見出し画像

短編小説|死ぬ予定ですが、母は今日も元気です|第4話

【これまでのお話】
第1話「同じ日に」 | 第3話「賭ける」


第4話「誠さんへ」


水の音だけが、続いていた。

誠さんは首を振った。

「末期……?……やめろよ……」

「誠さん……」

「そんな顔で言うなよ……嘘だろ……」

「ううん。本当。6月から、ずっと治療してた」

誠さんが蛇口を止めた。


「何か病気かもしれないって、疑ってたよ。
 怖くて聞けなかった。でもさ…………」

わたしを見た。

「直子…………なんで、
 もっと早く言ってくれなかった?
 俺のせいだったか?…………ごめんな」

「…………違うよ、ごめん」

誠さんの目が、赤くなった。

ただ、わたしを見ていた。


「……長くないって、あとどれくらいだ」

「…………5月終わりに4ヶ月前後って言われた。
 次から、別の強い抗がん剤に切り替えるの。
 それでどうなるかは、まだ……」

誠さんが、シンクに手をついた。

顔を上げなかった。

しばらく、そのままだった。


「……さくらは?」

首を振った。

誠さんは黙っていた。

蛇口から、水が落ちる音がした。



翌朝。

誠さんは無言で朝食を食べた。

味噌汁も、焼き魚も残した。

それから会社へ行った。



昼頃、誠さんが帰ってきた。

「ただいまー!」

「あれ……おかえり、
 はやいね、どうかしたの?」

「会社、しばらく休むことにした。
 ちょくちょく在宅で引き継ぎするけどな」

「えー!」

「もう手続きしたから。
 これから直子のフルサポートをしてまいります!」

誠さんは、わたしに敬礼をした。

「え、そんなの、しなくていい」

「するよ。するんだ」

誠さんが、わたしを見た。

「直子が命賭けてんのに、
 俺だけいつも通りなんてできない」

わたしは何も言えなかった。



その日の午後、
誠さんと病院に行った。

診察室で、
誠さんは何度も質問した。

最後に、
「俺に、何ができますか?」
と聞いた。

先生は少し考えた。

「無理をさせないことです。
 それだけで十分ですよ」



8月に入った。

背中の痛みのせいで、
今日もあまり眠れなかった。

枕元には、
点滴ポンプの入ったポーチがあった。

新しい抗がん剤に変わってから、
また吐き気が出るようになった。

エアコンをつけたまま寝たのに、
寝汗をかいていた。

枕に残る髪が、昨日より目についた。


台所から音がした。

行ってみると、誠さんが立っていた。

「おはよう」

誠さんが振り向いた。

「おう、起きるの早いな」

わたしは誠さんの隣に立った。

「味噌汁、吹きこぼれてるよ」

「あー!」

わたしは笑った。

「何作るの?」

「しょうが焼き」

「へー、朝から」

誠さんが玉ねぎを切り始めた。

「そんな厚く切らない」

「そうなの?」


誠さんが切り直した。

数秒後。

「いてぇ!」

誠さんが目を押さえた。

「何やってるの」

「玉ねぎが攻撃してきた」

思わず吹き出した。

「包丁、貸して」

「いや、いい」

「いいから」

わたしは包丁を受け取った。

玉ねぎを薄く切った。

「これくらい」

続きをやろうとして、やめた。

「あとよろしく」

椅子に腰を下ろした。

「無理させて、すまん……」

「いいの。あれ、しょうがはどこ?」


誠さんが材料を見回した。


「え……そっか、しょうが焼きだもんな」

「主役いないんかい」

わたしは笑った。


わたしは冷蔵庫からしょうがを出した。

「ちょ、ちょっと待って」

誠さんがスマホを取り出した。

「動画撮っていいか?」

「どうぞー」

誠さんがスマホを向けた。

「こうやって擦る」

誠さんは、わたしを撮っていた。

「いやいや、
 わたしじゃなくて手元を撮りなさいよ」

「……うるさいな。
