが、グルメだということは伝わりません。

よくよく見れば、バランスの取れたラインナップで盛られていたりするのですがイタリアンの横に中華があったりすると、食に詳しくなければ食いしん坊に見えてしまいます。そもそもそんなよくよくは見てくれません。

バイキングの他人のお皿ではなく広告を。

あれやこれやとツーメッセージ、スリーメッセージをしても、結局何が言いたいのか?とも考えてはくれません。見た人が自分の解釈で見るだけです。複雑にすればするほど、シンプルに解釈します。

「よくわからない」と。

逆にいえば、
ワンメッセージにするために、目的をまずは決めましょう。ともいえます。

目的ためのターゲットで独自の売り(価値)です。

目的のための広告です。

日頃、「グルメだ」といっている人がバイキングで食いしん坊のそれとしてお皿に盛っているけれど、2度3度とおかわりをし、やはりグルメではなく食いしん坊なのだ。と見られている。

「全種類食べたけれど、ここのおすすめは『グラタンだ』」といっているのを聞いてしまうと、食いしん坊ではなく全てを自分の舌で味わい判断したグルメなんだ。と途端にメッセージが伝わることがあります。

グルメを伝えるための一貫ならば複雑なものもそれはワンメッセージです。

広告にはビジュアルもあるといいましたが、もちろんコピーでいえなかったことを補いますが目的にそっていなければなりません。

目的にそってさえいれば、補うことも必要ないともいえます。

バイキングの広告で、お腹いっぱいたくさん食べられることを訴求するのではなく、新規顧客獲得を目的にグルメな人をターゲットにこのグラタンを食べてほしいと他では食べられない独自の売りとして訴求するならば、たくさんの料理をビジュアルで並べて、コピーでグラタンを推すことでもワンページワンメッセージです。

「グラタンが焼き上がるのは、開店10分後。」
なんてコピーだとバイキングなのに、グラタンが何だか気になります。

バイキングの雰囲気でたくさんの料理をビジュアルにデザインを展開するのもありますし、グラタンをドーンとメインにもってくる案もあります。

どちらも目的は外れてはいません。

料理が並ばられているがグラタンだけがまだない、コピーを補うイメージ案もあります。

この「グラタンが焼き上がるのは、開店10分後。」のコピーとグラタンだけがまだない写真があればもうデザインができた広告物です。

デザイン案というよりかは、ビジュアル案、ラフ案、レイアウト案といった方がいいでしょうか、どこからがデザインでどこからがレイアウトと呼べばいいのか線引きが難しい。

グラフィックデザインと呼ばれるものの中にレイアウトというものが含まれるのは確かです。レイヤーや階層で分かれているかといえば微妙に交錯しコンピュータがない時代ならば、はっきりと分業されていたけれど、今は一人でできてしまう完結してしまう場合も多く線引きが曖昧です。

レイアウト案をデザイン案といっても間違いでもなく、その逆もまた間違いでもありません。

レイアウトはなんとなく、どこに何を配置してコピーはここになんて感じでイメージはしやすいものですが、デザインとは何なのか。言葉で説明するのはなかなか大変なものです。

デザイン(Design)日本語では、『意匠』と明治時代の知識人たちが言葉をあてました。

意(い)とは、心の中に抱く働きや、その内容全般を指す。
心のはたらき・考え:心に思うこと、思いつき、意見、気持ち。
心がまえ・目的:何かをしようとする決意、意図。

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匠(しょう)とは、
優れた技術を持つ職人や、工夫を凝らすことを意味する。

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「目的のために思考(意)を巡らせて、独自の工夫(匠)を凝らすこと」という意味と捉えることもできます。

意匠(いしょう)とは、主に商品の形・色・模様・配置などの「デザイン(外観)」や、絵画・イベントなどで凝らす「工夫・趣向」のこと。

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念のために意匠も調べてみると、デザインという言葉が使われ振り出しに戻るのです。現代の法的な解釈としても含まれますから仕方がありません。

