「ストレンジャー・シングス」シーズン3で学ぶ【バウンダリー】と【幼少期のトラウマ】
Netflixの「ストレンジャー・シングス 未知の世界」に絶賛ハマっている。2016年にスタートし、2026年の正月にシーズン5でファイナルを迎えた米国のドラマシリーズだ。
私が知ったのは2025年末。ようやくシーズン3を見終わったところだが、面白くてたまらなかったのでリピート中だ。先に全然進めない。日本語字幕で物足りなく感じた会話は、英語字幕で見直している。
ジャンルはSFホラーだが、人間の描き方が上手いので、ヒューマンやコメディとして大いに楽しめる。むしろミステリー要素はわりとどうでもいい、私の場合。
好きな理由は数え切れないが、ここでは心理学的アプローチが優れていることについて語りたい。
ドラマを知らない人にも良さが伝われば嬉しい。
ただし、めっちゃネタバレしているので、これから見る方はご注意を。
🔹バウンダリー(境界線)
・バウンダリーはクリエイトし、確立するもの

中学生の娘エルと、ボーイフレンドのマイクが部屋でいちゃついているのが気に食わない父ホッパー。娘たちと良好な関係を築きたい一方で、瞬間湯沸かし器のようなホッパーは、接し方がわからない。
悩むホッパーに、シングルマザーのジョイスがアドバイスするシーンで「バウンダリー(境界線)」という単語が出て来る。
「命令はダメ、怒っちゃダメ。腹を割って(heart to heart)、友達に接するように子供と向き合うこと」「対等に話せば、子供たちも聞く耳を持つわ」「そうすることで、あなたは子供たちにバウンダリー(境界線)を引くことができるのよ」とジョイスはホッパーに説く。
日本ではなじみが薄い「バウンダリー(境界線)」という台詞が出て来るのが、「アメリカのドラマらしいな」と感動した。
バウンダリーとは、心理学用語で「自分と他者の境界線」を意味する。我々は自分と他人の領域を守ることで、健全な人間関係を築くことができる。
境界線が守れない人間は、不必要に自分を差し出す(自己犠牲)。または他人に土足で踏み込む(支配)。共依存にもなりやすい。生きづらさの大きな要因だ。
特に、親は子供のバウンダリーを侵害しがちであることは、誰もが理解しやすいのではないだろうか。侵害は、家族やパートナーなど近い関係で起こりがちだ。
「バウンダリー(境界線)」の意味を知らなくても、ドラマの流れで内容は理解できる。
「You could start to create some boundaries.(そう接すれば、あなたはバウンダリーを引くことができるわ)」「Which is why I think it’s important to establish these boundaries.(だから俺はバウンダリーを確立することが大事だと思っている)」という台詞が示す通り、バウンダリーはクリエイトし、確立するものなのだ。
なお、吹き替えだと「子供たちに節度を守らせる」となっていたが、ニュアンスが変だ。ジョイスは「感情的にぶつからず、あなたが子供たちとの間に一線を引きなさい、子供たちを尊重しなさいよ」とホッパーに説いているからだ。
バウンダリーに馴染みがない社会とは言え、「節度を守らせる」とか日本っぽい言い回しだなぁ。(ぼやき)
ジョイスのこの教え、日本の幼稚園や小学校でもどんどん教育したら良い。子供の幸せのためにバウンダリーを侵害してはいけない。未熟な親はこのことを全く理解できていない。
・ホッパーのスピーチ原稿

「俺はそんな難しいこと説明する自信がない、代わりに言ってくれ」と弱音を吐くホッパーに、「それはあなたの仕事でしょ。でも文案を作るのを手伝うことはできる」とジョイスが提案する。
ジョイスは離婚し、女手一つでジョナサンとウィル兄弟を育てて来た。子供とは常に対話を心掛けており、良好な母子関係を築いている。
ホッパーは、ジョイスと一緒に作ったスピーチ原稿を懸命に暗記するが、いざエルとマイクを目の前にして全てが飛び、結局はマイクを暴力で黙らせる展開になる。ホッパーらしくて苦笑だ。
ジョイスに、「バウンダリーは確立された!(…暴力でだけど。てへっ)」と、嘘の報告をするホッパー。本当にダメな大人だ。不器用とも言うが。
