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【火の鳥鳳凰編】てんとう虫に隠された秘密!漫画史上最高のラストシーンを刮目せよ!

手塚治虫のライフワークにして最高傑作ともいえる「火の鳥」シリーズ
そのシリーズの中でも特に完成度が高く屈指の名作といわれているのが
今回取り上げる「鳳凰編」です。
あの中田敦彦さんも「中田の人生史上No.1マンガ」としてご紹介しているほどの超絶激熱のマンガ。
中田さんがとんでもなく熱く語っていて非常に面白いのでぜひご覧になってみてください(より一層理解が深まると思います)



あらすじ


舞台は奈良時代、
政治は混乱し、民衆が翻弄され
飢饉のために苦しんでいる人々が溢れている激動の時代。
主人公の我王も不幸な生い立ちにより片眼・片腕となってしまい世の中を恨んで盗賊になった一人です。

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我王


この我王、悪行の限りを尽くしていた悪党で
ある日殺人事件を起こしてしまったことで
村を追われることになります。

逃亡中にひとりの若者に出会うのですが彼こそもう一人の主人公、
将来を有望視されたエリート仏師、茜丸

我王と茜丸

この対照的な2人を通して物語が進んでいきます。

我王は2本の腕があることが気に入らないという
理不尽極まりない理由だけで茜丸の右腕を斬りつけます。
ヤンキーにカツアゲされるどころではない無法の難癖の付け方です。

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幸い茜丸は、命に別状はありませんでしたが
仏師の命ともいえる利き腕を傷つけられ将来に絶望します
(仏師とは彫刻家の中で特に仏像を専門に作る者のこと)


一方、我王はその後、速魚(はやめ)という女性と無理やり結婚したり
ウソをつかれたとして
その速魚を殺したりむちゃくちゃな人生を送ります。
完全にやさぐれてます。

そんな折に良弁僧正(ろうべんそうじょう)という偉いお坊さんに会い
この出会いがキッカケで我王の人生が少しづつ変化していきます。

良弁僧正と共にある村に流れついたとき
その村では、原因不明の病にかかり村中の人々が死にかかっていました。
そこで我王は魔除けの彫刻作品を作ることになります。
すると村人から感謝され人の役に立つということを初めて実感するんです

初めて感じた人に「感謝される」ということ。

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自ら手掛けた彫刻が人々の生きる希望になっていることを知り
なおかつ良弁僧正に
「お前は仏像を彫る才能がある使命を全うしなさい」
と言われ
その後は各地で黙々と仏像を彫っていくようになり
このあたりから我王の考え方が大きく転換していきます。


一方、右腕を傷つけられ絶望していた茜丸でしたが
「もう一本の腕がある」と前向きに精進する内に、
いつしかお偉いさんの目に留まるようになり
ついには東大寺の大仏を作る責任者に任命されるにまで昇りつめます。

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東大寺大仏殿

当時の大仏殿事業といえば国家事業の非常に名誉ある仕事
茜丸は地位、名声を得ていく半面、
このあたりから徐々に純粋な心を失っていき
自らの私欲のために生きる様になっていきます。

そして大仏が完成すると、
最後の仕上げとして茜丸に鬼瓦の制作依頼が舞い込みます。
東大寺大仏殿の「鬼瓦制作」という一大国家プロジェクトの
最終最後の要ともいえる大仕事。

しかしその依頼は
茜丸ともう一人の今話題の彫刻師との作品の出来を競い合い、
優れた方を選ぶという決戦方式でありました。

競うことになったもう一人の彫刻師とは…

なんとあの我王だったのです

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その昔、右腕を斬りつけられた因縁の男

しかしかつて悪党だった姿はなく
今や民衆に慕われるようになった彫刻師我王
権力の欲に溺れていったエリート仏師茜丸
運命が大きく変わってしまった両者の対決。

人生の歯車を狂わせた運命的な二人の世紀の決戦!
その勝者は如何に!

…これが本編のあらすじです。


いや~。熱いっすね。
この数々のドラマの末の最終決戦、興奮しない理由がありません。
マジで激アツな展開です
読んでいる内は没入しているのであまり気付かないのですが
読み終えた後の読後感がハンパありません。

なんなんでしょ。この感覚。
あとからジワる不思議な感覚

数々の試練、苦難に立ち向かう正反対の2人の主人公を通して
人間とはなにか、
生きるとはなにか、
死とはなにかと問いかけてくる
超大作なんですが以外に説教臭くない。
人によっては説教臭く感じるのかも知れませんが
あっさりと読めてしまうところに本作の凄みを感じます。

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そして深く重厚な作品であるにも関わらず
なんとわずか388ページしかないのがさらに驚かされます。
講談社の「手塚治虫漫画全集」では2巻、単行本だとわずか1巻

