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わたしはそれを考えたのか?

日頃はいつもは日常は、日々の投稿は、ただただ思うたことをただただ書き連ねれているこのノウトでnoteで、考えることを言ってみよう、書いてみよう。と。
実験的な分析的な考察的なことをしようと思っている、いや思っています。いや考えている、いやいや考えたことです。

デザイン的なタイトルや小見出し、読みやすくするための目次なんてものは全くもって存在しない文章ではありますがそんなことは気にしないという方々は読み進めてください。

かなりのボリュウムかもしれないし、もっと事細かに書かれているかと思われても仕方がない、目次もなければどういう展開なのかもわからない。どのくらいのボリュームにボリューミーになるのかもこの時点ではわからない。3000字もあれば長文だ長い、なんてこの世の中で世界で社会ではありますがそれくらいに収められるのだろうか。

ただ、的は外れてはいない、射てもいないかもしれないけれど、本人的にはど正鵠を射てるとまん真ん中にど真ん中に矢が刺さっているのだけれども、それは本人の錯覚なんてこともあるはずだ、ということは当人もきっとわかっている。
矢ではなくピストルで拳銃でガス銃でエアガンで打ったのかもしれない。


さて、
思うことと考えることは違う。

同じところの同じ部位で同じようにおこなうことだからなのか、いや、いやいや。
同じ脳で同じシナプスをつかい同じように電気信号でおこなっているのだから、そうだろうと思っている、いや考えている人がたくさんいるのではないでしょうか。

つまりは、思っただけのことを考えたと定義あるいは認識している人がいる。ということです。こってす。

少なからず、思ったことを考えたことと認識する中にも正しく考えたことと同じようにしている人がいるから、ひと筋縄ではいかないからややこしくもあったりします。
なんてことも思いつつ考えつつ話を進めましょう。

正確には同じ部位なのかは知らないけれど、同じシナプスなのかも知らないけれど、そもそもシナプスが関係しているのかも知らないけれど。思うことは扁桃体を用い、考えるは前頭前野を用いるのかは知りません。科学的に医学的にどうなのかと、はたまた別のアプローチでもあったりするが結果科学的だと言うかもしれないし、言わないかもしれない。

要は、思うことも考えることも脳をつかうことです。

しかし、脳をつかったからといって考えたことにはならない。

それはそうだ。と共感される。
共感されたあなたはその違いを説明できるのだろうか。

論理的にとは言わないまでも、考えるはこうで思うはこうだ。と言葉に言語にできるのだろうか。

もちろん、言葉に言語に説明できる人もたくさん、とてもたくさんいるので説明できる人はここで読むことを辞めてほしい、止めて欲しいのではなく辞めていただきたい。と、祈りではなく願いである。
読み進めて、いやいや、それは違う違うそうじゃないと言われても困る。

ただただ困る。

違いがあるのだということだけを伝えたいだけなのに、それは違うは話が違う。

そんな議論は困るのだ、困るだけなのだ。

人間、普通に何を意識していないくても思うところはたくさんある。日常的には何かは思っている。

言語的に思う人と絵的に思う人がいるがそれはまた別の話である。

ただ、思っていることと考えていることは違う、プロセスが違う。段取りが違うのだ。

考えるとは、思うとは違う。

観察をして分析をして、そこからやっと考えが始まる。
これを日本語では考察なんて表現する。言葉に漢字にする。
考察することが日本語で簡単に言うところの考えるなのだ。

主観的な情報と客観的な情報を合わせて考えることが始まる。

映画を見て笑うこともあるし、泣くこともある。
映画を見て面白いと思ったから笑ったのだ。
映画を見て悲しいとあるいは嬉しいと思ったから泣いたのだ。

悲しいと嬉しいでは思うことは感じることは随分と違うけれど、涙はどちらでも出るから困る。

両方を含む言葉にすれば感動したから泣いたのだ。
涙がこぼれる現象が起きたのだ。

笑いすぎて涙がこぼれる時もあるが、これも感情が動いたと言っても間違いではない。間違っていたらごめんなさい。

映画は楽しませるために感情が動くようにとつくられている場合も多いから、体も反応するほどに脳が動く、働くといったほうがいいのか。これをエンターテイメントと今の時代では呼ぶとは個人的には思う。考えたのではなく思ったのだ。エンターテイメントと名付けた人はきっと考えたのだろう。