しかし工夫を凝らすことは間違いなさそうです。

形・色・模様・配置などの工夫です。

広告物をつくるグラフィックデザインとして形・色・模様・配置などです。

明治時代の知識人たちが意匠と言葉をあてたことからもわかるように、明治にデザインという概念が入ってきて新しい言葉をあてたわけですが、それまでデザインは日本には無かったのでしょうか。

優れた技術を持つ職人がつくった工夫を凝らしたものはきっとデザインされていたものです。ただただ言語化されていなかっただけではないでしょうか。

江戸時代につくられた器などを、「デザインがいい」なんて現代人はいったりしますから、工夫を凝らされているものです。

工夫が凝らされていないものは、デザインとは呼ばなのか。という疑問が湧いてきますが、『意の心がまえ・目的:何かをしようとする決意、意図』が効いてきます。目的のための工夫です。

工夫がなされていないと思われるシンプルなものもシンプルなものとしての目的があるならばデザインがなされています。

しかし、この目的がなかなか難しい。いやいや、すでに広告デザインに関していえば、もう目的はあります。企業としての商品・サービスとしての広告としての目的がすでに決まっています。

目的があるものが広告です。
残すは工夫を凝らすです。
シンプルなものも目的のための工夫といえば工夫です。
ですですです、と3つ並べるのも工夫ではあります。

19世紀末〜20世紀初頭にかけアメリカで活躍した建築家、ルイス・サリヴァン(Louis Sullivan)さんが、残した有名なデザインに関する言葉があります。

「Form Follows Fonction.(形は機能に従う。)」

『芸術的に考慮された高層事務ビル(The Tall Office Building Artistically Considered)』
(1896年 論文)
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この論文に掲載されている厳密な言葉は、
「Form ever follows function(形は常に機能に従う)」
で、「ever」を省かれ広まったようです。

「Form Follows Fonction.」の方が3つの単語がFから始まり語呂がよく言いやすく言いたくなりますから、かは分かりませんが「ever」を省かれました。

デザインに限らず人工物に関わる原理としての有名になりました。

ルイス・サリヴァンさんが活躍したのは人類史上初の「超高層ビル(スカイスクーパー)」が建てられ始めた時代で、「中身が最新のオフィスビルなのに、外見だけ昔の神殿の真似をするのはおかしい。外観(形)は、その建物が持つ目的や内部の構造(機能)に合わせて、ゼロから新しく導き出されるべきだ」とそれまで主流だった外観デザインを機能的ではない主張を論理的な言葉で語ったわけです。

大自然の中で鷲の翼は飛ぶための形をしていて、林檎の花が実をつけるための形をしているのと同じように、「建築やモノの形も、その目的(機能)から自然に生まれてくるものであるべきだ」という主張をさらに重ねました。

最もな意見で主張で哲学です。

神殿だと思って入ったらオフィスビルだと困ります、機能的ではありません。(え?神殿だとすでに思われていないのですか)

彼自身の建築物には表面に美しい植物をモチーフとしたオーナメント(装飾)がたくさんあり、装飾もまた「建物を美しく表現する」という機能の一部としていました。

「Form Follows Fonction.(形は機能に従う。)」が一人歩きをしたのか、サリヴァンさんの一番弟子、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトさんが影響を与えたのか。

この思想はヨーロッパへ渡り、ドイツの総合芸術学校「バウハウス」が近代の工業デザインプロダクトデザイン)の根底を支える大きな哲学へと発展していきます。

バウハウス(Bauhaus  1919年)
ドイツのワイマールに設立された建築・デザインの総合学校。

この学校が伝説的と評されるのですが、
それもそのはずで1933年にナチスの弾圧によりわずか14年間しか存在せず閉校したにもかかわらず、建築、家具、グラフィックデザイン、プロダクトデザインなど、現代のあらゆるモダンデザインの基礎をつくったとして知られているからです。

モダンデザイン(Modern Design)
無駄を省き、使いやすさと美しさを両立させた機能的・合理的な近代の大量生産時代での概念です。

簡単に流れを整理すると、
サリヴァンさんが「形は機能に従う(Form follows function)」を提唱した哲学(信念)を、
フランク・ロイド・ライトさん(サリヴァンさんの一番弟子)が「形は機能に従う(Form follows function)」の思想を受け継ぎヨーロッパにわたり、
バウハウスが「形は機能に従う(Form follows function)」を概念とし、モダンデザインが誕生しました。