たった1冊の本に
これほどまでに壮大なロマンを詰め込めるんだと思えるほど
凝縮されたマンガであり手塚治虫の天才的な技量が迸っています。

現代のマンガ連載を引き延ばすスタイルに慣れていると気付きにくいですが
限られたページ数で描かれている本作は
無駄なコマが一切ない洗練された様式美を感じます。
そしてこれによって
コマの大きさ、配置による構成から
作者が本当に描きたかったものが見えてきます。

例えばこの輪廻転生の圧巻の見開き。
なんなんですかこの圧倒的存在感
気持ち良すぎます。

伝えたい何かがないとこのような贅沢なコマの使い方はできません。
限られたページの中でこれほど大胆な構成をするということは
それが作者の伝えたかったものであることが分かるのですがそれは
通常のコマとの対比があることにより、さらに際立った演出になるんです。

通常のコマ割りに無駄がない分
こうした大きなコマがより鮮烈な印象を与えます。

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反対にクライマックスの我王が片腕を切り落とされるシーン

これなんて一瞬です。
あっさり「ザッ!」って半コマ(笑)

え? うそーん。

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これ、現代のマンガなら腕を斬られるところを大々的に
めちゃくちゃページとって書かれると思います。

でも手塚先生ってあっさり。

え?そうなの?って感じ。

つまりさほど重要じゃないんですよ。こんなの。

物質的な表現より内在する心理的表現の方を大切にしているという証です
ここら辺を意識して読み取っていくと
さらに火の鳥「鳳凰編」の本質が見えてきます。

「因果応報」と「輪廻転生」


「因果応報」でいえば
我王と茜丸の生い立ちの違い、未来への希望の違い、
あらゆるものが対照的な2人として描かれています。

因果応報とは
「すべての結果には必ず原因がある」という考え方ですが
我王はその不遇な生い立ちにより
「自分がこうなったのは世の中のせい」
と責任転換してずっとやさぐれていました。

一方茜丸はエリート街道まっしぐらで将来も有望
我王に右腕を斬りつけられ一時は絶望するも
現実を受け入れ前向きに立ち直ります。

非常に対照的な2人です…

因果応報の解釈には
「すべてを受け入れて生きていきなさい」
という意味も含まれているのですが
この考え方の違いによって2人の人生が大きく交錯していきます。

本編の醍醐味として
この交錯していく表現がなんとも見事に描かれており
マンガのお手本を見ているかのような極みの業が堪能できます。

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特にこの二人のラストシーンなんか
完全に善悪が入れ替わってしまう表現の極致です。
マジでとろけるような読後感を味わえます
手塚治虫って本当に化け物だったんだなって実感。


そして「輪廻転生」
この圧倒的な連綿と繋がる生命連鎖
これは『火の鳥』全編を通しての一環したテーマなので
手塚先生もかなりのページ数をとって表現しています。
「鳳凰編」でも多くのページを割いて表現されていますが
真骨頂は『火の鳥』全編を通してみたときに見えてくる景色です。

むしろこの「鳳凰編」だけではその奥深さには到達しづらいので
ぜひ全編を読んだ後に改めて「鳳凰編」を読んでみてください。

するとさらに『火の鳥』の作品の奥深さが実感でき
アレとコレが繋がってアソコとココがあああああっって
超絶に気持ちいい体験できると思います。

手塚先生自身も
「一話だけ見て判断しないで」
と言ってますんで…。


「人の本当の幸せとは何か」


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注目はこのシーン
いつも何かのせいにして生きてきた我王が
初めて人から感謝されるシーン
この時の高笑い、この笑いには自身の考え方が
まるで反対だったことに気づいた笑いを意味しています。
今まで自分のことしか考えていなかった、
自分の幸せしか考えていなかったものが
誰かを幸せにすることで自分の幸せが満たされることに気づくわけです。


反対に勤勉だった茜丸は地位、名声、嫉妬や野心に生きるようになり
どんどんダークサイドに堕ちていきます。

滴る水滴で石造を彫るお坊さんに感銘を受け
「うまくいかないことを悩むのではなく、今をどう生きるか」
前向きに捉えていた茜丸でしたが徐々に欲に溺れていきます。

それはそれは見事なまでにダークサイドに堕ちてゆきます。
そんなダークサイドに堕ちたクソ茜丸に
ブチは文字通りクソを垂らします。

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国家の一大プロジェクトだろうが
民衆の苦しみも知らず私利私欲のためだけの
ハリボテの大仏なんてクソだと言わんばかりの行動
大仏殿にクソをするという大胆不敵なバチあたりな反抗精神

一見ギャグっぽさが勝った表現でありますが
非常にパンチの利いた対比構造になっており
ここら辺の対比描写も実に見事であります。


ラストの一言の意味


そして物語のラスト
太陽を見上げ「美しい」とこぼす我王の一言。

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とても最初の我王からは想像できないシンプルにして究極の一言です。

「美しい」って3回言いますからね。
3回ですよ

ここに至るまでの様々なドラマを見ているからこその
超絶に美しい激ヤバな一コマ。

漫画史上こんなに眩いラストはありません。


現代マンガは伏線回収の利いたマンガがスゴイと言われますが
「鳳凰編」はこのラストの美しさを描くために物語全部が伏線という
非常に振りの利いた展開になっています。


生きるとはなんだ?
死ぬとはどういうことだ?