日常生活でも電車を待っているひと時、目の前の人が何か困っている。と思うことがある、実際に困っているのかはわからないけれど困っている様子が伺える。目の前で起きている光景を観察した結果そう思ったのだ。主観的にそう感じ思ったのだ。

観察した結果、感じ思うところはある。
それはあくまで思ったことで考えたことではない。
考えようとしたところで情報が少なすぎる、といった方が丁寧だろうか。

仮にこの情報の少ない中で考えたとして、何に困っているのかすらわからないからどうすることもできない。

意味もわからず「頑張れ」と言ってみるか。

「次の電車に乗れば新大阪まで行きますよ」と言ってみるか。

これらを言うには観察だけの主観ではあまりにも情報が少ない、
つまり客観的根拠がないのだ。困っている人に話しかけることに根拠が必要かはまた別の話である。

仕事でビジネスで商売で、この商品の夏のキャンペーンを企画しよう。
という場合は、どうでしょう。

そのキャンペーンを総括指揮をとる人がそんな課題を出したりします。
部長でしょうか、課長でしょうか、係長でしょうか。班長、エリアマネージャー、プランナー、なんかいつもいる怪しげな人がでしょうか。

例えばこんなふうに、
前年の企画実施した企画書とその状況や結果、今の現状資料などを見せられ、
「このような企画をバージョンアップした、いや、全く違うものでも良いので来週のミーティングまでに企画案を考えておいてください」
と仕事ではよくある話です。

考えておいてくだい。と言われ考える。

考えた結果を次のミーティングで発表する、なんて流れだったりするのではないでしょうか。

そこで発表したが、どうもイマイチなんて感想を持つことがある。上司の反応がイマイチよろしくないと思うわけです感じるわけです。

このイマイチなんてことが起きるのはなぜだろう、と考えるわけです、思うのではなく情報が少ないなか考えるわけです。

第三者から見ると、
提案した本人の認識とそれを提案され認識した人の間にはきっと乖離があるはずで、求めてられていたことと出したものとの乖離と言ってもいいかもしれません。噛み合っていない齟齬がある。

提案された方としては、この人はこれを本当に考えたのかと思うわけです。

考えた結果ならば、それは仕方がない。
一生懸命に一所懸命に考えても出ない時は出ないモノです。いいアイデアは出ないモノです。アイデアはそんな簡単ではありません。

一生懸命に一所懸命に考えればきっといい企画の1つや2つは出る確約はありません。それならば、企画会議なんてしなくてもその提案させた人が一生懸命一所懸命にひとりで考えればいいだけです。

それがわかっているからみんなで考えよう、ということです。こってす。

若手を育てる、教育みたいな側面でそれを課していることもあったりしますが、そんな教育をするのならば企画の作り方をまずは教えなければいけません、考え方を教えなければいけませんが、それは教えないのか教えられないのか。まずは失敗させてなんて手筈なのでしょうか。何ともいけずなやり方です。

いけずはさておき。
教えてはいるのだけれどもいかんせん、なんて場合もあるのであまり強くは言えません。

前年のキャンペーンでは、認知度を上げましょう。
をテーマに目的に取り組んだ結果、認知度は上がりました。何%上がったデータが結果が事細かにでている現状のデータもあるわけです。

簡単に言えばこの商品を認知してくれた人が増え、売上も上がり利益が増えたことがわかる。として、そこから物事は始まるわけで考える準備が始まるわけです。

このデータを結果をふまえるのが考えです。が、どうもふまえられていない。

去年の企画をバージョンアップする趣旨の元、つくられた企画はさらに認知を拡大しよう、上げよう。
をテーマで目的で企画を提案されたわけです。

確かに、認知度を上げるに越したことはありません。認知度なんてなんぼあってもいいですからね。

認知度がないのに、あたかも認知されているテイで形で企画されているものがあると、何だかその前に、やるべきものがあるのにと思うこともあったりもしますからね。思うだけで考えたわけではありません。

