名前を間違えられた日——テキトーなやり取りが生む、就労のあきらめ
「小西孝明 様」
その文字を見た瞬間、画面の前で、僕は苦笑いをこらえた。
SNS経由のビジネスメッセージ。最近よくある光景だ。つながったばかりの相手から、長文の挨拶とサービス紹介が送られてくる。正直、あまりに流れ作業のようで、僕は普段なら丁寧に返信することは少ない。でも、そのときはなぜか気が向いて、時間をかけて返事を書いた。ちゃんと読んで、考えて、自分の言葉で返した。
……なのに、名前を間違えられた。
僕の名前は湯鶴(ゆづる)だし、苗字は小西でもない。どこをどう間違えても、「小西」にはならない。完全なコピペミス。いや、コピペすらしていないかもしれない。別の誰かに送った文章を、そのまま僕に流しているだけ——そんな気がした。
このやり取りは、ある意味で象徴的だった。表向きは丁寧な言葉遣い、共感を示す文章。だけど、その裏には「誰に向けて書いているのか」がない。ただ情報を送って、返事が返ってきたらテンプレで返す。名前を確認せず、文脈も読まず、ただ“対応した”という実績だけが積み上がる。
そんな世界の中で、人の心は、簡単に置き去りにされていく。
僕は人事の仕事をしている。キャリアコンサルタントとして、たくさんの人と対話してきた。履歴書ではわからない人生の背景。目の前にいる人がどんな思いで今ここにいて、これからどこに行こうとしているのか。そんな話を、何度も聞いてきた。
うまく言葉にできない人もいる。過去を振り返るのがつらい人もいる。でも、対話の中で少しずつ、その人自身の言葉が浮かび上がってくる。それは、僕にとって仕事である以上に、人と関わる“喜び”でもあった。
だからこそ思う。「小西孝明 様」と書かれたあの一文が、どれだけの信頼を壊すか。その人にとっては、たかが名前の間違いかもしれない。でも、名前って、その人の人生そのものだ。間違えるというのは、「あなたのこと、ちゃんと見ていません」と宣言するようなものだ。
もちろん、完璧じゃなくてもいい。間違いは誰にでもある。でも、問題なのは、「誰に送ってるかなんて気にしてない」っていう姿勢。その適当さが、文章の行間ににじみ出てくる。
人と向き合う仕事をしているなら、そこだけは、絶対に手を抜いちゃいけない。
今、多くの人材紹介会社が「テクノロジーの活用」を掲げている。AIが会話を分析し、最適な求人をレコメンドする。音声データから志向性を抽出する。そういう時代なんだと思う。
でも僕は、どうしても腑に落ちないことがある。——それって、本当に「人を見ている」のだろうか?
たとえば、今回のやり取りでも、「対話に集中できる環境を創る」という目的には共感できた。でも、その先の行動が「名前を間違えて返信する」ような姿勢だったら、どれだけAIを導入しても、支援はうわべだけになってしまう。
むしろ、その人の「目の前の一人に向き合う力」が問われる時代になっていると、僕は思う。機械ができることは、機械に任せればいい。でも、人にしかできないことがある。表情、沈黙、空気の揺らぎ、ことばにできない想い——そういう“余白”を感じ取ることは、人にしかできない。
それが「キャリア支援」だと、僕は信じている。
人事のとしてキャリアを積み上げてきた10年間、たくさんの若者と話してきた。
「もう期待しないようにしてます」
「紹介されたけど、微妙な求人ばかりで……」
「本当に自分のこと、わかってくれてるのかなって思いました」
そういう声を、何度も聞いてきた。彼らは、最初からあきらめていたわけじゃない。誰かとちゃんと話したくて、誰かにちゃんと理解されたくて、相談してみた。でも、返ってきたのはテンプレの言葉と、ピントのずれた求人。名前を間違えられたメール。
——だったら、自分で探した方がマシだ。
そう思ってしまうのも、無理はない。
本当は、「ちゃんと向き合ってくれる人がいる」って思えたら、人生は変わる。少しだけ前向きに、もう一歩だけ進める。そんな出会いが、人のキャリアにとってどれだけ大きな意味を持つか、僕は何度も目の当たりにしてきた。
だから、こういうことを、ちゃんと書いておきたかった。
最近、娘の朝陽(あさひ)が、「なんで名前ってあるの?」と聞いてきた。
「うーん……その人だけの、しるし、かな」
そう答えながら、あの日のことを思い出していた。「小西孝明 様」と書かれた返信と、それを見た自分の気持ち。
名前って、ただの記号じゃない。
僕は、朝陽の名前を、逸花と何度も話し合って決めた。その子がどんな人になってほしいか、どんなふうに生きてほしいか——そんな願いを込めて、たったひとつの名前を贈った。
だからこそ、僕はこれからも、名前を大切にしたい。
誰かと出会うとき、その人の名前を、ちゃんと心に刻むこと。
その人が、その人であることを、大切にすること。
それは、仕事でも、子育てでも、変わらない“信念”だと思っている。
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湯鶴の裏方より
このnoteでは、湯鶴というひとりのパパの日常をもとに、仕事・育児・人生にまつわる物語を綴っています。
無料物語では、子どもとの時間で考えたことや、仕事をする中で考えていることなど、毎日のなかにあるささやかな気づきを描いています。
でも実は——
誰にも言えなかったことや、少し勇気がいるようなことは、有料物語で綴っています。
湯鶴がこれまで向き合ってきた葛藤や選択。
その背景には、言葉にならなかった想いがあります。
僕は、湯鶴の“裏方”として、そのひとつひとつを記録してきました。
有料物語は1本100円。
ですが、マガジン(500円)を購読していただければ、これまでに公開された有料記事も、これから追加される物語もすべてお読みいただけます。
子どもを育てること。
働き続けること。
自分のままで在り続けること。
どれかひとつを選ぶのではなく、どれも大切にしていきたい。うまくできない日があっても、それでも今日を重ねていく。そんな湯鶴のまなざしと向き合いながら、言葉を編んでいます。
もしも、どこかで心に触れる瞬間があったなら、マガジンをのぞいていただけたら嬉しいです。
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スキを押してくださった方へ、湯鶴の言葉をひとつ、おみくじと共にお送りします。
たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。
▼おみくじをつくった背景については、こちらにまとめました。
