令和8年熊本地震備忘録②『クレアで爆発』 車中泊を決めた夜
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17:37 ガソリン難民
ガソリン難民と相成りましたが、深追いはせず。
それよりも、鍵が壊れてガバガバセキュリティになった自宅の方が気がかりでした。
幸いガソリンはまだ半分ほど残っていたので、この時は「まあ、なんとかなるっしょ!」とかなり楽観的でした。
ずっとデータ通信が死んでいたので、情報が全く入ってきません。
世の中が今どんな状況になっているのか、何も分からないままです。
細い田舎道をすいすい走り抜け、国道へ出た瞬間。
ものすっっっっごい渋滞。
赤いブレーキランプが、ずっと先まで途切れることなく続いていました。
信号も機能していないのに事故ひとつ起こさず、ときには譲り合いながら進んでいくドライバーたちを見て、「すげー……」とアホ面で呟くしかありませんでした。
いや、本当に。民度高いよ。
普段なら1分もかからずに通れる道を、10分近くかけてゆっくり進みます。
「これ、お母さん帰って来れんな……」
そう思って電話をかけ、
「国道めちゃくちゃ渋滞してる」
「電話以外繋がらないから連絡は電話で」
とだけ伝えて切りました。
17:55 ようやく届いた通知
遅々として進まない渋滞にハマって20分ほど。
ようやくデータ通信が一瞬だけ復活し、溜まりに溜まっていた通知が一気に流れ込んできました。
LINEを開くと、お母さんからの連絡が2件。
「今から帰る」
「ガソリン入れてから帰る」
……連絡は電話でって伝えたのにね。
18:08 「クレアで爆発」
いつもの3倍くらいの時間をかけて、ようやく自宅へ帰り着きました。
お母さんが帰ってくるまで、車で待つことにしました。
1Fの壁には大きなヒビが複数入っています。
あの家の中へ、ひとりで入る勇気はありませんでした。
また一瞬だけデータ通信が入り、通知がどっと押し寄せます。
LINEのオープンチャットが妙に騒がしい。
ログを追っていくと、目に飛び込んできたのは。
「クレアで爆発」
……?
クレアで……爆発……???
え、爆発!?!?
地震で爆発ってするんだ!?
ここではじめてカーナビのテレビをつけました。
地元局を見ようと思ったのですが、カーナビの不具合で映るのはNHK総合だけ。
画面には、
「震度7」
「火災」
「クレア爆発」
そんな文字が並んでいました。
ぼんやり画面を見つめながら、「とんでもないことになったな……」と呆然としていました。
15分ほどニュースを見続け、分かる範囲の情報を頭に入れます。
この時点で、夜は車中泊をする覚悟を決めました。
18:25? 車中泊の心得
車中泊をすると決めてからは早かったです。
体調が優れない日に備えて、お布団セットを普段から車に積んでいました。
愛車はかなり年季の入ったN-BOXなのでフルフラットにはなりませんが、敷布団や座布団を駆使して、できるだけ平らになるよう整えます。
さらに、激烈金欠だった頃に(今も金欠に変わりないけど!!!)、車中泊でひとり旅をしたことがあり、その時に作ったお手製の遮光カーテンも積みっぱなし。
ものの10分ほどで、ふかふかの居心地のいい車内が完成しました。
あってよかった、車中泊の心得。
……しかし、その10分でシャワーでも浴びたんか?と思うくらい汗だく。
この先の片付けを思うと、ちょっと気が遠くなりました。
リュックの奥からGATSBYのボディシートを見つけ、ガシガシ体を拭いて、エアコンをガンガンに効かせた車内で一度体を冷やします。
ガソリンも心配だったので、ここからはエンジンを切り、自然の風とハンディファンで耐えることにしました。
22:48 明かりのない家へ
途中、一瞬だけ通信が復活するたびにSNSを覗いたり、カーナビでニュースを見たりしていましたが、その辺は割愛。
ドパガキにはキツい所業でした。
その間も、ひっきりなしに緊急車両のサイレンが鳴り続けています。
そんな中、ようやくお母さんが帰宅しました。
普段なら40分ほどの道のりを、およそ5時間。
「会社の制服だから着替えたい」と言うので、危険を承知で家の中へ。
私の車に積んでいた、めっちゃ光るライトを片手に暗い室内を進みます。
それぞれ必要なものだけ取ってすぐ戻る……はずだったのですが。
お母さん、玄関の片付けを始めました。
ねえ、それ絶対今じゃないよ。
なんなんだ、その”玄関から出入りしてやる”という執念。
結局、玄関周りはある程度片付き、玄関から出入りできるようになりました。
この時点ではまだ断水していませんでしたが、トイレの水の勢いは明らかに弱く、「これ怪しいな……」とは感じていました。
回収した荷物をお母さんの車へ積み込み、今夜をどこで過ごすか相談。
私は「避難所で車中泊」を提案しましたが、お母さんは「道の駅」を選択。
なんでやねん。
23:28 「また被災者になっちゃったね」
とんでもない渋滞と、機能していない信号機。
世紀末みたいな景色の中を、道の駅へ向かいました。
途中、地面の隆起もあちこちにあり、「走る」というより、恐る恐る進むという方が正しかったかもしれません。
その間にも何台もの救急車が通り過ぎ、その音が耳の奥にこびりついて離れませんでした。
道の駅にはすでにたくさんの車が停まっていましたが、運よく2台並んで停めることができました。
お母さんが着替えとトイレへ行っている間に、運転のため一部解除していた車中泊仕様を元通りに。
軽自動車とは思えないくらい広々ふかふかした空間を、お手製カーテンで四方を囲み、小さな個室を作ります。
お母さんが戻ってきてから、お互いボディシートで体を拭きました。
エアコンの効いた車内で、地震のニュースを見ながら、自宅で唯一見つかった”すぐ食べられるもの”だった食パンをかじります。
「また”被災者”になっちゃったね」
そんなことを話しながら、救急車のサイレンを聞いていました。
深夜3時ごろ、エンジンを切りました。
エンジンを切ると、車内は一気に静かになりました。
……静かになったはずなのに。
救急車のサイレンだけは、朝までずっと聞こえていました。
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