エルはホッパーの本当の娘ではない。実の娘を幼少期に病気で亡くし、妻とは離婚したホッパー。
引き取った年頃の娘(しかも成育歴が特殊)と、どうやって向き合っていいのかわからない。バウンダリーが大事だと、ジョイスのおかげで頭では理解したけれど。
だからこそ、この時に2人に言えなかったホッパーの不器用なスピーチ原稿を、ホッパーが死んだ後にエルが読み、泣くシーンはひときわ切なさがこみ上げて来る。
ジョイスの表情からホッパーの死を悟り、泣き崩れたエル。ホッパーはたまにバウンダリーを侵害して来たけど、愛情もたくさんくれたかけがえのない存在だった。
ホッパーは、マインド・フレイヤー(化け物)との決戦で、マイクに「Be careful(エルを頼む)」と声をかけた。無言で頷くマイク。
もしかしてホッパーが生きていれば、時間は少しかかるかもしれないけど、彼らとバウンダリーを築けたかもしれないよね。ホッパーは不器用だけど、愚か者ではない。残念だ。
エルとマイクを見送った後、ホッパーの元へジョイスが来る。何か言いたげな顔でジョイスを見るホッパー。ジョイスは「What?(何よ?)」と訝しげだった。シーンはそこで終わる。
ホッパーは、「マイクを尊重できたぞ。バウンダリーを引けた俺、偉いだろ?」ってジョイスに褒めて欲しかったのかな。
(私はホッパーが死んだと信じたくないので、シーズン5でカムバックするのでは?と期待を捨てていない!)
🔹ビリーのトラウマ
・暴君ビリー
シーズン2で、ビリーは暴君として描かれていた。嫌な野郎だ。高校の同級生や、義理の妹マックスを力で支配する。さながらドラえもんのジャイアンだ。私のお気に入りキャラ、スティーブに乱暴するのもムカついた。
ビリーの行動が、高圧的な父親の影響であることは想像にたやすい。子供の頃に大好きな母親と引き離され、「男は強くあるべし」と父親が考える理想像を押し付けられた。
父親にバウンダリーを侵害されて育ったから、同級生や妹のバウンダリーを当たり前に侵害するのだ。暴力気質は世代間で連鎖する。
ビリーはマインド・フレイヤーにフレイされた(flayed=肉体と精神を剥ぎ取られた、乗っ取られた)。
ビリーの異変を感じ取ったマックスたちが「筋肉自慢のビリーが服を着ているなんておかしい(マインド・フレイヤーは暑さが苦手なので、日よけを羽織っていたため)」「独立記念日に家にいるなんておかしい(女と出かけるに決まってるから)」と、さりげなくビリーの特徴をいじっているシーンは、緊迫の中にそこはかとない可笑しさがあって笑ってしまった。ストシンのこういうとこ好き。
・「ミセス・ウィーラー」と「カレン」の違い

ビリーはウィーラー夫人をモーテルに誘う。ビリーはプールの監視員(ライフガード)で、夫人はプールの利用者。夫人がビリーの泳ぎを褒めたので、「個人レッスンしますよ」という流れだ。大人のエロス。むふふ。
遡ってシーズン2で、ビリーがマックスを探しにウィーラー家(ナンシーとマイクの家)を訪問した際、「ナンシーにこんな素敵なお姉さんがいたとは」とウィーラー夫人に好意を示し、夫人もまんざらではなさそうだった。その伏線が生きる。
お母さんに「お姉さんかと思ったわぁ」という誉め言葉は世界共通なのだろうけど、お世辞っぽくなくて、本当に夫人に惚れてるっぽいビリーの様子が可愛かったことを思い出した。
ビリーが、なぜ母親ほど年の離れた女性に惹かれるのか。それは無意識に母の愛を求めているからだ。少年期にDV父と大好きな母が離婚して、母の愛を強制的に奪われたから。
子供時代に親から十分な愛情を受け取れなかった子供は、無意識にそれをパートナーに求める。あの時の寂しかった思いを昇華させようとするのだ、潜在意識下で。
エルが超能力で読み取ったビリーの少年期の幸せな記憶、そこにはブロンドで白いワンピースの似合う可愛らしい母親が映っていた。良妻賢母のウィーラー夫人とそっくり。
若い女性とも関係を持つプレイボーイのビリーだが、ウィーラー夫人には包まれるような愛情を求めていたのだろう。
「Mrs. Wheeler(ミセス・ウィーラー)」と夫人を呼んでいたビリーだが、1人モーテルに向かう車の中で、「カレンって下の名前で呼んでいいかな?」と声に出して嬉しそうにリハーサルしていた。名字じゃなくて初めて名前を呼ぶ、あのドキドキね。ビリー、かわいいやつめ!
