椎名麟三のキリスト教文学ー復活のイエスへの信仰
はじめに:椎名麟三における信仰とは
日本におけるキリスト教作家として、遠藤周作や三浦綾子といった著名な作家の名前が挙げられるのだが、イエスの十字架と復活というキリスト教の核心に迫るところで信仰の実を結んだのは、椎名麟三だったといえるのではないか。
実存主義的な小説を創作して戦後文壇に登場した椎名の胸底には、労働運動からの転向という傷痕があった。この経緯については、「日本における実存主義文学の先駆ー椎名麟三『深夜の酒宴』|りまちゃん」で紹介した。1931年8月26日の京阪神地方における弾圧事件では、獄死者まで出すという治安当局の圧力の下、椎名は控訴審で転向上申書を提出して、釈放された。
組織と同志に対する裏切りという、深い罪の意識から自己を救済してくれるものは何なのか。戦後に生き延びた椎名の実存のすべてが、そこに賭けられていたのである。
赤岩栄との出会い
椎名をキリスト教に導いたのは、日本基督教団代々木上原教会の赤岩栄牧師であった。当時「赤いクリスチャン」と呼ばれたように、マルクス主義思想に理解を示した赤岩牧師は、ブルトマンの《脱神話化(Entmythologisierung)》に傾倒し、聖書の奇跡は、史的事実として受け止めるのではなく、時代をこえてすべての人間における実存―「神のまえに意志的存在として決断の状況に置かれているもの」―を問うために解釈するものであるという認識を持つに至る。マルクス主義思想から脱却したとはいえ、合理的な思考に親しんだ椎名にとって、聖書の語句の原義に忠実な福音主義的な解釈とは一線を画した赤岩牧師の説教は、受け入れやすいものであった。
1950年12月24日に赤岩牧師から洗礼を受けた椎名は、翌51年2、3月頃、『ルカによる福音書』第24章にあるイエスの復活の場面を読んだとき、「復活のイエスの贈り物をもらった人間は、死んでいて生きているという仕方で生きはじめる」という実感を持つに至ったという。
戦後の絶望と貧困のなかで、「生きていて死んでいる」状態であった椎名が、〈復活のイエス〉への信仰を通じて、「死んでいて生きている」状態への劇的な転回を生み出したのである。一体、椎名においてどのような変化が生じたのであろうか。
では、イエスが刑死して埋葬され、3日目に復活したとされる場面を見てみよう。
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
椎名はこの場面を読んだとき、「死んでいて生きているイエスの二重性は、私が絶対と考えていたこの世のあらゆる必然性を一瞬のうちに打ちくだいてしまった」という。なぜなら、生と死の「二重性」を体現した〈復活のイエス〉は、「生にもなく死にもなく、生と死の外にあって、しかも生と死を超えたところのもの」である。人間において「死と生が平和共存」し得る根拠が与えられたのであり、「復活のイエスの贈り物をもらった人間は、死んでいて生きているという仕方で生きはじめる」というのである。
〈復活のイエス〉に邂逅した椎名の感動は、つぎの一文によっても明らかであろう。
復活のイエスが弟子たちの前へ姿をあらわされた。僕はこのイエスの姿を、道にまよった暗夜の旅人の見つけた一つの灯に対するような切実さで、一瞬も自分の前から見逃すまいと努めて来た。
これほどまでに椎名に強い影響を与えた〈復活のイエス〉とは何であったのか、さらに考察を深めてみよう。
罪への贖い
新約聖書を読めば、ペテロやイスカリオテのユダはもとより、神ご自身がイエスを見棄てようとしたことが分かる。新約聖書学の佐藤研氏によれば、イエスの弟子たちが中心となった「エルサレム原始教会」の「心理学的動機」は、ゲツセマネの園(「油絞りの場」)で捕縛されたイエスを見棄てて逃亡した弟子たちの、「イエスを裏切り、一人で死なせてしまった彼らの負い目を償う行為」にあった。彼らの「復活」表象は、「自分たちがイエスを裏切ったことへの赦しとも理解した」ことによるものであったという。佐藤氏は、「エルサレム原始教会」について「心理学的に見れば、彼らはそのように結合することにより、自らがイエスを裏切って棄て、死に就かせた負い目を担いながら、彼への『喪の作業』(S・フロイト)を開始した」とする(『聖書時代史新約篇』、岩波書店、2003年)。
