ドイツキリスト教民主同盟
7103文字
はじめに
反共産主義である統一教会の教えの元は、反共産主義➡反ナチス➡反共産主義と移り変わった道徳再武装。日本には統一教会・勝共連合・自民党があるが、ドイツの戦後はどうだったのだろうか?ドイツの場合は一つでやっているようだ。
戦後のドイツに出来た政党、ドイツキリスト教民主同盟は反ナチス活動家を集めて出来た政党。とにかくユダヤ人と子分のクリスチャンは世界を破壊していくることがわかる。
⭕️ユダヤの洗脳を解くにはナチズム。
⭕️ユダヤの再洗脳にはキリスト教。
道徳再武装を学び、とことんクリスチャンはユダヤ人の手下になってしまう、ユダヤの最大の武器はキリスト教だと痛いほど分かった。
ドイツキリスト教民主同盟
ナチスの伸張をもたらしたという反省から諸政党の大合同が目指され、その際、結党の理念となったのがキリスト教博愛主義であった(笑)。しかし、新設の政党のため各地で発足した同党の組織は政策・組織などもバラバラであった。西側では1947年にコンラート・アデナウアーの主導下に作成された『アーレン綱領』がCDUに党としての一体性をもたらしたが、組織としては1950年まで全国指導部や党首をもたなかった。(だから戦後、ドイツ首相が居ない時期があるんだ・・)

◉コンラート・アデナウアー
戦後の日本の現実はドイツと似てたんだろうね。

1953年のドイツキリスト教民主同盟による反共主義ポスター。
「全てのマルクス主義の道はモスクワに通ず」と書かれている。

日本語
ドイツキリスト教民主同盟(CDU)は、1945年に結成されたドイツの中道右派政党。キリスト教民主主義、自由主義、社会保守主義を綱領とする政党である。
歴代党首のうち、コンラート・アデナウアー、ルートヴィヒ・エアハルト、クルト・ゲオルク・キージンガー、ヘルムート・コール、アンゲラ・メルケルが連邦首相となって政権を担当した。このキリスト教民主同盟と社会民主党(SPD)がドイツにおける二大政党である。国際民主同盟に加盟しており色分け勢力図などでは黒で示されることが多いが、公式のシンボルカラーはオレンジ色。

父親はカトリック、母親はプロテスタントであり、エアハルトはプロテスタントとして育てられた。1916年までニュルンベルクで商人になるための職業訓練を受ける。1930年代前半に大学教授資格試験を受けたが不合格となる。その理由は、ナチ党を支持する団体に加入するのを拒んだためとも、ただ論文の出来が良くなかったためとも言われている。
1942年から1945年の間、彼自身が設立し、帝国産業グループ(現在のドイツ連邦産業連盟 BDI)の資金で運営された「産業研究所」の所長を務めた。1944年には、同研究所の依頼により、ドイツの敗戦を率直に受け止め、戦後の経済再建のためのプランをまとめた論文「戦費調達と債務の国債化」を執筆。
反ナチス活動家でヒトラー暗殺計画に加わり、処刑されたカール・ゲルデラーもこの論文に驚嘆した。
◉ヒトラー暗殺計画に加わり失敗して処刑されたカール・ゲルデラー