まずは知られなければ、目の前に自分がいることを認知されなければ話はできません、コミュニケーションはできません。

マーケティング論的にはそんなことを度外した論理で話をコミュニケーションを進めるものもたくさんありますがそれはそれで丁寧ではありません。

丁寧さを必要としていないのならば、それはそれでいいのですが、丁寧さを求めている企業で企画で商品でサービスであるのならばどうなのでしょう。

話がだいぶと逸れました。逸らしましたと言えば丁寧なのでしょうか。

確かに中小企業ならば、まだまだ認知が足りていない、認知されるだけで飛躍的に利益があがることもあります。

そもそも、自分たちの商品やサービスが何をしているかを知っている人がどれくらいるのか。でさえ把握できない現実もあります。

もっと、もっと、それました。そらしました。
そらしたことを和らげるために漢字からひらがなに変えました。バレると恥ずかしいので明示しておく次第です。

急激に戻すと、企画をバージョンアップさせ進化させ認知度をさらに上げましょう。と企画を出してくる人はそれを私はこうすればいいと思っただけとも言えます。

バージョンアップと課せられたのです、マイナーチェンジを課せられたのです。さらに、認知をと認識したのならばそれは課したほうの責任です。

ミスリードです。

「そうすると、思ったわ」なんて思ったのならばそうしないようにとリードする機会はあったわけです。

時々、徐に、上司と呼ばれる方々は試してきます。
試したからといって何かが確認できたのでしょう。教育としての現状の確認でしょうか。

ただただ上司自身のポジションを確立したいのならば、それは仕方がありません。企業側が上司側がプレゼンができなかっただけのことです。

いや、うまくプレゼンできたわけです。ポジショニングは成功をとげましたから。

しかし、その企業には理念や信念、MVV(ミッション、ビジョン、バリュー)、ポリシーなんてものも存在しているわけです。その理念や信念、ミッション、ビジョン、バリューを無視するわけにはいきません。バージョンアップと課した人にはこのことがわかっていなかったのかもしれません、もしくは最低限は、このラインだったのかもしれません。ただのご自身のポジショニング、あるいはマウンティングなんてこともあるのでしょうか。

いや、MVVなんてコロコロ変わるものに合わせなければならないことも踏まえなくてはいけません。いやいやどの企業にも理念やMVVやポリシーがある企業ばかりではないとの指摘もありますから、なればそこから考え直したほうが。

また話がそれました、そらした覚えはありません。カタカナにすればよかったでしょうか。

話を戻すと、

バージョンアップですから延長線上で認知度の拡大でもいいのです。

しかし課せられた方は、
キャンペーンをする日を平日よりも休日にしたほうがいい。
と思っただけです。

経験上思ったのです。

確かにそうかもしれませんし、正しいことなのかもしれません。

しかし、そこに考えはありません。

いや、同じことを発表しても考えがある人もいるから、なかなか困る。

この人はこれを考えたのか。それとも思ったのか。
と、された側が考えなければなりません。考えなくても企画の良し悪しを判断すればいいとの見方もありますが考えなしにその判断を下すことは思ったことと同じです。

ところで、電車を待っているひと時、目の前で困っている人はどうなったのでしょう。
いや、バスでしたか。

何を困っているのか、もう少し観察しなければなりません。困っている様子は伺えても困っていないかもしれません。困っている様子が伺えるのはこちらのあくまで思っているだけで推測です。

もちろん「何かお困りですか?」と直接、聞くことも観察です。流行りの横文字にしたほうがわかりやすいならば、データです。「え?流行っていないのですか?」横文字ではなく「それはカタカナや」ですか。
「え?正確にはリサーチですか?」リサーチも含めて観察の一部でデータです。主観的な情報(問い)を客観的な情報(結果)にするのがリサーチです。
とやや強引に話を進めることを選択したりもするのがこの作者で筆者だったりもします。

