29歳無職、ウズベキスタンをひたすら陸路移動した7日間の旅
ウズベキスタンの旅では、大半の時間を移動に使いました。
列車やバスに揺られている時間が、観光地巡りよりも好きだからです。その結果、7日間でウズベキスタンを横断する弾丸旅行になりました。

総移動距離約3,000km(Google Map)
また、限られた時間とお金の中で、なるべく早くカザフスタン西端の町アクタウへ行きたかったというの現実的な理由もありました。(ユーラシアの旅を先に進めたかった)

カスピ海に面した町です
移動に主軸を置いた7日間のウズベキスタン旅行を振り返ってみます。
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タシケント行き列車でたくさんの親切を受ける
アルマトイからタシケントまで、丸一日かかる寝台列車に乗りました。

この列車の旅では、向かいの席に座った50歳ぐらいの女性に、ずいぶん助けられました。
言葉はほとんど通じませんでしたが、食事の際に、(節約のために三食をパンとチーズだけで乗り切ろうとしていた私を見兼ねてか)食べ物を分けてくれました。
サラミ、ゆで卵、甘いパン。紅茶も頂きました。中央アジア流の角砂糖を4,5個も入れる飲み方です。あまりの甘さに面食らっていると「紅茶は身体にいいのよ〜」なんて言っていました。こんなに砂糖入れて身体にいいわけないだろと思いながらも、どこか説得力がある不思議。

その後の昼食では、別のグループが大皿のプロフを仲良さそうに食べていて、それを彼女が小皿にもらって、私にも分けてくれました。油っこい味付けをキュウリでバランスしていて美味しい。ありがて〜


さらに、夕食では列車の給湯器のお湯で作ったインスタント麺を分けてくれました。本当に感謝。異国の鉄道で、心がほどける時間を過ごすことができました。
窓の外の景色はずっと草原でした。けれど、飽きずに眺めていられました。
電波もつながらない車内で、取り留めのない思考がカザフスタンの草原に静かに流れ去っていく感覚は、不思議な気持ちよさがありました。

ぐっすり寝ていた早朝3時頃、列車内が騒がしくて起きると、カザフスタンの出国手続きと、続いてウズベキスタンの入国手続きが行われました。列車の中での入出国審査は初めてで身構えていたのですが、あっけないほど簡単に終わりました。
朝8時頃、タシケント駅に到着。向かいの女性に最大限の謝意を伝えて、ここでお別れです。
「メトロは爆破された」古典的手法を華麗にスルー
タシケント駅の外に出ると、タクシーの客引きが波のように押し寄せてきました。
タクシーに乗るつもりはなくて、地下鉄はどこかと聞いてみると、「メトロは爆破されて使えない、だからタクシーに乗れ!」と、あまりにも古典的な手法で騙そうとしてきました。さすがに笑う。
初めてインドを訪れた時のような懐かしい感覚でした。もちろん、駅は爆破されておらず、地下鉄に乗って予約していたホステルへと向かいました。

チェックインを済ませ、フロントの横にあるソファでくつろいでいると、ルーマニアから来たという老夫婦に話しかけられ、ウズベキスタンの旅の指南を受けました。「ヌクスにあるサヴィツキー美術館が素晴らしい」という話を聞き、行き先リストに加えました。こういう小さな会話で旅が作られていくのって面白いですね。
プロフうま〜い!米料理が美味しいと幸せだね
初夏の強い日差しのなか、チョルスーバザールへ向かいました。
青いドーム状の巨大な建物の中に入ると、想像どおりの巨大なバザールで、スパイス、精肉、加工肉、乳製品、キムチなどが並んでいました。バザールの店主は気さくで、味見までさせてくれるのが嬉しい。

ドームの外にある食堂でプロフを食べました。美味い!ウルムチやアルマトイでも似た料理を食べましたが、タシケントのプロフが一番好きになりました。米料理が美味しいと幸せな気持ちになれます。

チョルスーをくまなく歩き周ったあとは、市内の名所を足早に巡りました。旧ソ連の建物が好きで、アミール・ティムール広場のウズベキスタンホテルは、古めかしい佇まいが気に入って何枚も写真を撮りました。