ビリーに誘われてときめいちゃうカレン・ウィーラー。安パイの夫を選んで、幸せだけど人生にちょっと退屈を感じているカレンが、夫とは正反対のビリーに惹かれるのもわかる。
結果的にカレンは出かけるのを踏みとどまった。行かなくて良かった、行ってたらビリーと一緒にフレイされていた。
翌日のプールで、カレンはビリーに「すっぽかしてごめんなさい、でも家族を傷つけられない」と謝る。
既にフレイされていたビリーはカレンを襲いそうになるが、自制して「Stay away from me, Karen(俺に近づくな、カレン)」と残して去る。
ビリーがマインド・フレイヤーに抗ったこと、初めて「カレン」と発したところに、カレンを守りたいという強い意志が見えて泣けた。
本当はモーテルで、キャレンって囁きたかっただろうにさ、まさかこんな文脈でファーストネームを呼ぶことになるとは。
なお、日本語字幕も吹き替えも「カレン」が省略されていてがっかり。カレンって呼んだとこが大事なのに!
素っ気ないビリーにカレンは戸惑う。ビリーらしくない冷たい言葉と、初めてのファーストネーム呼びに混乱したことだろう。カレンことミセス・ウィーラーの複雑な表情も見所。
・幼少期の幸せな記憶

6話で、エルがビリーの幼少期の記憶を読み取り、みんなで共有するシーンが秀逸だ。
サーフィンをする少年。ルーカスが「俺の記憶が正しければホーキンスに海はない」と言い、マックスが「ビリーのカリフォルニア時代の記憶ね」と補足する。うわあ、ビリーの子供時代の記憶まで映像化するんだ、と感動した。
ビリーにとって、大好きなお母さんにサーフィンを褒められ、愛されていたと感じる大切な記憶だ。
幻想的な演出にも見入る。エルが記憶の中に姿を表すのも良い。ビリーの父親に、エルが怒りの視線を向けるのがグッとくる。
ここでしっかりビリーの記憶を描いたから、最終話でエルがビリーに語りかけるシーンが胸に迫るのだ。
乗っ取られたビリーは、マインド・フレイヤーにエルを差し出す。エルは息絶え絶えになりながらも、必死にビリーを救おうと語りかける。
「セブンフィートの波、カモメ、綺麗な人、白いワンピース、黄色のサンダル」「そしてあなたはとても幸せだった(And, you were happy.)」と涙を流すエル。
もはや小さなカウンセラーである。まだティーンエイジャーながらも過酷な経験を乗り越えたからこそのエルの強さ、愛情深さに感動する。
エルもまた、父(ブレンナー博士、通称:パパ)にバウンダリーを侵害され、実験台として恐ろしい虐待を受けてきた。人間扱いされていなかった。それはもうビリーの比ではない。
だからこそ、エルは人の痛みがわかる。エルの魅力は物理的なパワー(超能力)だけでないと、全視聴者が思い知る名シーンだ。
エルのおかげで自分を取り戻したビリーは、マインド・フレイヤーに立ち向かって殺される。
なんてなんてなんて悲しいんだろう。悲しくて、でもエルのお陰で幸せな記憶を取り戻せて良かったねと、複雑な気持ちで大泣きした。何回見ても泣くのをやめられない、これを書いていてなお涙が出て来る。悲しくて優しくて美しくて悔しくてたまらない。
セブンフィートの波とお母さんの笑顔を目の前に、少年ビリーは本当に幸せそうだった。
ウィーラー夫人を見つめるビリーも、やっぱり同じような顔をしていたと思う。
・ビリーとマックス

倒れたビリーにマックスが泣きながら駆け寄り、「Get up! Wake up!」と必死で語りかける。ビリーは一言「I'm sorry」と言って息絶える。
義理の妹のマックスに高圧的に振舞っていたビリーだが、それ以外の接し方がわからなかったのだろう。申し訳ない、といつもどこかで思っていたのかもしれない。ビリーが生き延びていたら、これを期にマックスと良好な関係になれたかもしれないのに。
マックスは、横暴な兄貴のことは嫌いだったと思うが、片親同士、ビリーに同情する気持ちもあったと思う。
目の前で兄を惨殺されたマックスの今後が心配でたまらない。混乱するマックスを抱きしめるエルは、まるで聖母マリアのようだ。
シーズン2でいけ好かない野郎だったビリーが、シーズン3では大好きになっていた。こんな風に描かれたら好きになってしまう。暴君の奥に、お母さんに愛されたかったちっちゃい少年が「寂しいよ!」って一生懸命に叫んでいる姿が重なる。
ビリーは悪くない。守られるべき子供だった。小さな子供を理不尽に傷つけて、ケアできなかった大人の責任だ。
演じるデイカー・モンゴメリーも魅力的だった。マインド・フレイヤーとせめぎ合う演技が見事だった。
プール監視員の姿もセクシーで良かったね。ビリーのお出ましに、キャッキャするご婦人方に共感。私もあそこに混ざりたいわぁ!