このモダンデザインが現代でデザインと略され良いや悪いと評され語られているわけですが、無駄を省き大量生産時代での工夫を凝らすわけです。(もちろんポストモダン的な考え方もアールヌーボーやアールデコな考え方のデザインもありますが大量生産時代でのデザインです)

目的のために優れた技術を持つ職人が工夫を凝らしつくられたものが意匠とするならば、匠の意味合いとは真逆が実はデザインで、モダンデザインの概念には含まれています。

しかし、デザインが意匠とされ言葉ができたのは明治で1919年の以前です、1896年にサリヴァンさんの論文が発表されてデザインが日本にやってきたのではなくもっと以前15年ほども前の1881年(明治14年)頃だといわれています。

このタイムラグがあってよかったのか、従来のデザインとモダンデザインでは全く意図が違います。職人が工夫を凝らし機能とは無関係ともいえる飾りや装飾を指していましたが、モダンデザインでは形は機能に従うので機能に関係のない装飾はデザインされていないことになります。職人の技術での工夫が機能に従ったものなのか、様式美としての工夫なのか。

サリヴァンさんは、装飾もまた「建物を美しく表現する」という機能の一部とされていますから、サリヴァンさんのいうForm follows functionとは合致していますが、モダンデザインでは使いやすさと美しさに加え、大量生産での作りやすさも加味されたともいえます。

つまりは、機能から逆算して作れば自然とその形へと収束していく。ということです。

なんの反論の余地もないくらいに真っ当なデザイン論です。

大量生産大量消費時代ではこのデザイン論が主流で定説となりました。

「形は機能に従う(Form follows function)」

機能に従っているのかいないのかで、デザインが判断されるということです。

それに伴ってか、日本の職人さんがつくる装飾など工夫に凝ったものを伝統工芸とデザインとはまた別のジャンルとして受け継がれています。つまりは芸術でアートとしてそのまま残ったということでしょうか。

サリヴァンさんの時代では、デザインもアートも同じような概念だったように思います。古代ギリシアの神殿のようなアート的な建築物の外観に異を唱えたのがサリヴァンさんです。

アートとデザインの違い。

明確な線引きが難しかったものが、
「形は機能に従う(Form follows function)」によって、アートとデザインは明確に線引きがされたといって良いでしょうか。

経営の商才、商売のコツなどの才能(ビジネス・アズ・アート)がマネジメントやマーケティングというサイエンスとして学べるようになったように、
アートもデザインというサイエンスになり学べるようになったと言い換えることもできます。

広告界では、ビジュアルの監督をする人をアートディレクターと呼びますが、1910〜1920年代にかけ新聞という活字メディアに広告を出す際に、ビジュアルで訴求をしようと、今までは単なる挿絵程度のものを本格的な画家やアーティストに依頼をしたが、新聞の紙質と合わなかったり画角に収まらなかったりとうまくいかなかったことで、ビジュアルを監督する役割が必要となり画家やアーティストのアートを監督する役割だからアートディレクターと呼ばれるようになりました。まだモダンデザインが普及もされていない時代ですから、デザインではなくアートと呼ばれ、その名残で現代でもアートディレクターと呼ばれています。

個人的にはデザインマネージャーでもいいと思うのですが、ダメなのでしょうか。

これはアメリカでの話ですから日本にこのアートディレクターという概念と言葉が入ってきた頃にはもうすっかりモダンデザインは定着されていたはずですが、日本でもアートディレクターと呼ばれています。
モダンデザインよりも先に広告の職、役割として日本に輸入されていたというのは十分に考えられます。
同じように入ってきていたとしても、ビジュアルに関する考え方で概念がモダンデザインです。それはいいと明日から取り入れようとはなかなかなりません。今までのアートとしてのデザインの考え方が効果がない、なんてことがあれば別ですが何の支障もなかったのだと思います。
しかし、役職ならば受け入れやすい。というのもあるかもしれません。

