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短編小説|死ぬ予定ですが、母は今日も元気です|第2話

【これまでのお話】
第1話「同じ日に」


第2話「目も笑ってたよ」


6月。

朝、目が覚めた。

起き上がろうとして、やめた。

もう一度やって、起きた。


軽く化粧をして、洗濯機を回して、味噌汁を温めた。


誠さんが起きてきた。

椅子を引く音がした。

「おはよう、早いね」

「おはよう、会議あるからな。朝一なんだ」


テーブルに、
白飯と納豆、目玉焼き、みそ汁を並べた。

誠さんが目玉焼きに、
たっぷりマヨネーズをかけた。


麦茶を出して、向かいに座った。

みぞおちのあたりが、鈍く重かった。


トーストを半分食べた。

「…………誠さん」

「ん?」

「変なこと聞くんだけど……
 わたしがいなくなったら、誠さん、どうする?」

誠さんが、目玉焼きを食べる手を止めた。

「なんだ?急に」

「いや、例えばの話よ」

「……探す。地の果てまで」

「へぇ、見つからなかったら?」

「餓死する」

わたしは吹き出した。

誠さんは、本気で言っていた。

「料理くらい覚えなさいよ」

「直子が作ってくれるから、いいのいいの」

「わたしは家政婦じゃないのよ」


誠さんが、眉をひそめた。

「……直子。化粧、変えたか?」

「えっ、変えてない」

「……なんか前と違うっていうか」

間を置いて、誠さんが言った。


「まさか………………
 浮気してんじゃないよな?」


わたしは笑った。

「もう、朝からやめてよ」

「なんか最近、変だぞ」

誠さんが、
みそ汁のお椀を持ったまま、こっちを見た。

「…………早く食べて、会社行かないと」

誠さんは黙って、「そうだな」と言った。

誠さんが立ち上がって、準備をした。


誠さんが、玄関で靴を履いて、振り返った。

「んじゃ、行ってくるな」

「いってらっしゃい。
 今日、飲みで遅いんだよね?」

「あー、そうそう」

「夕飯いらないね?」

「いらない」

「了解。あとさ、今日も夜、雨降るみたいだから…」

靴箱の上にあった折りたたみ傘を、
誠さんに押し付けた。

「持っていきな」

誠さんが、
まっすぐこちらを向いて、敬礼した。

「では、いってまいります!」

「行ってらっしゃい」

ドアが閉まった。


リビングに戻った。

テーブルのカーネーションの、
最後の花が枯れていた。

指で触れたら、花びらが落ちた。

花瓶の水を捨てて、ゴミ袋に入れた。


支度をした。


ジャケットを羽織った。

肩のあたりが、少しゆるかった。

先月買ったばかりだった。



車に乗った。

今日は、さくらたちの両親学級だった。

拓也さんが来れないので、
わたしが付き添うことになっていた。

信号待ちで、深く息を吐いた。

早めに着いたので、駐車場でしばらく待った。

エンジンをかけたまま、スマホを開いた。

「死ぬ前 娘にしてあげられること」
と打った。

消した。

「産後 娘にしてあげられること」
と打った。

いくつか読んだ。

スマホを閉じた。

さくらは、何も知らない。


インターホンを押したら、すぐさくらが出てきた。

お腹が、先月より大きくなっていた。

「やっほー!大きくなったね」

「そう?」

「うん、見てわかるよ。
 そろそろ生まれるんじゃない?」

「そんなわけない」

さくらがお腹を押さえながら笑った。


エレベーターで降りながら、さくらが言った。

「拓也、終わったら合流するって。
 ごめんね、おかあさんに来てもらって」

「いいのいいの。
 わたしも行きたかったし、何十年ぶりよ」

さくらが
「何十年ぶりって」と笑った。



両親学級は、
区の保健センターで開催されていた。

受付で名前を書いて、椅子に座った。

テーブルの上には、
小さなベビーバスが置かれていた。

同じテーブルの向かいに座ったのは、
わたしと同じくらいの年の
女の人と、妊婦さんだった。

旦那さんはいなかった。


わたしは妊婦さんに話しかけた。

「お宅も、旦那さんは?」

「仕事で来れなくて。
 おかあさんに来てもらいました」

「うちも一緒!
 さくら、早速、友達できたね」

さくらが
「急に仲良くなってる」と言った。

向かいの人が笑った。


助産師さんが前に立った。

説明が始まった。

産後の体のこと、授乳のこと、沐浴のこと。

さくらがメモを取っていた。

ペンを持つ手が、強張っていた。

わたしはその横顔を見ていた。

さくらも、わからないことだらけだよね。

わたしからも、
教えられることが、まだたくさんある。


しばらくして、
助産師さんが赤ちゃんの人形を出した。

沐浴の実演が始まった。

首の後ろに手を当てて、ゆっくり支えていた。


人形が回ってきた。

「どうぞ」と助産師さんがさくらに差し出した。

さくらが慣れない手つきで、沐浴をさせていた。

「さくら、顔にめちゃくちゃお湯かかってる」

「うーん、意外と難しいよ。
 左手を意識すると、右手がおろそかになって」

さくらが、人形を見ながら言った。