という疑問を追い求めた我王の
辿り着いた境地がここに完結するという猛烈なキレ味。
鋭すぎてビビリます。

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てんとうむしの秘密


我王がテントウムシの命を助けて
それが速魚という女性となって現れるシーンがあります。

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憎しみと恨みから速魚を殺してしまうのですが
後にこれが間違っていることがわかり
そこから我王は、命について考え始めるキッカケとなるシーンです。
なぜこれがテントウムシだったのでしょうか。


日本では、てんとう虫を「天道虫」と書きます
テントウムシとはまさにお天道様のことです。
「太陽や天の神」などの意味があり、太陽の神の使いとして、
これから起こる幸運を知らせる天からのメッセージという意味があります。

つまり
ここでは速魚は我王が改心するためのメッセンジャーとして現れます

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そして
天道とはすなわち人知の及ばぬ
天然の自然の摂理
自然物とは何事にも頓着せずただただ純粋なものであると。


目に見える何かに心奪われて生きるのではなく
心穏やかに今あるものに感謝する
今ある幸せに目を向けなさいというメッセージに他なりません。

我王はそこに至ったからこそ、
ラストのドデカイお天道様の姿を見て
この言葉をこぼすわけです。


「美しい」と…

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いや~しびれます。
こんなマンガないですよほんと。
漂ってくる気配が尋常じゃありません。

これぞ漫画の枠を越えた「比類なきマンガ」
素晴らしい完成度です。


我王が導かれるように民衆の救いの為に仏像を作ったり
茜丸のような純粋に仏師になろうとした若者が、
知らず知らずの内に嫉妬や野心に飲み込まれていったり
過酷な時代を生き抜いた
対照的な彫刻家2人の人生が絡まり合う壮大なカタルシス

いや~参りました。


何がすごいって読者が成熟していない1969年当時に
まだマンガは子供が読むものとされていた時代に
これほどの難解なマンガをぶち込んできた手塚治虫の変態っぷりがヤバし。

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今読めば「ふ~ん」程度のものかも知れません。
答えを欲しがる現代マンガに慣れている読者にすれば
読者に判断を委ねてくるマンガは邪道に映るのかもしれません。

しかし時代と共に語り告がれ
読む者を魅了し続ける作品はそう多くはありません。

『火の鳥』を小さいころに読んで意味不明だけど
なんか圧倒された、なんか記憶に残っているという読者は多いです。
なにより『火の鳥』の作品の特徴として読み手が
人生経験を重ねていくごとに読み応えが変化していく特性があります。

読者が年を重ねることで
知識や経験を積み重ねていくことと同時に
『火の鳥』も年齢と共に成長していくんです。
何言ってるか分からないですよね。

めちゃくちゃ不思議な感覚ですけど本当なんです。

だからいくつになっても『火の鳥』に魅了される。
『火の鳥』
を捕まえられないんです。
読者は捕まれられない『火の鳥』をいつも追いかける
なぜなら『火の鳥』は常に読者の半歩先にいるからです。

こんな不思議な体験ができるマンガって『火の鳥』以外にありません。
読めばきっと気が遠くなるぶっ飛んだ作品にド頭カチ割られると思います。

何が正解というマンガでもありません。
読者それぞれの解答を持った不思議なマンガ。
それが『火の鳥』なのです。

少しでも興味が持てましたら是非お手に取ってみてください。
そして
「鳳凰編」以外の『火の鳥』も読んでみてください。
手塚治虫好きとか贔屓抜きにして
マジで書棚な並べておいて損はない作品だと思いますし
親から子へ、子から孫へ
継承できる非常に素晴らしいマンガだと思います。

まずは図書館で読んで見るのも良いでしょう。
お近くの図書館にも絶対置いてあります。
マジで置いてない図書館見たことありません。
これってある意味で日本国民読めってことですよ(笑)
というわけで今回は「鳳凰編」お届けしました。

次回は
「鳳凰編」のもう少し踏み込んだお話をしようと思います。
これは意味不明になりそうなんで無理に見なくてもいいです。はい。
時間がある人だけ見てくれればそれでいいです。
ではでは!


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