アート(art)そもすれば才能(センス sense)とひと言で済まされそうな真似できない言語化できない論理的な領域を、サイエンスとして言語化をし真似のできる論理領域になった。

つまりは、デザインには論理がありルールがある。ということです。決まり事がある、と言い換えても良さそうです。

法律のように、文法のように、数学のように、スポーツのように、と数学やスポーツにどんなルールがあるのかがわからない人にとって数式の意味することはわかりませんし、なぜそちらに走っているのか。なぜ棒で球を打っているのか、それが何を意味しているのかすらわかりません。

しかし、印象あります。怖いや楽しいなんて感情も湧いてくるかもしれません。

文法が間違っていたとしても意味はわかる場合もあります。

その決まり事やルールを理解していない人では判断は難しいものです。
怖いからからという理由で怖くない方を選んでしまうと間違ってしまうかもしれません。印象や感情を残すこともデザインでは大切ですが、形は機能に従うがデザインです、怖い形はどの機能に従ってなったのか、その説明が論理的なルールがなければそれはもうアートです。

歯磨き粉のメーカーが虫歯にならないように怖い虫歯菌の印象を与え歯磨き粉をつけ歯磨きしましょうと、表現しているのならば機能に従っています。恐怖訴求(フィア・アピール)がいいのかはまた別の話です。

さて怖いは機能なのか。という問題も出てきます。

機能ではありません。

マーケティングでいうところの機能(スペックや効果)、物理的にできることではありません。
コピーライティングでいうところの機能でもありません。
今のコピーライティングでは、「機能ではなく価値(独自の売り)をいおう」ということが主流でそれは広告全般でもいえることです。しかしスペック(機能)をアピールして広告しているものもたくさんある。と反論を受けそうですが、それは目的やダーゲットから機能で訴求しているのだと思いますが、機能ではポジショニングが差別化が難しいコモディティー化している現代です。

広告としての機能は価値にあたり、つまりは怖いが機能となります。
広告としての機能です。
デザインをする場合、この怖いを価値と捉え従うべき機能として扱います。広告クリエイティブの機能はこの価値に内在させているのです。
広告を機能的に働らかせるのは価値を伝えること。

かなりわかりにくい説明です。

広告には広告しての機能があり、商品やサービスの機能とはまた違うが、同じといえばわかりやすいでしょうか。
機能を伝えるのではなくそれから発生する価値を伝えるのが今の広告です。価値を伝えることが広告としての機能であるから、この価値は広告としての機能になるということです。

だったら怖ければ何でもいいのか。
虫歯菌ではなくおばけ的な感じの恐怖を与えるものならばどうでしょう。おばけが出るのが怖いので歯磨きをしましょうでは機能に従っていませんが、明らかに虫歯菌よりおばけの方が怖いから。という論理です。

怖いけれど、この論理では機能を踏まえた価値として歯磨き粉の訴求にはなりません。

では、小さい頃に「いうことを聞かないと『お化けが来るで』」なんて躾をされた人、この論理を元にしたおばけでは機能に従っているのでしょうか。それならばとこの案が通ることもあるかもしれません。

おばけという非科学的なものですから、ファクトとしては繋がりようもありませんが嘘とわかるような嘘は機能に従っていれば受け入れられたりもしますから、難しい例えを出してしまいました。いや、屁理屈と言われるような論理であったとしても、それを見た人が納得してくれればそれも立派な論理です。納得ではなく面白がってくれればでしょうか。

どこまで飛躍させられるか、これを広告界ではクリエイティブジャンプといいます。メリットとしてはターゲット層への関係のあるものを対象と近づけ関連付けされやすくなります。