(写ルンですで撮影)
タシケントでも墓参り
翌日はスルタノフ・ジャラロビッチ氏の資料館と日本人抑留者墓地へ。

映画監督のスルタノフ・ジャラロビッチ氏が個人で集めた、日本人抑留者に関する資料を展示する小さな資料館です。(たぶん息子さんの)自宅の一室に、熱意と執念が詰まっています。
同氏は舞鶴にある引揚記念館に招かれたこともあって、私もいつか行ってみようと思いました。(実際に行きました)
資料館から少し歩いたところにある日本人抑留者墓地。タシケントでも墓参りです。

2日前に訪れたアルマトイの抑留者墓地を思い出すと、ここはあまりに整然としていました。石畳の先に石碑が並び、マリーゴールドとサルビアがきれいに咲いています。
この違いは、どこから来るのだろうかと勘ぐってしまいます。
日本人抑留者がタシケントの人々と比較的深く交流していたという話を思い出しながら、理由のはっきりしないまま、ちょっと複雑な気持ちでその空間を歩きました。
「写ルンです」でサマルカンドを撮る
地下鉄オルマゾール駅近くにバスターミナルがあります。ここでサマルカンド行きのチケットを購入し、バスに乗りました。

この日は雲ひとつない晴天で、窓から見える草原がいっそう美しく見えました。田舎道をひたすら走ります。サマルカンドに着いたのは夕方で、タシケントから5時間もかかってしまいましたが、景色に没頭できた良い旅となりました。

サマルカンドは1泊のみ。レギスタン広場、シャーヒ・ズィンダ廟群を訪れ、鉄道の予約(席が空いて無くて断念・乗り合いタクシーで行くことに)や両替などもこなしていきました。
短い滞在でしたが、サマルカンドの「碧の美しさ」には感動しぱなっしで、ここぞとばかりにシャッターを切りました。





ちなみに、私が「写ルンです」が好きな理由は以下の記事からどうぞ。
夕方、サマルカンドのバスターミナルへ行ってみると、バスは無いが乗り合いタクシーでなら今日中にブハラまで行けるとのこと。
客が集まらず2時間近く待つことになって、「なかなか効率良く旅するのは難しい」と思いつつも、そんな非効率な移動を楽しめる自分もいて、あまり苦ではありませんでした。

サマルカンドのバスターミナルで2時間近く待つ
5時間かかってブハラに到着。夜でした。
予約していた宿では、ロシア人と思われるバックパッカーの集団が宿の共有スペースでワイワイ騒いで飲み会の真っ最中。パリピ宿にちょっと居心地の悪さを感じつつも、ドミトリーのベッドでぐっすり寝ました。
ブハラ、観光ほぼゼロ!8時間かけてヒヴァへ
チェックアウトして、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセへ。

イスラム教では珍しく人の顔と動物が描かれている建物です。ブハラで一番有名な場所なので、「ここだけは」と写真に撮って、そそくさとヒヴァへ向かいます。

まずは市バスに乗ってバスターミナルへ。
市バスの車内で、7歳くらいの女の子が英語で話しかけてきました。
「どこに行くの?名前は?ブハラの食べ物は食べた?うちに来る?いっぱいご馳走するよ!」などと、会話がはずみました。別れ際にウズベク語で「ハンサムだからまた会いたい!」的なことを言われてバスの乗客がドッと湧いていました。ウズベキスタンでモテて嬉しい。
ローカルな交通手段は、こういう素敵な出会いがあって楽しいです。
市バスの運転手に「ここで降りるんだ!あそこからヒヴァへ行けるぞ!」と言われて慌てて降車。

バスターミナルで乗り合いタクシーを捕まえ、ヒヴァへ出発しました。
これまで通ってきた道と比べて、ひどく道がわるく砂埃がすごかったです。砂漠のようなステップのような地域をひた走り、ときに鉄道と並走し、放牧された羊たちが流れていき、アムダリア川を渡る頃には陽が暮れていました。

陽気な運転手
途中、ウルゲンチで乗客と荷物を降ろし、幾分か車が軽くなってからはスピードも上がり、22時にヒヴァに到着しました。
ヒヴァ・イチャンカラに入場しなかったことを今ではちょっと後悔している
ヒヴァでは「Alibek」という人気のB&Bに泊まりました。
翌朝、2階のテラスで朝食を頂きました。朝陽が差し込んできて気持ちがいい。目玉焼き、オムレツ、ソーセージ、チーズ、サラダ2種、パン2種、ナン2枚、ジャム、いちごとベリー、ポットに入ったお茶。ボリュームがすごい。たらふく食べて満たされました。美味しかった!