イエスの弟子たちと同じように椎名もまた、組織と仲間を裏切った罪の赦しを〈復活のイエス〉に見出してたのではないか。
パウロは「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(新共同訳『ローマの信徒への手紙』3:23~24)と説いた。椎名も、イエスの贖いの十字架と復活によって義とされたのである。
椎名の戦後文壇へのデビュー作となった「深夜の酒宴」では、語り手の須巻は、かつて労働運動に関わって投獄され、獄中で発狂して病棟に収容された。しかも須巻によって思想を吹き込まれた中村は獄死してしまうという過去がある。須巻は、伯父の栗原仙三から「罪人」と決めつけられ、空襲で焼け残った倉庫を改造した暗いアパートで、「ここはお前の刑務所でお前はその懲役人なのだぞ」と叱責されるのであった。
このときの須巻には、神の存在はまだ予感されるだけのものであった。しかしやがて椎名は、神によって無償で〈義〉とされることによって救われるという、キリスト教信仰にたどり着く。それは、深い罪悪感を抱えて戦後を迎えた転向作家が魂の再生を遂げる、あざやかな道程を示していたのである。
カール・バルトの「ゆるめ」とユーモア
赤岩牧師が主宰する雑誌「指」に、椎名は「バルトの芸術論」を掲載する(同誌第8号、1951年7月)。そのなかに、「キリスト者も、未来の約束によって救われるのでありますが、本当は救われたのではなく、ただ約束によって、きびしい人間の実存がゆるめられているだけなのだ、とバルトはいうのであります」という一文がある。
「ゆるめ」は、吉永正義訳:バルト『キリスト教倫理学総説』Ⅱ/2(第4章第17節「感謝」)では、「心をほぐすこと」と訳され、「われわれが現在において、キリスト教的自由として経験し、持つことができるもの」とされる。バルトによれば、神による未来の救済という約束を前提にして、人間を解き放つものが「ゆるめ」であり、それは「芸術とユーモア」によって実現されるものだという。
バルトに触発された椎名にとって、ユーモアとは、神と人間、無限と有限、永遠と時間、キリスト教信仰と文学作品をつなぐものである。たとえば、さきに見た『ルカによる福音書』24:36~43に描かれるイエスの復活の場面こそ、「ユーモアの極限であり同時に本質」であるとされる。「呆然としている弟子たちの前で、懸命に見て呉れと手足を示されているイエスの行為」、すなわち「人間にとって了解不可能のことを了解させようとされている行為」を読むたびに、椎名は「ある悲痛な感情とともに微笑を禁じ得ない」のだという。
「絶対性に時代の死と狂気」を感じ取る椎名の文学は、「絶対性」に対する拒絶がモチーフとして貫かれている。このようなモチーフを椎名が抱くようになった背景には、人間を絶対的に支配しようとするイデオロギーに苦しめられたという体験がある。市民的自由や労働者の権利を無視するファシズムや、組織への忠誠を強いたコミュニズムなど、本来それらは対抗し合う思想であったにもかかわらず、それらが激しく衝突した「時代の死と狂気」を感ぜざるを得なかったのである。椎名によれば、「一つの絶対性とたたかうためには、それと対立する他の絶対性に身をおくよりほかに場所がない」という「二者択一」に「人間の限界」が存する。それを克服するには「あれかこれかを超えたところの第三の場所」を持っていなければならないという。
「指」第6号(1951年5月)には、椎名が触発された「バルトの『聖霊論』」という無署名記事がある。
キリストの言葉を聴く心の耳をもち、彼の業に対して感謝を懐くようになり、同時にまた、キリストについての告知に責任をとり、ついにはキリストのために、人々に対して確信をもつということが、キリストが私たちに息を吹きかけ、キリストの聖霊を私たちに贈られた時に、私たちが受ける自由に外ならない
戦前の労働運動の体験から、椎名は人間に強要された「絶対性」との闘い、しかもその闘い自体が「絶対性」を帯びてはならないという、本当に解き放たれた場所に立とうとしたのである。キリスト教信仰を通じて自由を与えられた人間が「ユーモア」をもって描こうとしたのが椎名のキリスト教文学であったのだ。