尋ねるわけです、
「これはあなたが考えたことですか?いや考えたことというのは変ですね。どういう辻褄で理論で論理でこうなったのですか?」と。

理路整然と論理的に答えが返ってくれば、それは考えたことになります。

と言いたいところですが、考えたことでも理路整然とはならずにあたふたと答えられずにいる人もたくさんいるから困る。

理由が理屈があるのに答えられない。という人と、
理由が理屈があるのに答えたくない。人がいるわけです。

ここでもこちら側としては全くもって困る。
どちらかがわからなければアプローチが変わってきます。

答えられない人は俗にいう感覚派の人でアーティストで芸術家で天才肌です、
答えたくない人は、俗にいう俗にいうのですか、照れ屋か。カッコつけか。ひねくれ者です。

ところで、俗とは、なんですか。
属でも続でも、族でもいいじゃないですか。

俗はさておき。

個人的には、後者がとても魅力的に映る人物だと思ったりもします。後者とは照れ屋のことです。カッコつけでもひねくれ者でもない照れ屋です。ただただ個人的な意見なのでは一般的には嫌われている可能性もきっと多いはず。(※個人の見解)

推測をすると、
このデータをもとに、こう思った。
そうです、平日に実施していたから休日にと思った。

当然ながら「あなたはこれを考えたのですか?」なんて直接的には聞きません。

「なぜこうした企画になったのですか?」と言う聞き方です。

返ってきた答えは「認知の拡大を目的に、平日よりも休日に実地日を変えた方が参加されやすいから」です。

推測通りに、
理路整然と論理的な答えですから、考えたことです。思ったとは失敬です。

確かにこの変化は、認知度を高めそう。平日に参加できる人と休日に参加できる人とは違いますから認知度は上がりそうです。

しかし、理路整然とした論理ですが前提がおかしい。

企画書にある前回と同じそこはビジネス街で休日には閑散としている場合はどうでしょう。

そのデータを見なかったのでしょうか。

データです、日本語にすれば情報です。前回の企画書には載っていない情報です。その情報がなければ、思うことはできても考えることはできません。

いや正確には前回の企画書にも掲載されていて情報があって見た、としても、それを分析しなければ、考えることはできません。

ここでは簡単にその地域をビジネス街と書きましたが、前回の企画書にはビジネス街とは記載されていません。

ただただ地域名が書かれているだけだったりします。客観的情報です。

地域名からここはつまりはビジネス街だな。と分析しなければわかりません。

ビジネス街ならば分析しなくてもそう思う。とお叱りを受けますが、そこがあなたが知らない地域のビジネス街ならばどうでしょう。

その地域名を聞いたとして、ビジネス街なのか住宅街なのか歓楽街なのかもわからないものです。

品川区と言われても、片田舎に住んでいる自分にはビジネス街なのか歓楽街なのか住宅街なのか、なんてわかりません。

何となく都会として思うところはありますが、それは分析したこととは違います。

違う角度から話をすると、

『前年の企画を元に次回、ブレストします』と言われた時と、
『前年の企画を元に次回、プレゼンをしてもらいます』では話が違います。

ブレストとは、ブレーンストーミングの略で、
思ったことを否定し合わず言い合い話し合うミーティングです。思ったことをざっくばらんな意見として出しましょうなんて会議です。そんなかしこまられても困るのでミーティングと、どこかのあちゃらの言葉で手軽に気軽に言い合いましょう、なんてコンセプトで概念で気概です。

考えなく思ったことを言い合いましょう。
意見を思いつくままに言いましょう。という場です。

そんな場ならば、日曜日に休日にと発言することもありえますし、何のお咎めもありませんし、「いいね」と褒められます。

もうそのような話し合いはミーティングは散々パラ去年や一昨年にやっているのでしょうか。なんて推測もつきますし、その場にいたのならば、それと勘違いしたということもあるかもしれません。

しかし、来週はブレストではなくミーティングではなく会議です。
会議をミーティング(MTG)というのだけれど、ということは話がややこしくなりそうなのでここでは割愛します。

意味のある会議です。各々、企画を発表し、そこから選び話を詰めましょう。決定しましょうなんて場です。ミスリードがないならば。と個人的にはそれが会議だと感じています。

その会社の文化や社風などがありますから、会議とミーティングの違いはないとか、ブレストも企画会議もそうは変わらない。なんて場合もありますがここでは違いがある場合として話を進めます。

