藤棚と行列|亀戸天神社の藤まつりを巡るまち
「あなたは、行列に並ぶのが好きですか?」
こう聞かれたら、もちろん「いいえ!」と即答する。たとえ口の中がラーメンの気分であっても、並んでるのが見えたら隣の吉野家に入って牛丼を食べる。並んだ時点で減点方式に変わるからだ。
待ってる間にどんどん気分が高まる。これだけ並んでるとなると、どれだけ美味しいラーメンが食べられるのだろうかと期待だけが上がっていく。いざ食べると「あー、こんなもんか」と味よりも並んだことへの後悔が襲ってくるからだ。
それでも、家族のためなら待つことは厭わない。娘のためにタピオカも並んだし、ユニバに行けば早起きしてオープン前から並んでる。そもそも、こちとらいつでも出発できるのに、娘や妻の準備にどれだけ待ったと思ってる?それなのにタバコ休憩してたら「早くしろ!」と怒られるなんて理不尽極まりないったらありゃしない。だから待つのは嫌だし、気づけばひとり行動が増えていた。
そんなある日、フォロワーさんの記事を読んでたら、今が『藤』の季節だということを知った。
「すっかり忘れてた!亀戸天神へ行かなあかん。情報ありがとう‼︎」という思いで『亀戸天神社』を検索すると、ちょうどタイミングよく『藤まつり』たるものが開催されてるではないか。

昨年の夏、沖縄から東京へ引っ越した後、土地勘を養うために十社巡りをした。亀戸天神社は菅原道真よりも「スカイツリーちかっ‼︎」という印象の方が強かった。それでも境内に張り巡られた藤棚を見た時、次は藤の季節に来ようと心に決めていた。
問題は......藤の季節がいつなのかを全く把握してなかったのである。

季節は巡り、久々の桜に感動し終わった頃が、まさか藤の旬だなんて思いもしなかった。しかも、春の気温に背中を押されたのか、藤は例年より早く伸びていた。ここを逃すとまた一年待たなあかん。それだけは避けなきゃと思い、慌てて御朱印帳をカバンに忍ばせ出かける準備をした。
自転車へとまたがり、ひたすら14号をスカイツリー目指して走り出す。晴れているのに遠くの輪郭は白くぼやけ、漕ぎ出してすぐ背中にうっすら汗が浮いてきた。
『藤』と聞いて真っ先に浮かんだのは『藤圭子』だった。肝心の曲名はひとつも出てこない。知っているのは娘が『宇多田ヒカル』くらいだ。『SAKURAドロップス』の季節は終わった。春風というには強すぎる向かい風に押し返されながらも、『桜流し』を口ずさみながら荒川を越えた。
亀戸天神社にたどり着き、社務所の横にある自転車置き場に停めると、そこから本殿の前にたくさんの人が集まっているのが見えた。そのまま横から入るのも違う感じがしたので、いったん正面へ回ることにした。

鳥居の前にあった『十割そば にし田』で足が止まった。「本当に美味しい『十割そば』を食べたことありますか?」と書いてあったからだ。「そんな期待値上げて大丈夫?」とは思ったが、1時間ほど自転車を漕ぎ、汗ばんでいた身体を冷やしたく、気分は完全にざるそばに変わっていた。
本当に美味しいそばとは、どんなもんかを試してみようやないかぃ。
店の中を覗いてみると混んでる雰囲気もない。昼前だし混む前に腹ごしらえしとこうと、ドアの前に立ったが反応しない。「もしかして引き戸?」と思い、引いてみたが閉まってた。
ドアに貼られてあった紙をよく読むと『定休日』の文字。そりゃ誰もいないはずだ。早くも出鼻をくじかれた。

鳥居をくぐる前に、まず拝殿の方へ向かってお辞儀をした。そうするように習った記憶があったからだ。
周りを見ると誰も立ち止まらず、そのまま鳥居を素通りしてる。天神さまはもしかしたら作法が異なるのか?......急に自信がなくなった。

太鼓橋にはすでにたくさんの人たちが、写真を撮ったり、橋の途中で立ち止まったりする姿が見えた。毎日見てるスカイツリーなのに、「うぉー!でかっ」と目が持っていかれる。
目的は『藤棚』だったはずなのに、気づけば太鼓橋とスカイツリーの写真を撮ることに夢中になっていた。

藤まつりということもあり、左右を見渡すと縁日の屋台が並んでた。もう令和だというのに、屋台の空気は平成どころかまだ昭和のままだ。串に刺さった鮎が並び、塩の白さまでうまそうに見える。炭の匂いには負けそうになったが、接客の温度で踏みとどまった。

藤棚をしっかりと見るのは初めてだった。
花瓶に飾られてるドライフラワーの藤しか見たことなかったはずなのに、長く垂れ下がる藤棚を見てたらどこか懐かしさがこみあげてくる。近づくと甘く果物のような香りがした。
横で「もう終わりかけだね」と話す声が聞こえ、房の先はもう軽くなっている理由がわかった。

紫の藤の花言葉は『君の愛に酔う』と書いてあった。たしかにあの香りなら酔うのもわからなくはない。
もうひとつの意味は『決して離れない』
藤圭子は離婚したけどね、とは思ったが、宇多田ヒカルのお父さんとは7回、離婚と再婚を繰り返してる。『決して離れない』はあながち間違いではないのかもと感じ始めた。

池を覗くと鳥が一羽いた。隣でその鳥をスケッチしてたお兄さんに話を聞くと『アオサギ』だと教えてくれた。ジッとその場で待てる忍耐力の高さもあり、縁起の良い鳥だとも教えてくれた。
あまりにも自分とは正反対なことに笑いが止まらなくなり、しばらくの間、眺めることでその御利益を貰おうかとも考えたが、そこまでの忍耐力がもうなかった。
すぐ目の前にあった石碑の穴にスマホを向けたら、その先にアオサギが写った。まるで狙って置かれた展示物みたいに収まり、池の奥が額縁に入ったように時間が止まって見えた。