 全体像が大事なんだよ」

わたしは笑った。

しょうがを、おろし続けた。

「まだ撮ってるの?」

「撮ってる」

「もういいんじゃない?」

「まだ撮る」

「……あとはお願い」

わたしは、おろし金を誠さんに渡した。


付箋を2枚とって書いた。

『誠さんへ
 玉ねぎは冷やしてから切る』

『誠さんへ
 しょうが焼きは
 しょうがを入れること』

それを冷蔵庫に貼った。

冷蔵庫には、
洗濯、ゴミ出し、買い物。

『誠さんへ』のカラフルな付箋が、
冷蔵庫のあちこちに貼られていた。



9月になって、
朝晩が少し涼しくなった。

夜中、痛みで目が覚めた。

背中から脇腹にかけて、
鈍い痛みが広がっていた。

強くなった痛み止めを飲んだ。

暗い天井を見ていた。

あまり寝付けず、朝になった。


洗面所で、鏡を見た。

前髪をかき上げた。

指先に、何本か髪が絡んだ。

地肌が、前より見えていた。


スマホが鳴った。

さくらからだった。

「もしもし」

『おかあさん!
 最近、忙しいんだね。
 会ってないけど、元気なの?』

「元気元気。どうしたの?」

『えっと、10月からわたし、
 そっちに里帰りすることになってたじゃない?』

「うん」

『あれさ、どうしようかなって。
 拓也が頑張るから家にいてくれって、
 しつこくてさ』

「…………そっか、
 拓也さんがそう言うなら、それでいいじゃない」

『えー、なんか、冷たい。おかあさん』

「……わたしは、
 二人で決めたことを尊重したいだけ」

電話の向こうで、さくらが黙った。

『……わかった』

「さくら、無理しないのよ
 拓也さんに甘えるところは甘えるのよ」

『……うん』

電話を切った。


排水口に、髪が溜まっていた。

指でつまむと、束になった。


洗面所を出ると、
リビングで誠さんが掃除機をかけていた。

わたしは前かがみになりながら言った。

「誠さん、わたしの頭見て」

誠さんが掃除機を止めた。

「トレンドの落ち武者ヘアー、
 似合っている?」

誠さんが、わたしを見ていた。

「答えづらい……」

わたしは、笑った。


「あのさ、誠さん!」

「うん」

「わたしの残った髪の毛、
 全部剃ってくれないかな」

誠さんは、黙った。

「……いいのか?」

「……うん、わたしが髪型を決めたいの」

誠さんは、目を閉じた。


「……わかったよ」


誠さんが押し入れから
バリカンを持ってきた。

洗面所に椅子を持ってきた。

わたしは座った。

誠さんが後ろに立った。

バリカンの音が始まった。


髪が、ゆっくり落ちていった。

鏡の中の誠さんの顔を、わたしは見なかった。

後ろから聞こえるのは、バリカンの音だけだった。


終わった。

鏡の前のわたしは、やっぱり見慣れない人だった。

「似合う?」

誠さんは、すぐには答えなかった。


「……似合うよ。
 さっきよりこっちの方がいい」

目が、熱くなった。

「……ありがとう」



10月も半ばを過ぎた。

朝の空気が冷たくなった。

誠さんと病院から帰ってきた。

先生と話し合って、
今日で抗がん剤治療が終わった。

これ以上続けることは、やめた。

痛み止めが、増えた。

飲む薬に、貼る薬が加わった。


誠さんは、
「ちょっと出てくる」と言ってまた出かけた。


わたしは台所に立った。

冷蔵庫が、付箋だらけになっていた。

冷蔵庫を開けた。

ドアポケットに、
開封したマヨネーズが2本入っていた。

「なんで使い切ってないのに、開けちゃうかなー」

誰もいない台所で言った。

1本は、賞味期限が切れていた。

冷蔵庫に、新しい付箋を貼った。

『誠さんへ
 少しくらい賞味期限切れて、
 食べても死にはしない。
 わたしが言うんだから間違いない』

書いてから、自分で笑った。

でも、そのままにした。