プレゼンとはプレゼント交換の略です、いや、プレゼンテーションの略で発表や提案、納得してもらう提案です。

考えた企画案を発表する場です。

思ったものを発表するのではなく考えたことです。

事前にわかる情報を観察し、様々なところからわかることを分析します。

観察データなどから要素を分解して見えない構造や構成などの関係性を見えるようにしたデータ、これを分析データといい、やっと考察が始まるわけです。

この観察・分析データをもとに考えを巡らすわけです。

認知は広まった。では次にするべきことは何かと考えるわけです。そこでさらに認知を広げよう。と考えたのならば、それは考えです。

昨年の目標50%で結果51%では目標は達成しているがまだ認知不足だ。と捉えるならばさらに認知が必要です。

まだ、49%の可能性が残っていますから小さい数字ではありません。倍です。それが達成できれば売り上げも倍になる可能性も大きい。

それとも51%の方にリピートしてもらう、なんて企画もあるかもしれません。知っては貰えてその商品やサービスがどんなものなのかも経験して体験して味わってどんなものかを認知してもらっていますから、リピートしてもらうため何が必要か。値下げやおまけをつけ、さらに使っていただく継続していただく企画もあったりします。

あるいは、もうこれだけキャンペーンをしてこの認知ならば、思い切ってターゲットを変えるアイデアも出るかもしれません。このデータからだとここのこの層にアピールすれば、なんてことがあるかもしれません。

見えなかったターゲット層が分析した結果、見えるようになった。
よくある事例。

観察して、分析をして、そこから考えることが始まるのです。

観察だけしたものはただの思いで、分析のないものは単なる思い込みです。

その分析したものから考察したもの意見を決定し問題を解決あるいは最適解を見つけ仮説を立てることが企画でクリエイティブです。今まで世の中になかったものを新しく考えつくることを創造といい、クリエイティブといいます。

クリエイティブは自分で観察し分析し考えることから始まります。

各々が持ち寄ったクリエイティブな企画をもとに会議が開かれ、どの企画がいいのか、と話し合われる場合もあったり、それは単なるプロジェクトのデータ集めなる場合もあったりするからプロジェクトリーダーは侮れません。

そもそもテーマや目的などもないままに企画を立てること自体がおかしなことです。

しかし、その集められた企画から、みんなこの線をこの部分を企画しようとしている、つまりはそこがみんなが競合他社や類似品も狙ってくるところだから、ここは避けて真逆のここで勝負しょう。なんてことです。こってす。

決めるのが会議です。

レッドオーシャンではなくブルーオーシャンを狙おう、なんてことです。こってす。

決めるのが会議です。

もちろん、レッドオーシャンに進む選択もありえます。

自身で観察し分析して考えたのならば、もうこの文章は読まなくてもいいと思いますがもう終わりなのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。

ところで、
バスを待っている時に目の前で困っていた人は、困っていたのか。
電車でしたか。

リサーチ、つまりは尋ねた結果、「メガネがない」メガネケースに入れていたメガネがない。と困っていたのですが、その困り事が分かった時点でもう困り事は解決しています。

だって目の前に人はメガネを後ろ向きに後頭部のあたりを正面として耳にかけていた事をボクからは見えていましたから。これは分析らしい分析はしていないのですが過去のデータが役に立っただけともいえますがリサーチしてみなければわからなかった解決しなかったものです。
自分にしかわからない主観的な情報(困っているような気がする)から誰もがわかる客観的な情報(メガネがなく困っている)ことになったことで解決に導けたので、観察と分析は役に立ったと考えるも仮説もすっ飛ばして目的をむかえましたが。

この方のように、メガネをなくさない見失わない課題(目的)ならば、もっとデータが欲しいですし観察・分析もしなければなりません。

クリエイティブ、創造するにも観測し分析しデータを揃えなければなりませんが、それをできても簡単に良い考えが出ないので困る。

今までなかったものを世にだすには考え決め問題解決案をもとに仮説を立てるのだけれど、それがいい仮説なのか普通なのか悪いなんて場合もあるから、考えることが出来てもなかなか難しい。

