小さな愛をあげられる人|祖母が教えてくれた生き方
私は、おばあちゃんになっても「小さな愛をあげられる人」でいたい。
そう思うのは、尊敬する祖母の影響です。
祖母は、周りに自然に小さな愛をあげられる人でした。
たとえば、空き缶が道に落ちていたら、誰かが踏んだりしないようにと拾っていました。
一緒に出かけていた当時、私は小学生でした。
私は空き缶が落ちているのを見つけてもスルーしてしまっていましたし、人通りがあるところで拾うのは、なんだか恥ずかしく思っていました。
でも祖母はそんなことを気にせずさらっと拾います。
「なんで?」と聞くと、
「誰かが踏んだりつまづいたら大変じゃろ?」
って何事もないように言うんです。
空き缶を拾うなんて「優等生みたいで恥ずかしい」と思っていた小学生の私は、さらっとそんな行いをする祖母がとてもかっこよかったです。
もう一つ、ずっと心に大事に残っていることがあります。
祖母は民生委員をやっており、自転車に乗って地域の方の家に行き相談事などを聞いたりしていました。
一度出ていくと、何時間も帰ってこないんです。
一人暮らしの方などは、きっと話足りないのでしょう。
祖母の来訪に、普段貯まったしゃべりたい事を開放していくのでしょう。
人の話を聞いて、共感して、勇気づける、必要なら何か行政と繋げる、そんなことをしていたようです。
「ばあちゃんは、なんでそんなに人のために動けるん?」中学生の私が祖母に聞きました。
「ばあちゃんは、感謝の輪があると思うんよ。」
「小さい輪で言うと、ばあちゃんが他の人に何かいいことをするじゃろ?
そうしたら、その人はありがとうって思って、あんたの母さんや、あんたにいつか何かいいことをしてくれるかもしれん。
何かあったときに、ばあちゃんのおらんところで家族を助けてくれる人がおるかもしれん」
「大きい輪で言うと、今日ばあちゃんがその人のために何かしてあげるじゃろ?
その人は嬉しくなって、他の人に何か動いてあげるかもしれん。
そしたらまた嬉しくなった人が、他の人にってどんどんありがとうの輪が広がるかもしれん。
めぐりめぐって世界が平和になるとええなと思うんよ。」
すご、と思いました。
こんな小さな体のばあちゃんが、家族を守ろうと思ってくれていることが、とてもかっこいいなと思いました。
世界が良くなったら、ということも素敵だなと思います。
尊敬しています。
今、祖母は思うように体が動かなくなりました。
自転車には乗れないし、歩くのも長距離は難しい。
家の中は家具を伝って歩き、外に出る時は杖や歩行器を使います。
そんな祖母の家に毎日のように人が訪れます。
祖母の友達が作った野菜を届けてくれたり、
「これ、ようけ(たくさん)作ったけ食べんさい」って料理を差し入れしてくれたり、
「遊びに来たよ」ってお茶してお話して帰って行ったり、
毎日誰かしらが来てくれます。
愛されているんだな、って思います。
きっと今までたくさんあげてきた「小さな愛」が、
こうして形を変えて返ってきているんだな、と思います。
彼女はすごいです。
私も祖母のように、
周りの人に、小さな愛をあげられる人でいたいなと思います。
そして、ばあちゃんにも、たくさん愛をあげたいです。
ばあちゃんには、たくさんの愛をもらいました。ばあちゃんとは、たくさんの思い出があります。
ばあちゃんの自転車の後ろに乗って、駅前の小さなデパートまで行ったこと。
ゲーセンで一緒にあそんだこと。
親の帰りをばあちゃんの家で待つ間、一緒にすごろくやトランプをしていたこと。
一緒におむすびを作ったこと、ばあちゃん家の梅干しがすっぱいこと。
ばあちゃんの作るりんご入りのポテサラがおいしいこと。
夏休みにばあちゃん家で窓をあけて扇風機をつけて、畳の部屋でお昼寝をしたこと。
一緒に車いすで旅行をしたこと。
地元を離れてからは文通をしていたこと。
全部がたからものです。
ばあちゃんは、必ず味方でいてくれました。
小さなことでも褒めて、肯定してくれて、時には諭してくれたり、ばあちゃんなりの生き方を教えてくれました。
会える時は少ないけれど、たくさんばあちゃんに愛をお返ししたい。
ばあちゃんがまだまだ元気で幸せでいられますように。
今日は書きながら目頭が熱くなってきました。
本日も読んでくださり、ありがとうございます。
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そよそ