夕方。

誠さんが、紙袋を持って帰ってきた。

「直子、これ」

「なに?」

「……今日、何の日か覚えてるか?」

「あ…………結婚記念日!」

袋の中に、ブランケットが入っていた。

「寒くなってきたしな」

誠さんが目をそらした。

一緒に、ニット帽も入っていた。

でっかいハートが刺繍されていた。


すごい、ださかった。


余命もの映画のヒロインは、
もっとかわいいニット帽だった気がした。

でも……
誠さんが、わたしのために選んでくれた帽子だった。


袋の底に、カードが入っていた。

誠さんの字だった。


『これからもよろしく 誠より』


わたしは、カードを見ながら言った。

「……いつも記念日、忘れてたじゃない……」

「……忘れたくなかったっていうか」

誠さんが頭をかいた。

「……ありがとう」

もう一度、カードを見た。

「わたし、何も用意してない」

「……いいってことよ。さて、洗濯物しまわねーと」

誠さんは、庭へ出ていった。


わたしは、ブランケットを肩に掛けた。

温かかった。



数日後。

久しぶりに、痛みで目が覚めなかった。

あれ。

痛みが、遠かった。

吐き気もない。

こんな朝は、久しぶりだった。

起き上がるのが、しんどくなかった。


庭で、誠さんがしゃがんでいた。

草むしりをしていた。

背中が、少し丸かった。


わたしは、
もらったブランケットを肩にかけて
サンダルをつっかけて外に出た。

「おい、出てきていいのか?」

「うん。今日は、だいぶ楽なの」

誠さんが立ち上がって、わたしの顔を見た。

しばらく、黙って見ていた。

「……ほんとだな?」

「今日は病人じゃないから」

誠さんが笑った。

2人でしゃがんだ。


風が吹くたびに、庭の葉がかさりと鳴った。

土の匂いがした。

しばらく、黙って手を動かした。


「もうすぐ孫に会えるね。楽しみで、楽しみで」

「俺も。
 拓也くん、名前はもう決めてるって言ってたな」

「聞いたの?」

「いや、聞いてない。
 直子が、生まれてから聞くって言ったらしいから、
 俺も」

「そっか……
 誠さん、本当、いろいろありがとうね」


誠さんが、顔を上げて、わたしを見た。

「……なんか久しぶりに見たな、そんな顔」

「どんな?」

「うまく言えないけど……
 直子っぽい笑顔」

「どんな顔よ」

誠さんが笑った。


風が、庭を通り抜けた。

「あ、ビニール袋、飛んでっちゃった」

誠さんが立ち上がった。

「わたし、とってくるよ」

わたしも立ち上がった。


瞬間、視界が白くなった。


足の裏が、地面を見失った。


「直子!!」

声が聞こえた。

土の匂いがした。

そのあとで、口の中がじゃりっとした。


誠さんの腕が、わたしを抱えた。

「あれ…………ご…めん」

「謝るな…」

誠さんの手が、震えていた。

「立てるか?」

首を振った。

誠さんがスマホを取り出した。

「……いいって、救急車なんて」

「よくない」

「……大げさ」

「いいから!」

誠さんが大きな声を出した。

「もしもし……
 はい、救急です、急いで……」

誠さんの声が、遠くなっていく。


「……誠……さん」

「おい、直子、しっかりしろ!」

「電話の下の引き出し……
 誠さんへ……手紙……読んで……」

誠さんの手が、強く肩を掴んだ。


誠さんの顔を見た。

「もうちょいだったのにな……」


サイレンが近づいてきた。



・・・続く

最終話|「いつもの家」


読んでくださって、本当にありがとうございます。
※本作はフィクションです。

マガジン(第1話~最終話まとめ)


他の作品はこちら👇

いいなと思ったら応援しよう!

結城 開人 読んでくださって、本当にありがとうございます。 そのお気持ちが、とても励みになります。