広告業界では、
『アイデアのつくり方』(ジェームス・W・ヤング 今井茂雄訳 ティビーエス・ブリタニカ 1988)
から、よくよくよく引用される言葉があります。

“アイデアとは、
既存の要素の新しい組み合わせでしかない。
以外、何ものでもない。”

アイデアの出し方や発想法、考え方など書かれているものには必ずと言ってこの言葉が引用され紹介されます。

随分と昔々の昭和の本で話です。(原作はさらに50年ほど前の1940年発売)
長らく語られ言われ続けられていますからきっとアイデアとはそうなのでしょう、誰の否定もなければ異論を唱える人もいません。名著です、今更、紹介するのもと思うのですが、

この本にはその前に、

“最も重要な第一段階として
情報集めとその資料に手をかけ整理すること。”

とも同時に、いや、前段に前に書いている。

情報を集めるのは、観察。
その集められた資料に手にかけ整理するとは、分析。

最も重要な第一段階を飛ばしては、アイデアも何もない。1つ目の一文だけを紹介している人は、そんなことは当たり前の基本だと言うことかもしれませんが、原本を読んでいない人にとっては雲を掴むようなことのようにも見えます。

合わせて、情報とは第一次情報に当たらなければならない。
ここでいう、この『アイデアのつくり方』を実際に自分で読むことです。

とアフィリエイトを掲載して、なんだよ宣伝かよ。とここで終わりにすれば綺麗に終われるのですが、宣伝でもありませんし、アフィリエイトでもありません。

しかし10000文字にしたいのですが関係のない事柄を話しても、あと1000文字くらいあるのですが、どうすればいいでしょうか。

10000文字書かなくても終われるノウトで
わたしは10000文字にしたいのです。

名コピー風に言っても誤魔化されてない。

どれくらいになるかはわからん、と冒頭でいっておきながら。

という目的で趣旨で目論みで、
ターゲットの話を続きに書いたのですが、文字構成をすると文字数が次第に増え、ターゲットの話はもう必要ではなく10000文字に到達したのですが、せっかく書いたのでこのまま掲載しておこうかと、そんな話はもうどうでもいい人はここで終わっていただいても、でもせっかくですから、とも筆者としてはお読みいただければ嬉しく思います。


おまけ

ただただ1000文字文字を書くのならば、書いて見せられますがそんなことを誰も望んでいないので、どうしましょう。そもそも10000文字も誰も望んでもいないし、この先を読み進めていただけている保証もない。いやまして前文を読まれている保証すらない。

どうしましょう何を話しましょう。

ターゲットとマーケットの違いを話したりしましょうか。

その昔、若かりしき広告ことなんて知りもしないまま広告業界に足を踏み入れた遠い日の頃、
「ターゲットを」 なんて枕詞で話を進められたときに、ターゲットとはなんぞや?となるわけですよ、当然。

そんな広告業界のことなんて学校では習いません。その学校では習いません。広告科があればもちろん習うのかもしれませんがボクが通っていたのは広告科ではありませんから習いませんでした。

いや、当時の教員からは「教えた」と言われそうな気もしますが、伝えたと伝わったことが違うように、教えたとは習ったことにはなりません。たぶん、きっと。いや、覚えたことにはなりません。

記憶的にはデザインとはなんぞや。なんてことしか、学んではいないのです。覚えていないのです。広告業界のことはうっすらとは教えてはもらっていた記憶はありますが、そんなものは広告業界のイロハでもなければなんでもありません。

なんでもないと言い切れるのは広告業界のイロハ的なものがうっすらとはわかっている今があるからですが、そんなことは「ターゲット」をさも知っていて当然の先輩はパイセンも教えてはくれないんですよ。

つまりは「ターゲットって何ですか」とたずねても、知らんぷりです。

どっちかと言えば困らせてやろう。なんて魂胆です。時代が時代ですから、パワハラなんて言葉すらなかった時代ですから、今ならば教えてくれないハラスメントです。

こちら勘がいいので流石に殴らたことはなく「これ以上聞いたらあかん」なんてところでギリギリ止められる。

今思えば、ただのポジショニング的なことですか。パイセンが有利に話を進めるためだけのことだった思いますが推測です。

ターゲットはボクの若き日の認識では、ピンポイント。ここにこれを当てれば当てれればもうそれが正解で、売り上げは爆あがりなんて認識でそう教えられたものだったのです「針の穴を通す」なんて表現もされていたような気もしますが、読まれている人はどうなのでしょう。