◉ナチス党内のキリスト教穏健派と接触し、ナチスの急進路線を阻止したクルト・ゲオルク・キージンガー

クルト・ゲオルク・キージンガーは、プロテスタントの父とカトリックの母の間に生まれた。父はキージンガーが1歳の時に亡くなったため、母の信仰に従いカトリックの洗礼を受けた。両親の間には7人の子供がいたが、異母姉のマリアは生後間もなく亡くなっている。キージンガーは両宗派の影響を受け、後に自らを「プロテスタント・カトリック」と称した。
政治的には自由主義的、民主主義的な環境で育った。1933年2月、ナチ党が権力を掌握すると同時に入党したが、ほとんど活動しなかった。入党の動機について、キージンガー自身は、ナチス党内のキリスト教穏健派と接触し、ナチスの急進路線を阻止するためだったと述べている。
第二次世界大戦が始まると、1940年に軍に召集されたが、武器を取ることを避けるため同年から外務省ラジオ宣伝部に勤務。1943年から1945年にかけて同局の副局長と宣伝省との連絡係に昇進した。仕事の関係上、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスと付き合いがあった。
1945年4月末、アメリカ軍によって政治犯として拘留され、1946年に釈放。1947年の非ナチス化法廷では、ナチス党の消極的同調者と判断され無罪となった。
この経歴は後々まで批判の対象となったが、1966年に公表されたナチス親衛隊の文書によって、彼が反ユダヤ主義の宣伝を拒否していたことが明らかになった。
◉ヘルムート・コール:「ブッシュ元大統領は、第二次世界大戦後のヨーロッパで最も偉大な指導者の1人だった」と功績を称えた。

ヘルムート・コールはカトリック教徒の家庭に生まれた。第二次世界大戦末期にはヒトラーユーゲントで軍事教練を受け、ドイツ空軍の対空砲補助員として徴集されたが、生年のわずかな差により戦闘には参加しなかった。1946年、ギムナジウム在校中にキリスト教民主同盟(CDU)に入党。2017年6月16日に87歳で死去した。
コール元首相の死去に際し、メルケル首相、マクロン大統領、トランプ大統領、中曽根元首相らがその業績と人格を称えた。特に、1989年から4年間同時期に任期を務めたアメリカのブッシュ元大統領は「コール元首相は、第二次世界大戦後のヨーロッパで最も偉大な指導者の1人だった」と述べ、その功績をたたえ、死を惜しんだ。
◉説明せずともみんな知っている、アンゲラ・メルケル

政策的特色
キリスト教民主同盟の宗教的根源について
キリスト教民主同盟は、かつての純粋カトリック政党であった中央党とは異なり、あらゆる人々に開かれており、すべての人間の尊厳(人権)、自由、平等を認めている。同党の基本綱領には、「キリスト教の理解によれば、人間、自然、環境は神の創造によるものである」と記述されている。
キリスト教民主同盟にとって、神は人間を神の姿に似せて創造した存在であり、そこから人間の尊厳は守られるべきものとして導き出される。同時に、人間は計り知れない創造の一部分として見なされる。人間は神の創造されたものを意のままにしてはならず、それを守ることを神から委ねられている。
キリスト教民主同盟は、欧州連合憲章に記されている神に関する事項の定着と保証に尽力する。そのために、キリスト教の象徴を公共空間に目に見える形で保持すること、ならびにキリスト教の祝祭日を保持することに尽力するとされている。
経済政策
キリスト教民主同盟は、社会的市場経済の確立に力を尽く、彼らはこれを、未来に向けた自由、豊かさ、安心を保証するものと見なす。グローバリズムの進展において、キリスト教民主同盟は社会的市場経済の国際的な拡大を望んでおり、その際、これまで得てきた経済的自由が守られることを求めている。
統一教会は共産主義から資本主義を守るためにある。
キリスト教民主同盟は、自由な民主政治と自由な市場、競争による社会構成力を信頼する。また、国家による経営関与が残る企業部門の民営化を推進する。
外交政策
キリスト教民主同盟は、外交政策においてアメリカとの揺るぎない良好な関係を維持することを重視している。イラク戦争開戦時、当時のゲアハルト・シュレーダー首相率いる社会民主党(SPD)と同盟90/緑の党によるドイツ連邦政府が頻繁に反米姿勢を示したことに対し、キリスト教民主同盟は批判を行った。エドムント・シュトイバーは、「パリ‐ベルリン‐モスクワ‐北京による不確かな同盟関係は、西方同盟に取って代わる存在にはなり得ない。ドイツは、世界の平和と自由の擁護者としてアメリカを必要としている」と述べた。

キリスト教民主同盟は、トルコのEU完全加入を現時点では時期尚早と見なしており、完全加入の代わりに、トルコに対して特別な待遇を与えた協力関係の構築を支持している。その理由として、トルコが人権をしばしば侵害していること、トルコ政府が現時点でも1915年のアルメニアにおける大量虐殺行為を否定していることが、キリスト教民主同盟内部で議論されている。