ヒヴァでは鉄道の予約をするという大事なタスクがあります。ヒヴァ駅の大きな駅舎の建物の隣に小さなチケットオフィスがあり、翌々日のヌクス発アクタウ行きの列車を予約することができました。これでアクタウまでの交通手段が確保できて一安心。残りの時間はゆっくりとヒヴァの街を見てまわりました。

イチャンカラに入場して、旧市街の中を見てみるのも良いなと思ったのですが、料金が高くて断念。とはいえ城壁の周りを歩くだけでも大満足でした。
けど、今になると、やっぱり城壁の中も見ておけばな…と思ったり。

城壁の北側にある食堂「ナウローズ・チャイハナ」へ。
客のいないテラス席でプロフを食べながら、今回の旅について考えました。時間に身を任せ、なんとなく自分が決めた場所を目指して旅をする。遺跡を見ることよりも、この街まで移動して来たという事実が大事で、ここで何かがしたかったわけではない…

翌朝、ヒヴァを出発しました。イチャンカラの北にあるマルシュルートカ乗り場からウルゲンチまで出て、そこから乗り合いタクシーでヌクスまで。3時間ほどでヌクスに到着しました。
まずは、タシケントで老夫婦が教えてくれた「サヴィツキー美術館」へ。
29歳無職、お金がなくて学生料金で美術館へ
サヴィツキー美術館の受付で「入場料は48,000ソム」と言われたのですが、手持ちの現金が足りなかった…受付の人と交渉して、学生料金にしてもらって38,000ソムになりました。美術館でも値引き交渉ってできるんですね。無理を言ってしまって本当に申し訳ない気持ち。

中の展示では、サヴィツキー氏が描いたウズベキスタンの風景画が印象に残りました。
ヌクスの街もソ連風の建物が多くて歩いていて楽しかったのですが、翌朝4時の列車に乗るために早めに寝ました。と言っても、この街は首都とはいえ中央アジアの田舎といった雰囲気で、駅前には人通りがほとんどなく、見どころらしい見どころは無いようでした。

やはり長時間鉄道旅こそ至高だよね
翌朝3時、同じドミトリーに泊まっていたスイス人の女の子2人組とタクシーをシェアしてヌクス駅へ。運転手が代金を吹っかけてきたものの、スイス人女子の必死の抵抗のおかげでボラれずに済みました。欧州のバックパッカーは強い。

今回の寝台列車の旅は、前回のアルマトイ→タシケントのときよりも景色が単調でした。ずっとステップのような砂漠が続き、景色が変わる様子がない。
だから退屈だということもなく、ずっと景色を見ていると、思考が余計な枝葉を落としていき、頭の中が静かになっていく感覚があります。

出入国手続きをして、カザフスタンに再入国。朝8時にマンギスタウ駅に到着。ヌクスから28時間かかりました。マンギスタウ駅からは、またスイス人女子2人組とタクシーをシェアして(今回も料金交渉してくれた)、アクタウ市街地まで行きました。結局、この2人とはタクシーをシェアしただけで、特に仲良くなるということはなかったです。
カザフスタンの西の果てでカスピ海を臨む

アクタウの街はソ連時代の古いアパートが残る静かな港町という印象でした。
歩いて浜辺まで行ってみました。ああ、ついに、カスピ海まで来たのだ。上海から陸路の旅を始めて、カザフスタンの西端まで、よくこんな遠くまで来れたなと思いました。

こうして振り返ると、アクタウまで来たという達成感はあまりなく、いくつもの移動を重ねてきた時間のほうが、旅の手応えとして残っていました。

そして、海の向こうには、アゼルバイジャンのバクーがある。
船で行く方法はあるのだろうか?あったとしても、バクーから帰ってくる旅費がない。というわけで、今回のユーラシア横断旅は、いったんアクタウで一区切りです。
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