「おかあさん、見本見せてよ」

さくらが笑いながら差し出した。

袖を、めくらなかった。


腕の中に収めた。

思ったより、重かった。

さくらを抱いたときも、こんなだったかな。

赤ちゃんが生まれたとき、
わたしはそこにいるのかな。

人形の頬を、そっとなぞった。

ゆっくり、お湯をかけた。

「赤ちゃんって温かいね」

「いや、温かいのはお湯のほうだと思うよ。
 あとおかあさんの袖、びちゃびちゃ……」

「……ひー!」

「ひー!って、袖めくんなきゃ」

さくらが吹き出した。


人形を助産師さんに返した。

前かがみの姿勢を戻した瞬間、
足に力が入りにくかった。

膝が抜けそうになって、
とっさに、テーブルに手をついた。

「大丈夫!?おかあさん?」

さくらの声が近くなった。

「大丈夫、大丈夫。急に腰伸ばしたから」

そう言って笑った。



昼前に終わって外に出たら、
拓也さんが入口の脇の壁にもたれていた。

「おーい、拓也さん!
 なんで中入らないの!両親学級よ」

「……えっと、なんか……
 親子の時間に水を差しづらくて……」

「気を遣わなくていいの!」

さくらが「そうだよー」と言った。



3人で近くのうどん屋に入った。

さくらが天ぷらうどんを頼んだ。

拓也さんがかけうどんを頼んだ。

わたしも、かけうどんにした。

「天ぷら、大丈夫なのね」

「もう、なんでも食べれるよ」

さくらが笑った。


しばらくして、
さくらが、わたしのどんぶりを見た。

「おかあさん、全然減ってないじゃん。
 どうしたの?」

「……朝、トースト2枚いっちゃったからかな」


拓也さんが、
湯気の向こうからこっちを見た。

「……あの、おかあさん、
 気のせいだったらすみません」

拓也さんが言った。

「ん?」

「……最近、疲れてませんか?」

一瞬、止まった。

「……更年期ってやつ!最近これ万能なの。
 なんでも更年期のせいにしたら気が楽になった」

さくらが口をつぐんだ。

「あと、おかあさん、
 最近、歩くの、遅くなった気がする」

「……それは、荷物が重いだけよ」

「小さいバッグしか持ってないじゃん」

「すっごい重いバッグなの」

さくらは笑わなかった。


「おかあさん……」

「なに?」

「ご飯も残すし、
 最近、そうやってすぐふざけるし」

「前からでしょ……」

「うん、でも……」

さくらが、黙った。


「前は、ふざけたあと、目も笑ってたよ」


わたしは黙った。


湯気だけが、
テーブルの上で揺れていた。

「……やだ怖い。うちの娘、刑事になった?」

「怖いのはこっちだよ……」

さくらはそう言って、うどんを見た。

誰も、箸を動かさなかった。

「そうだ、おかあさん。
 生まれて落ち着いたら、みんなで温泉行こうよ!
 赤ちゃんも連れて」

「……うん、いいね」

さくらが、首を傾けた。

それ以上は、聞かなかった。



さくらと拓也さんと別れた。

1人で車を走らせた。

家に着いた。


靴を脱いで、ソファに座った。

ソファの縁を握ったまま、眠っていた。



起きたら、窓の外がオレンジ色になっていた。

スマホを取り出した。

着信履歴に、病院の番号があった。

折り返すと、
来週の点滴の日を変えてほしいという話だった。

「早めてもらえますか?」

都合の良い日を伝えた。

電話を切った。

ちょうど、さくらからメッセージが来た。

『今日はありがとう』

白い坊主のスタンプが、親指を立てていた。

『拓也も言ってたけど』

続きが来るまで、少し間があった。

『おかあさん、最近、変じゃない?』

画面を見ていた。

「考えすぎよ」と打った。

すぐ既読がついた。

返信は、来なかった。

しばらくして、

『今日さ。
 出産した後の話、なんではぐらかしたの?』


指が止まった。

打ちかけた文字を、消した。

「気が早いと思っただけ。
 さくらにはまず出産のことだけ考えてほしいの」
と打った。

スマホを、テーブルに伏せた。

少しして、また拾った。

既読がついていた。

でも返信は、来なかった。


しばらくして、
わたしは立ち上がった。

リビングの電気をつけた。

引き出しを開けた。

便箋を出した。

ペンを持った。


最初の一行だけ、なかなか書けなかった。

書き始めたら、手が止まらなくなった。


一文字だけ、インクが滲んだ。


玄関のドアが、開いた。
「ただいまー!」

折り曲がった便箋を、バッグに押し込んだ。


誠さんが、リビングに入ってきた。

「おかえりー、意外と早かったね」

「うん、二次会、パスした。雨も降ってきたしな」


誠さんは、脱いだ靴下を片手に、
わたしの顔を見た。

「……直子」

「ん?」

「いや……なんでもない」

誠さんは、
そのまま冷蔵庫を開けた。



・・・続く


第3話「賭ける」


読んでくださって、本当にありがとうございます。
※本作はフィクションです。

マガジン(第1話~最終話まとめ)


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