パイセンにとってのターゲットはボクです。なんのターゲットなのかは知りません。

教えてくれなかった、と最前に書いてあったのに結局は教えてもらえたようです。

若き日のなんて言葉があるからわかるように、今の時代ではボクはそんなことはなく、
「ターゲットとはもっと大きく広くここら辺に」なんて感じのアバウトなものです。

歴史的には、ターゲットなんてなくてもよかった「作れば売れる」大量消費時代から、成熟し多様な需要の中から自社にあった層から効率的に売ろうとする目論みで、マーケットを細分化して絞って展開しようという発想です。多様な需要層をどんどんと細分化すると究極的にはピンポイントとなりそうです。

実際にはオーダーメイドとかがありますからピンポイントといえばピンポイントですがオーダーメイド層といえばピンポイントでもなくなるかもしれません。

ターゲットに訴求をしマーケットの人たちが買ってくれる。といえばイメージしやすい感じでしょうか。

つまりは、ターゲットという層に訴えて、大きなマーケットの一部の人たちの消費行動になり商品・サービスを買っていただける。

大きなマーケットと言いましたが、
ボクの個人的な感覚ではターゲット=マーケットなんて認識です。

ターゲット市場といえばわかるでしょうか。市場とはマーケットのことです。

しかし、この認識が何だかみんな微妙に違います。業種や職種、仕事や業界によって微妙というか全く違う。

ターゲットという円の内側に、マーケットの円があったり、
ターゲット>マーケット。
ターゲットが大きく、マーケットが小さい。

ターゲットの円の外側にマーケットがあったり、
ターゲット<マーケット。
確かにマーケットはターゲットの外側にも大きな大きな市場がありますから強ち間違いでもなく、マーケティングではなく株式市場ならばこちらが正解ですからややこしい。

ターゲットは設定した固定だけれど、マーケットは流動的であったり、
マーケットは拡大したり縮小したりする。
確かに言われてみれば、タピオカ市場は急激に拡大して縮小していきました。しかし、これはマーケットではなくニーズです。ニーズが急激に増え減っただけです。ニュースや情報サイトなどで一気に取り上げられ多くの人が知り認知し飲んでみたいと、ニーズが高まり、1度2度と経験することでニーズが一気にしぼんだ。確かに株式市場派的に見ればマーケットの反応が無くなったように見えますが、そのターゲット市場はまた新たな流行を求めてニーズになり株式市場でいうマーケットを形成しています。

1000文字書くつもりが1500文字となったのでこの続きはまたの機会に。

そもそもピンポイントではないものばかりを作っていたパイセンが間違っていたのかも、いやこちらが騙されていたのかもしれませんけれど。
次回が気になる方はもしくは読みたい方々は、フォローおよびスキなんてしてコメントなんかを入れてくれると、励みになります。

ホントの最後までお読みいただき、ありがとうございました。

まとめ

1.考えていることで「うんうん、んう、んう、んう」と唸っているあなた、もしかして、それは考えているのではなく思っているのではないでしょうか。

2.考えるためには情報が必要です、データが必要です。より多くのデータを情報を観察をして分析して集めてください。情報不足では考えるにも材料が足りません。

3.観察して誰からでも見える情報を元に主観的なデータとして取り込み、分析できることはとことん細分化して言語にして数字にして見えないものを誰からも見える客観的な情報にする。

4.誰かの観察・分析ではできないことがあなたの観察・分析にはあります。主観と客観が揃ってやっと考えができます。どちらも揃うことでアイデアが湧いてきます。

5.誰かの観察・分析は誰かの考えのもとですから、きっと誰かも考えているものです。オリジナリティが求められる世界ではオリジナル的に乏しくなります。

クリエイティブは自分で観察し分析し考えることから始まります。似たようなものでも、ちょっとした主観的な客観性スパイスの違いを出せるものがきっとオリジナルでクリエイティブです。観察・分析することで見えてくる世界がある。

あなたの考えが見てみたい。

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