反対側の池には、亀戸という名前に合わせたように亀が何匹も並んでいた。石の上で甲羅干しの順番待ちでもしているのか、小さな背中がきれいに列を作っている。その横をコイが忙しなく泳いでいるが、亀は誰ひとり急いでいない。
見ていると、待つ側と動く側で役割分担でも決まっているようだった。

御本殿まで来た頃には参拝の列ですでに埋まっていた。ここまで来て参拝しないのもどうかと思ったが、最後尾を確認すると橋のあたりまで連なっていたので気持ちが折れた。
遠くから軽く頭は下げたが、ここでお願い事まで始めたら、並ばなかった側の都合が良すぎる。

本殿の左側には『神牛』と呼ばれる牛の像が飾られていた。触れることで、そこの病を治してくれるらしい。
まず頭を撫でた。「頭がもっと良くなりますように」と真剣に何度も撫でた。その後、膝や踵など痛いところをひと通り撫で終え振り向いてみると、隣にいたお爺ちゃんがアオサギのようにこちらを睨んでいた。

「そんな撫でてる暇あったなら、その時間に勉強しろ!」と声が飛んできたので「勉強したないから神頼みしとるんじゃ」と返した。すると「神頼みしてるようでは受かりゃせん」みたいなことをブツブツ言いながら去っていった。
その後ろ姿を見ながら、「もしこのお爺ちゃんが菅原道真の子孫だったらバチが当たったな。もう少し優しく返せば良かった」と軽く後悔したけど、目線の先には猿が跳ねていた。
猿まわしの大道芸をやっていたのだ。

妻が毎日のようにパンチ君の動画を見てるので、ここ最近は猿が身近に感じていた。いつもはスマホの中の猿しか見てなかったので、やはり生の猿はかっこいい。娘が生まれたばかりの頃はこんな感じの顔をしてたな、なんてのを思い出しながら、社務所の方へ向かった。
お守りコーナーでは藤まつり限定のスケルトンに輝く綺麗なお守りが売られてた。さっき、このお守りと一緒に写真撮ってる人いたのを思い出すと欲しくなってきたが、亀戸天神で1500円となると手が止まった。これが伊勢や出雲なら迷わず買っていたに違いない。
なにより普段カバンとかにお守りを付ける習慣もない。そもそもお賽銭すらしてないのに、お守りを買うことに気が引けてきた。

隣に目を向けると、またもや大行列が目に入った。御朱印を求めての行列だ。巫女さんが番号札を渡しているときに「お渡しまで1時間ほどかかります」という声が聞こえたので「まぁ、去年書いてもらったし......ま、いっか」と思い、今回は御朱印を頂くのは見送ることにした。
ちょうどお昼時でもあったし、お腹が空いてきたので『くず餅』を食べることにした。社務所前ではくず餅で知られる『船橋屋』の売り場が出ていたからだ。
そこもきっちり列ができていたので「やはり吉野家か」と脳裏に浮かんだが、せっかく亀戸まで来てくず餅を食べないのはもったいない。
本店がすぐ近くにあると書いてあったので、亀戸天神社を後にして船橋屋へと向かった。

船橋屋本店へ着くと、やはり昼時ということもあり行列ができていた。ただ、テイクアウト向けの『カップくず餅』であれば並ばずに買える。
迷うことなく、テイクアウトを選んだ。

くず餅は、定番の『黒蜜&きな粉』か、季節限定『藤(紫芋蜜&紫芋きな粉)』。定番はいつでも食べれるなと思い、せっかくだからと限定を頼み、PayPayで支払った。

その場で食べるのも惜しくなり、くず餅を片手にもう一度藤棚の下へ戻った。さっきは買わなかったスケルトンのお守りの代わりに、今度は透明のカップ越しに藤を撮った。
紫芋の粉まで景色に馴染んでいて、ようやく今日の目的がひとつ揃ったなと感じた。

関西で思い浮かべるくず餅は、もっとつるんとしていて喉を滑るものだった。口に入れると違った。柔らかいのに弾力があり、噛むたび蜜より先に食感が残る。もっと酸味が前に来るのかと思っていたけど、紫芋蜜ときな粉の中では丸く収まっていた。

ただ、帰ってから知った。店内なら、くず餅だけでなく冷たいおしるこまで食べられたらしい。あの列の先にそれがあったと知っていれば、果たして並んでいたのだろうか。
空になった船橋屋の刻印と藤が印刷されたカップは捨てずに持ち帰ることにした。気分としてはモロゾフのプリンと一緒だ。せっかくなら亀戸天神社の苔でも入れて育てるのはどうかとも考えたけど、石ひとつでも窃盗にはならないのかと心配になり思いとどまった。

帰りしな、『ラーメン二郎 亀戸店』の前を通ると、いつもは行列しか見てないのに、ひとりしか並んでなかった。
東京に越してから一度は食べてみたいなと思いつつ、見るたびに行列で行く機会を逃してた。せっかく空いてるのであれば、もう行くしかない。
券売機を前にして止まった。
どれだけカバンの中を探してもお財布が入ってなかったのだ。昨日、財布をどうしたかを振り返ると......リュックの中に入れっぱにしてたことを思い出した。

もう、初めからズレていた。お賽銭するにもお金がなかった。お守りを買うにも、御朱印貰うにも、そもそもお財布持ってない。
なんで令和の時代になってスマホ決済できんのじゃ!
そりゃ神様にも見放されるわ。せっかく空いてた二郎だったのに。遠くからでもお願いしとけばよかったわ。

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