怖いという感情を土台に、おばけという虫歯とは無関係なものへ発想を飛ばした。それほどジャンプ率はありませんが。

クリエイティブジャンプの話ではありません。
「形は機能に従う(Form follows function)」デザインの話です。

機能に従ったルールが形にはあります。という話です。

怖いという機能があるのならば、怖いルールに従わなければなりません。おばけの怖さと虫歯菌の怖さでは微妙に違うでしょうか。しかし怖いというルールに従ってはいます。

デザインとしてのルールです。

この怖いというルールのもとにレイアウトや内容、フォント選びなどが機能に従った形となるわけです。

デザインに正解はない。
ともよくいわれますが、この「怖い」という曖昧模糊な機能からの解釈が各デザイナーで違ったりします。どう従うのかはデザイナー次第という面もあります。

おどろおどろしく表現するのか、さりげなく表現するのか。それだけでも全く違うものになります。

しかし、誌面や広告スペースに置かれている文字や配色、写真やイラストなど、大きさや形など全てには、デザイナー各々の理屈があり論理があり広告としての目的があり機能に従っています。

「何となく」というのは機能的ではありません。

何となくスペースがなかったので、ここに置いた。なんて理由で置かれた言葉はターゲットに伝わるのか。

良いのか悪いのかはわかりませんが、ポップアップで画面全体にWeb広告の展開されている、それを消すには×を押すしかない。しかし×が小さいすぎるのは意図しているとしか見えません。デザイン屋の目から見るとその広告主のWebサイトに誘導することが最大の目的です、その機能に従っているだけです。というように見えますが広告主の目的は誘導ではなく商品やサービスを購入してもらう、使ってもらうことなので、機能に背いているようにも見えなくもありません。

つまりは、デザイナーはこの広告としての機能にも従わなくてはなりませんし、商品やサービス、企業の目的や機能にも従う必要があります。

広告も媒体によって要素も原則もありその機能に従わなければなりません。

グラフィックデザインの場合、
二次元の中でこの7つの要素を組み合わせです。
線(Line)・形(Shape)・色(Color)・テクスチャ(Texture)・タイポグラフィ(Typography)・余白(Space)・画像(Imagery)。

これらをレイアウト(配置)するのに4つの原則があります。
近接(Proximity)・整列(Alignment)・反復(Repetition)・コントラスト(Contrast)。

広告の機能と合わせ、この要素と原則の機能に従いデザインはされています。

ルールがありますから、それは同じようなものが作られることもあります。

似たようなデザインであったとしても、根本的なところが違うこともよくあります。
料理で例えると表面的見た目は真似られるけれど食べたら味が全く違った、なんて感じでしょうか。

グラフィックデザインとしての機能に従って広告の機能に従ってはいるが、商品・サービスの機能には従っていない。

裏を返せば、これらの機能に従えば形はできてきます。

アートと呼ばれていた時代ではありません。才能がいるようでそうでもありません、原則や要素を知っているだけともいえます。それをどう組み合わせるのか、原則や要素に従えばモダンデザインは機能的に働いてくれます。

媒体によっての原理原則も存在しますから気をつけなくてはいけません。

と、また、話の途中ではありますが、長くなってきましたのでここで一旦終わりにします。

ではまたの機会に。

最後までお読みいただきありがとうございます。
ここまでお読みいただけたならば、20分程度の暇つぶしの役には立っているはずです。約30kcalも消費していますから、ラムネを10粒程度、この間に食べていなければダイエット効果もきっとあるはずです。

次も読みたいと思う素敵な方がいらっしゃるならば、
スキなどしていただけると元気になります。元気になりたかったりします。
コメントなどいただけると勇気になります。勇気が欲しかったりします。
フォローもしてくださるならば人気になります。人気になればいいなぁ。









まとめ

広告は目的、ターゲット、独自の売り(独自の価値)の3つの要素で構成されています。
「目的を持ってターゲット層へ独自の売り(価値)を伝えるために広告は展開される」
しかしその3つは言葉(キャッチコピー、ボディコピー)だけで伝える必要はない。(音声広告以外)ビジュアルもある。

人間は複雑なものを好まないので、
ワンページワンメッセージ(One Page One Message)。

広告デザインは、
モダンデザイン「形は機能に従う(Form follows function)」の考えのもとにつくられている場合が多い。

つまり広告デザインの形は広告の機能に従わなければならい。

広告の機能は、商品・サービスの価値を伝えること。


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