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鏡開きで思う存分「おしるこ」を食べる😋|あんこはお正月を掬う🫘

お正月気分は、完全に抜けた。そもそも私は正月気分を味わっていたのだろうか。気づけば一月十一日である。カレンダーの上では「鏡開き」と書かれている。今日は鏡餅を割り、無病息災を願い、おしるこやぜんざいを食べる日らしい。

だが我が家には鏡餅がない。割るべきものがない。木槌もない。あるのは、正月に乗り遅れた中年の焦りだけである。

儀式がなくても、あんこさえあれば正月の残り香くらいは回収できるのではないか。私はそう考え、スーパーへ向かった。もはや鏡開きというより、失われた正月を取り戻すための単独潜入任務である。売り場の前に立つと、つぶあんとこしあんが並んでいた。世間では、この二つをめぐって争いが起きるらしい。だが、あんこ好きにとっては右大臣と左大臣みたいなもので、どちらも偉い。私はしばらく神妙な顔で悩んだ末、つぶあんを手に取った。今日の私は、粒に人生を感じたい気分だった。

鍋にあんこと水を入れ、塩を少し落とす。火にかけると、甘い湯気がふわりと上がった。その瞬間、台所が神社になった気がした。鏡餅はない。しめ縄もない。だが、鍋の中であずき色の神様が静かに目を覚ましている。焼いた餅をそっと沈めると、白い餅は湯気の中でぬくぬくとふやけていった。まるで正月休みの私である。働く気はないが、あたたかい場所にはいたい。

一口すくう。甘い。あたたかい。遅れてきた正月が、ようやく口の中に到着した。三が日は慌ただしく、おせちを囲むような優雅さもなかった。それでも、この一杯で「まあ、今年も始まったんだな」と思えたのだから、儀式とは案外ゆるいものである。鏡は開いていない。餅も割っていない。ただ、あんこを煮て、餅を沈めただけである。

結局、私は鏡開きという看板を借りて、堂々とあんこを食べたいだけなのだ。無病息災を願うふりをして、つぶあんの粒にまみれている。開いたのは鏡餅ではなく、私の食欲だった。

すでに今年に入って、7回はおしるこ食べている。

⬅️ 前話はこちら:柿の葉寿司🍣
↩️ シリーズ序章:期間限定?アレンジ?やっぱ定番やろっ❣️

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