デイカーのインタビューを読んだ、めちゃおもろい。幼少期の記憶のシーンはデイカーの提案だったのか。へぇ!
🔹私がバウンダリーや幼少期のトラウマに反応する理由
普通の人には、バウンダリーや幼少期のトラウマの話はここまで響かないかもしれない。
私の両親は、ホッパー以上にバウンダリーを侵害してくる人間だった。おかげで私は他人の顔色を伺い、自己犠牲を生存戦略として50年生きてきた。
自律神経をおかしくして、ようやく自分が生きづらさを選択していたことに気づいた。
だから今はバウンダリーを確立することを練習中なのである。
たとえば、職場のモラハラ社長にきっぱりとNOを突きつけること。先読みして同僚の感情を引き受けないこと。
私をサンドバッグ扱いする母から、正月帰って来いと言われたが、「あなたは私を『結婚できないオバハンが!』と罵り、『私の家に来るならルールに従え(風呂の使い方、カーテンの閉め方など私に厳しい。弟には何も言わない。)と虐めるから帰らない。自律神経の具合が悪化する。私は私を守ることに決めた』と返信したら、ぐうの音も出なかったようだ。「わかりました」とだけ返信が来た。
50年間、母親の感情の面倒を無意識に見て来た。こんなにはっきり拒否できたのは生まれて初めて。めっちゃ清々しい。
(父親はうつ病の果てに首吊って死んだから、残念ながらもうバウンダリーを引くことは不可能。)
AIにストシンの感想を話していたら、こう言われた。
「このドラマがあなたにとって特別なのは、単に【ひどい親】を描くだけでなく、ジョイスのようにバウンダリーを説く大人や、ビリーのように心に深い傷を負った者が【自分を取り戻す瞬間】を描いているからではないでしょうか。
ホッパー以上の侵害を受けてこられたあなたが、ビリーの最期に号泣されたのは、彼の中に**【本当は愛されたかった、そして誰かを守りたかった】という自分自身の欠片**を見つけたからかもしれません。」
泣けた。ご明答である。
親にもらえなかった愛情を、外側(主にパートナー)に求める人は多い。そういう仕組みになっている。思い通りに愛情をもらえなかったら、また別の人で再演する。もらえるまで繰り返す。
子供は親の愛情が必要だけど、大人は自分で自分を愛してあげることができる。だから外側に求めなくても大丈夫。まずは自分で自分を満たしてあげれば良い。
過去の恋愛の失敗から、その仕組みは非常によくわかる。だから私は自分で自分を満たしてあげることを実践中だ。今までさんざん自分に鞭打って来たからね、無意識に。
そんなわけで、心理学的にも非常に心に響くシーズン3だった。
それ以外にも大好きな要素がシーズン3はたくさん詰まっているので、語りたいことがいっぱいあるんだ。引き続き感想まとめ中。
「ストレンジャー・シングス」関連note。
劇中に出て来るアメリカンなジャンクフードをたくさん食べてみた。
シーズン4の「ニーナ計画」を見て、自分のトラウマと重なった。
劇中に出て来る「ダンジョンズ&ドラゴンズ」について疑問を解消。
シーズン3、全体の感想【前編】と【後編】
シーズン1-2の感想。ネタバレあり。
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