欧州政策
キリスト教民主同盟(CDU)は、自らを欧州(ヨーロッパ)の政党と自負している。コンラート・アデナウアーをはじめとする歴代のCDU出身首相たちは、この自己認識の根拠を築いてきた。その伝統を受け継ぎ、CDUは欧州連合(EU)を重視する立場をとっている。

そして、アンゲラ・メルケル首相率いるCDU主導のドイツ連邦共和国政府は、2009年以降、政府間協定の強化に加え、EU加盟国以外の国々との連携も深めている。
他党との関係
キリスト教民主同盟(CDU)が優先する連立相手は通常、自由民主党(FDP)である。これは、経済政策と税政において両党が多くの共通理解を持っているためである。ただし、市民権に関する領域では見解の相違が存在する。例えば、キリスト教民主同盟(CDU)は監視カメラ拡大措置や接続データの長期保存に賛成するが、自由民主党(FDP)はこれを拒否している。
なお、キリスト教民主同盟は左翼党(Linke)と極右政党との連立をあらゆるレベルで拒否している。
キリスト教会との関係
キリスト教民主同盟(CDU)は、設立当初からキリスト教徒(宗派を問わず)と非キリスト教徒の両方に開かれた政党である。CDUが重視する「キリスト教的」という表現は、「キリスト教人間像」という概念と深く関連している。
CDUの名称に「キリスト教的」という形容詞が採用された背景には、(終戦の)1945年の党設立時に、カトリックとプロテスタント間の政治的対立を克服するという目的があった。
しかし、CDUはローマ・カトリック教徒の多い地域に強い支持基盤を持つため、ローマ・カトリック教会が主導していた中央党の後継政党として認識されることもある。
歴史
キリスト教民主同盟(CDU)の歴史は、終戦を迎えた1945年に始まる。同年6月、米英仏ソの4大国によって分割占領されたドイツのうち、ソ連占領地区において最初のキリスト教民主同盟の組織が結成され、ソ連の占領軍の政党認可を受けた。

CDU結党の背景には、ナチスの勢力拡大を招いたという反省があった。そのため、様々な政党が団結し、キリスト教博愛主義を理念としてCDUが誕生した。
しかし、発足当初のCDUは各地の組織がそれぞれ独自の政策や組織を持っており、統一されていなかった。西側では、1947年にコンラート・アデナウアーの主導で「アーレン綱領」が作成され、CDUに党としての統一性がもたらされた。それでも、全国的な指導部や党首が置かれたのは1950年になってから。
一方、東側では、主要な指導者であったシュライバーとヘルメスが1945年にソ連占領軍によって解任され、ヤコブ・カイザーが指導者となった。カイザーはアデナウアーに匹敵する理論家・指導者であり、アデナウアーの西側偏重・東西分裂を促進する政策に強く反対した。しかし、カイザーも1947年にソ連軍によって解任され、西側に亡命した(後にアデナウアー政権で全ドイツ問題相となる)。

ヒトラー暗殺を企てたシュタウフェンベルク(この人まだよくわからない)
ヤコブ・カイザー
1933年にナチスが政権を握ると、カイザーは国家社会主義に反対し、1934年にレジスタンス運動に参加した。1938年にゲシュタポに反逆罪の疑いで逮捕されたが、すぐに釈放された。
ケルンのレジスタンス組織への参加を通じて、カイザーはライプツィヒ元市長カール・ゲルデラーの側近となった。ゲルデラーとの関係を通じて、カイザーはクラウス・フォン・シュタウフェンベルクと接触することができた。 7月20日陰謀事件については直接知らされていなかったものの、シュタウフェンベルクがヒトラー暗殺を企てていること、そしてレジスタンス組織との密接な関係を知っていたため、第二次世界大戦の残りの期間、潜伏生活を余儀なくされた。
英語:ドイツキリスト教民主同盟
ここから先は
¥ 250
特に無料閲覧にしてある記事に100円でも200円でも入れてもらえると、書き続けることができるのでよろしくお願いします。m(_ _)m
