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⚪️掌編小説|蜜柑堂書店 第六話

第五話からの続き

 どうしたのだろう、蜜柑さんが、いない?

***

 ぼくの朝は通用口のドアベルを鳴らすことから始まる。

 すると中から蜜柑さんが開けてくれるので朝の挨拶、そしてロッカーに自分の荷物を入れ、すぐさまバックヤード(書庫)に行って作業に取り掛かる。

 たまにだけれど、仕事の前に蜜柑さんが珈琲を淹れてくれることがある。そんな日は読書スペースの椅子に座って、蜜柑さんと、特に何を話すでもなく、静かに時を過ごす。

 ぼくは蜜柑さんが両手でマグカップを包み込む仕草とか、ふと漏らすため息なんかを、ついついじっと見てしまう。

***

 もう一度ベルを鳴らした。

 静寂。

 正面に回ってみると店内には灯りが点いている。出入口のガラスドアには「CLOSED」の札。一時外出しているのだろう。

 蜜柑堂書店には補助スタッフがいないので、蜜柑さんは外出の度に店を閉めていたらしい。今はぼくが店番を出来るけれど、この時間は誰もいない。

 もう一度通用口に戻ったところで、ちょうど蜜柑さんと鉢合わせた。

***

「おはようございます」
「ごめーん、待たせちゃったよね」
「いいえ。ちょうど来たところです」
「今開けるからね」

 ぼくの目の前を、直接体温が伝わってきそうな距離で、蜜柑さんが横切る。遅れてバレンシアオレンジの香りが漂ってきた。

 ああやっぱり蜜柑さんだからかな、などと妙に納得していると、機械式の暗証ボタンを押しながら「番号教えておくから覚えてね」と言って解錠してくれた。

「どうぞ」と蜜柑さん。
「蜜柑さんこそ、お先に」

 ちょっと生意気だったかもしれない。

***

 気づくと目で追ってしまう。

 仕事には集中しているけれど、でもやっぱり気になってしまう。

 褒められたいとか、認められたいとか、特別な存在になりたい気持ちもある。役に立ちたい。貢献したい。頼られる存在になりたい。

 笑顔を見ると嬉しくなるとか、休日は何をしてるのかなとか、どんなことを考えているのか知りたいと思うこともある。この気持ちは何なのだろう。

***

 ぼくは仕事の合間に、端末に向かってデータベースを立ち上げ、近くに蜜柑さんがいないのを確認した。

 検索語を入力。

「女性上司 承認欲求 恋愛感情 純粋性」

 結果──数100件ヒット。さらに絞り込む。

「文学 哲学 心理学的アプローチ」

 数10件まで絞り込めた。そこから気になるものいくつか選んでメモした。

デカルト,ルネ『省察』筑摩書房,2006年
レヴィナス,エマニュエル『全体性と無限』講談社,2020年
サルトル,ジャン=ポール『存在と無(全3巻)』筑摩書房,2007-2008年
フロイト,ジークムント『ナルシシズム入門(フロイト著作集5)』人文書院,1969年
フロイト,ジークムント『集団心理学と自我の分析(フロイト著作集6)』人文書院,1970年
ラカン,ジャック『転移(上・下)』岩波書店,2015年
マルクーゼ,ヘルベルト『エロス的文明』紀伊國屋書店,1958年
フロム,エーリヒ『愛するということ』紀伊國屋書店,2020年
バディウ,アラン(トリュオング,ニコラとの共著)『愛の世紀』水声社,2012年

 さて、どれから読もうか。

第七話に続く)


*見出し画像は@羽さんの作品です。


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