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東京の道標

迷ったら空を見ていた。

上京したばかりの頃、知らない道を自転車で走っていると、曲がったはずなのに、どこを通っても似た景色が続いていた。

ビルもマンションも並ぶのに、角をひとつ間違えるだけで今いる場所がわからなくなる。細い道の先では電柱が何本も重なり、さっき渡った川がどちら側だったかも曖昧になった。自転車を止めて振り向いても、見える景色に手がかりがない。

その奥に、細い塔だけが抜けていた。

東京スカイツリーは、建物の隙間から突然現れる。一本だけ空へ伸びていて、見えた瞬間に方角が戻る。次の角を曲がればまた隠れるのに、見えているあいだは迷わない。

知らない道へ入るたび、まず空を見る。スカイツリーさえ見えてれば、位置がわかる。地図を見るより先に目が探していた。

何度も助けられるうちに、一度は近くで見たくなった。

遠くからは細く見えるのに、近づくほどその印象が崩れた。塔は細くなるどころか、空を押し広げるように大きくなっていく。根元に立つと空の広さが変わる。見上げたところで首が止まった。視界に収まりきらず、角度だけが深くなる。鉄骨の線が高いところで重なり、先端は白くかすんでいた。

真下まで来たとき、背筋がぞわっとした。

見上げても全体がつながらない。根元の太さと高さの感覚が合わず、縮尺だけがおかしくなる。子どもの頃に見たカリン塔は、こういう理不尽な高さだった。首を上げたまま、しばらく視線を戻せなかった。

足元には店が並び、人が歩き、いつもの下町の音がある。店の看板や住宅の屋根の上へ、存在だけが突き抜けている。雑なくらい未来的で、町の空気を読んでいない感じすらあった。上を見ているうちに、この先に神様の神殿でもあるんじゃないかと思えてくる。

沖縄で海の仕事をしていた頃、位置を知るには空を見ていた。東京でも、やはり空を見る。場所が変わっても、顔の向きは同じだった。

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